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雨と夢

いつ書いたのか思い出せません。

外が雨で、耳を澄ませながらうとうとしていた時かもなあ、と思います。
しかもその時仕事中で、こそっとノートに手書きで書き始めたような。(仕事は?)

詩なのか小説なのか。
短いですが、しとしと降る雨を想像しながら、ぜひ読んでみてください。



 こんな夢を見た。

 


 おぎゃあ。おぎゃあ。

 赤んぼうだ。

 どこで泣いているんだろう。どうして泣いているんだろう。

 おぎゃあ。おぎゃあ。

 あ。

 あたしだ。

 この泣き声は、あたしの口から出ているんだ。

 おぎゃあ。おぎゃあ。

 あたしは泣いている。めいっぱい声を上げて。

 ただ泣いているんじゃない。

 あたしは涙を流している。



 えーん。えーん。

 あたしはまだ、泣いている。

 よたよたと足を踏み出しながら、泣いている。

 泣いているうちに、両足で立てるようになったのだ。

 そうとわかれば、歩かなければ。

 涙はぼたぼたと地面に落ちる。水滴に素足がすべって、転ぶ。

 えーん。えーん。

 でも、立たなければ。歩いていけない。

 あたしはぱしゃぱしゃ、いくつもの水たまりを踏みしめて歩く。



 わーん。わーん。

 あたしは泣き続ける。

 大粒の涙は、水たまりから小川をつくった。

 あたしは川の流れゆく先へ歩く。

 足がすんなり伸びてきて、あまり転ばなくもなったのに、あたしはまだまだ泣き続ける。

 わーん。わーん。

 小川は水を増して流れていく。

 くるぶしからひざこぞう、ももまで、水は深くなる。

 銀色の魚が、ふくらはぎをくすぐって横切っていく。

 あれほどすいすい泳げたなら、簡単なのに。こんなに泣くこともないのに。

 あたしは泣き続ける。

 川の流れは深く、はやく、広くなる。

 腰から胸へ。あたしの成長は追いつかない。

 溺れるように歩き続ける。

 わーん。わーん。

 泣きながら。

 とうとう足が届かなくなって、あたしは腕をかいて、足を広げて進む。

 流れに逆らうことはないけれど、流れるままになることはない。

 わーん。わーん。

 泣き声はやがて、がぼがぼと水に沈んだ。

 うわーん。うわーん。

 それでも口を開いて、水の中、遠く響かせる。

 涙が流れ続けていることは、あたしだけがもう、知っている。

 舌で感じる水の味が、だんだんしょっぱくなってくる。

 流れも大きく、ゆるやかに。うねるように。

 


 ざざあん。ざざあん。

 気が付くと、あたしはぽかりと海に浮いていた。

 もう泣いてはいなかった。けれど、涙は静かにこめかみを伝い続けるようだった。

 空を海鳥が、悠々と飛んでいた。

 あんな優れた翼があったら、あたしは漂うことなく、どこへでも行けるのに。遠く先を見通すこともできるのに。

 海の波に行き先はない。

 あたしはもうもがくことをしなかった。ただ揺られているだけだった。

 ざざあん。ざざあん。

 耳元へちゃぷちゃぷ水が寄せる。鳥たちが高いところで鳴き交わす。

 涙が海へ帰るものなのか、それとも海から細く汲み上げられるものなのか、わからなかった。

 ざざあん。ざざあん。

 目を閉じる。



 目が覚めると、忘れている。

 なぜ泣いているのか。どうしてここにいるのか。

 どうやって生きてきたんだろう。

 生まれた理由も。死ぬわけも。

 白い部屋を見つめる。

 しゅこー。しゅこー。

 口から管が伸びている。

 雨が降っているのかな。

 ざああ。ざああ。

 音がする。

 そう。あれは、雨、という。

 あの中の一滴は、あたしから流れ出たもの。

 額に、ごつごつした熱い手を感じる。

 ああ。あたしと同じ、しわくちゃの手。

 涙を落としているの?

 ざああ。ざああ。

 あの雨の中のひと雫は、あたしから流れ出たもの。

 どれかわからないもう一滴は、きっとこのひとから流れ出たもの。

 あたしも涙を落として、すうっと目を閉じる。

 ひと雫へひとり、帰るのだ。


 泣き声がする。雨の向こう。

 おぎゃあ。おぎゃあ。

 赤んぼう? ……。

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