「死にたいちゃん」と共存して生きるということ

「死にたい死にたい死にたい死にたい」

そう思いながら生きている人は
どれくらいいるのだろうか。

わたしは、そうしたくはないが
挙手せざるを得ない。

「死にたいちゃん」と共存し始めて
6年の月日が経とうとしている。

そしていま現在も、「死にたいちゃん」に主導権を握られないよう
必死で筆を取っている(実際には携帯を握りしめている)。

「死にたいちゃん」との共存に
慣れなんてものは存在しない。

文字通り、毎回 死ぬほどしんどい。

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わたしは、摂食障害と鬱を発症するまでは
死にたい人の気持ちなんて
考えたこともなかった。

想像だにできなかった。

【日本は自殺大国で、先進国の中でも自殺率が高い】
【交通事故よりも自殺で亡くなる人が多い】
【働き盛りの男性の過労による鬱と自殺が問題】

社会の授業で習ったこれらの事実は

どこか遠い世界の話のようで
わたしには関係ないことのようで
重く受け止めてはいなかった。

そして、「死にたい」と口にする人の気持ちも分からなかった。

それが一変したのは
6年ほど前、ある出来事があり
食べて吐くことが止められなくなったときのことだ。

ひとりで、彼氏の部屋に引きこもり
ストックしてある食材を食べ漁っては吐き

食材が尽きたらボロボロの姿でコンビニに走り
食べながら帰宅し

食材を詰め込んではまた吐き

血を吐いても
口の中が切れても
震えが止まらなくても

どうしても食べるのがやめられなかった時

「死にたい」

と初めて思った。

思うのが先か
動くのが先か

彼氏のウォッカ(アルコール度数40%ほどのスピリッツ)を一気飲みし
包丁を手にして手首に当てていた。

我にかえったあと初めて
SNSに「死にたい」と書き込んだ。

思えば
これが初めての自殺衝動というやつだったのかもしれない。
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それから数年が経ち
当時の彼氏とは別れ、いまの旦那と結婚したが

いまだに「死にたいちゃん」は定期的に遊びにくる。

あるときは、過食嘔吐をし続けることで
「死にたいちゃん」は満足して去ってくれる。

またあるときは、過食嘔吐が止まらなくてパニックになり
「このまま食べ続けるくらいなら死にたい」と
自殺未遂をはかる。

どれも失敗に終わったが

アルコールと薬を同時に摂取して浴槽に沈んで溺死しようとしてみたり
首に縄をかけ縊死しようとしてみたり
薬を摂取して橋から飛ぼうとしてみたり。

毎回本気なのである。

そして、いま現在も
許されるならば、死にたい。

自分の意思ではなく「死にたいちゃん」が遊びにきていると理解した上で
死にたい。

でも、本当はとてもとても生きたいから
「死にたい」をことばにして
自分の外に放出するのだ。

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「死にたい死にたい死にたい死にたい」

そう思いながら生きている人は
どれくらいいるのだろう。

そして、そのしんどさを知っている人は
どれくらいいるのだろう。

わたしは経験するまでは、「死にたいちゃん」と共存することのつらさがわからなかった。

だから、「死にたい」と口にする人の気持ちもわからなかった。

よく、「死にたいという言葉は[助けて]や[生きたい]の裏返しである」という文言を目にするが
100%同意はできない。

SOSではない。
本当に死にたいのだ。

かまって!でもない。
ひとりにしてほしいのでだ。

実際のところは
「死にたい」とことばにして自分の外に出すことで
自分の死にたい濃度を下げているのである。


『生きたくても生きられない人がいるのに』
『死にたいなんて簡単に口にするもんじゃない』
『いまの若い奴らは我慢を知らない』

あなたはまだ、そう言えますか?

「死にたいちゃん」と共存している人が
いま、すこしでも楽に生きられますように。

#希死念慮 #摂食障害 #過食嘔吐 #拒食症

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