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essay #10 連絡

友達の友達が死んだというメッセージへの返信を考えながら、想像よりも色が鮮やかで洒落てるな、と思ったオーバルな皿の上のロコモコ丼らしきものにスプーンを刺した。

喜ばしい仕事を終えたあとだったけれど、心地よい疲れというよりも、ざわざわとした緊張感があとになって響いていた。
人前に出る時、緊張することはほとんどない。目の前にいるのが1万人だろうと、その道のプロだろうと、あまり変わらない気がする。
それでも人から見られる目に敏感で繊細な方なので、終わった後にむしろあれこれと考えて、減点するところがないか考えてしまうようにできているのがわたしだ。

そんな、精神的にも落ち着かない空腹になにか入れようと車を走らせていたら明日のディナーがキャンセルになり、急用らしかったので理由を聞いたら、その友達の友達が自殺してしまったので、新幹線に乗っているとあった。

他人の人生だ、どうすることもできない。
わたしは疲れていて、お腹も空いていて、悲しむべきはわたしの友達であって、わたしではない。

ぐるぐると頭にテキストが浮かんでいたけれど、サラダとスープを胃に入れ終わって、メインのロコモコ丼が運ばれてきたころには、動悸がすこし速くなっていた。

ひとはなぜ、自ら死ぬんだろうか。

明確に答えは出ていないけれど、死にたい、と強く思う気持ちは知っている。

私の場合は高校3年生の時だったので、振り返ればその頃から10年の時が経とうとしている。ちょうど、センター試験を2週間後に控えたあたりだった。
思い出したとて10年前のことだから、痛みとして思い出されることはないけれど、死後のために荷物を整理し始めたあたりから、風呂場で母に見つけられるまで、かなりはっきりと順を追って記憶を辿ることができる。
決して忘れることはない。

あれから10年、死にたいと思ったことはない。
「気づいたら生まれていた」
「このような自分に生まれたのは私の意思ではない」
とあくまでポジティブに思えるようになってから、人生が楽になった。

でも、今日のような出来事があると、考えざるを得ない。

ひとの人生は誰のものなんだろうと。

友達は、その友達の死に憤っていた。
私「楽になれたのかもしれないよ」
友達「そんなんダメ、子供がおっきくなったとき孫が大きくなった時に父ちゃん爺ちゃん何してんだよって言われるような行動しちゃダメ、動物だもん」
そんなやりとりをした。(友達、原文使わせてもらうね)
すごく悲しんでいる友達に、自分を責めてほしくなくて言ったけれど、余計に悲しくさせてしまったかも。ことばって難しい。

そんなことは置いておいて、

私の命は、私のものだろうとぼんやり思っている。
それは、私が私でいることが苦しくなった時はその命を捨てていい、という論理とすこーし繋がっている。
もし友人が死んだら当然私は悲しむし、大切な人なら尚更、何もできなかった自分を悔やんでしまうだろうから、もちろん自ら死を選んでほしくない、と思う。

けれど、同時に「勝手に始まった人生だから好きに生きよう」というポリシーも持っているので、心の中で矛盾が起きる。
与えられることを拒めないようにできているのに、もう要らないと思った時は捨ててはいけないんだとしたら、命というもののなんと残酷なことか。

この先、状況が変わってくれる保証は無いけれど、変わらないという確証もない。
自分で操作できるものもあれば、どうしようもないものもある。
そして自分の慣れ親しんだ心の持ち方や姿勢を変えるのは時間がかかるし、簡単ではない。

そういう不確定な未来に向かって生きるのが人生だから、生きたい人もいれば、もう生きたくない人もいるものだろう。

そんな時、君にここにいてほしいんだと伝えてくれるひとがいたら、違う道が拓けたであろうひともいるだろう。それが響かないほど、意外と自分の認識を信じていて、疑わずに死んでいってしまう人も、もちろんいるだろう。

私の友達が、これ以上親しい人を失わないでほしい。

正しいことが何かなんてずっと分からない。
悲しいことや苦しいことが減ってほしい。
好きなひとには生きていてほしい。
嫌いなひとも違う形で生きていてほしい。
地球全体がきっとそういうエゴで傷つけ合い、時に、支え合っている。

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