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エッセイ⑭「ご機嫌な鼻歌」

たとえ不機嫌でも、自分をご機嫌に持ち上げるために歌うということもあります。
思い切り歌えたら、のびのびした気分は後からついてくる。

カラオケも好きなのですが、不思議と鼻歌には鼻歌の魅力があります。

わかる方、いらっしゃいますか?
そんなあなたもご機嫌な鼻歌仲間ですね〜♪


 自分の趣味は鼻歌と言えるのかもしれない。
 いつでもどこでもできる。いつ何時でもできる。そういう特技や趣味に憧れていたけれど、鼻歌こそそれの最たるものじゃないだろうか?
 
 ふだんから気がつくと歌っているけれど、音響がいいと思うところではなおさら歌が口を突いて出る。
 お風呂は断トツによいエコーがかかる場所だ。
 うちは吹き抜けなので、二階から一階へ向けて歌うのもこれまたよい響き。
 まだわたしの体が小さいころ、自分の寝室の窓から体を通しては屋根の上に出て、夜通し歌っていたこともあった。家の人にばれたらこっぴどく怒られていただろうが、屋根の先から足をぷらぷらさせてふんふん歌うのはとても気分がよいものだ。今は窓を外したってどうやってもつっかかるので、もう二度とできない、ずいぶんスリリングな夜の楽しみだったなあと思い返すばかりである。

 わたしの鼻歌は家の敷地内にとどまらない。
 外を散歩して歩く時も歌う。
 国道のように大きな通りだと、車がびゅんびゅん通り過ぎていくのでいい感じに掻き消され、気持ちよく声を張って歌うことができる。
 大声で歌い歩いている時に後ろから自転車で抜かされたりすると、聞こえていたかなとちょっぴり恥ずかしくなるが、それ以外では散歩は絶好の鼻歌チャンスだ。
 実は入院中も隙を見て歌っていた。部屋の音の響きが良かったものだから。
 他に歌う理由なんてない。そこによい響きのスポットがある限り、わたしは歌う。
 ただ、振り返って思う。
 他の入院患者さんにまる聞こえだったろう。さぞご迷惑だったことだろう……。

 思い出すと恥ずかしいのに、ふと思い立つと歌ってしまう。
 不思議な癖だ。
 けれど、自分の鼻歌ひとつで気分が上がってしまうなんて素敵なことに違いないじゃないか。どんなに暗く落ち込んでいても、好きなテンポで、正解・不正解のない自分のメロディを口ずさむと、すべては自分次第だと思えてしまう。わたしの心は自由なのだと思い知る。
 歌はとても古い時代からある表現方法だ。楽器のないころ、きっと原始人だってふとすれば歌っていたはず。
 歌は遥か昔から、ヒトの遺伝子のどこかはしっこに辛抱強くくっついている。
 生きていくのに必ずしも必要なものではない。
 けれどわたしのご機嫌は、いつも鼻歌と共に在る。

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