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こぼれないうちに、走り書く。

今日は朝から、官民色んな人との出会い(オンラインだけど)で興奮していて、着想モードがスパークしていまする。でも現実的に収束する系の仕事が立て込んでいるので、そっちをまずはやらなければ。てなわけで忘れないように自分用公開メモ。

■来年チャレンジしたいことがある。でもその手前に転がる石に躓いていた。石をどけることを人に頼ってみたら快諾してくれた上に、早速事態が動き始めた!

■ひとりで何とか8割レベルにやるのを目指すのではなく、「できません」「なので助けてください」「一方私はこれができます」「私のこの力をつかってください」「頼ってくれてありがとう」の方が圧倒的に早いし気持ちいいし質も高い。これのしあいっこで、人は生かされているのだと思う。エドワード・デシ先生の言う「関係性の欲求」でもある。そして天国のお箸だなといつも思う(他者への思いやりとかの意味ではなく、できないことをお互いに補い合うという意味で)
 
■「できないこと」を言っていこう。当事者研究しかり、傷を持つ人同士にしかできない救いがある。人は全然完璧なんかじゃない。完璧何それ美味しいの?私、ともすればキラキラ系に見えるらしいんだけど、仲の良い人はご存知ですが私ってばとってもヌメヌメ&へっぽこ系じゃないですかあ~。自分の弱いところ苦手なところを晒すことで「あ、あの人も人間だわ」「ああやって出していいのか…」と思える人が1人でもいるならそれでいいと思います。まじで。いやまじで。
 
■自分の辛さを癒す、救われていくために、何が必要なのか。しんどいことや悩みを人に相談できない、とはどういうことか。相手の時間を奪ってしまうと思うから?恥ずかしいから?いや、そもそも、自分が辛いということに気づいていないから?気づいてしまうとまずいから?気づいてしまうと、正気を保てない、戦いに負けてしまうから?

■戦いだとわかっていて戦っているならいいけども、気づいたらその戦いに没入しすぎて人間に戻れなくなっている人、狂戦士が多すぎやしないか?ベルセルクのガッツのように。人は感じやすく不完全である、でもそれこそが美しいと私は思う。日本の教育や産業構造の中で狂戦士化しないと生きてこれなかった人を、どうやって人間に戻していくのか。同時に、生まれながらの狂戦士が、周りの人間を傷つけずうまくやっていく方法はないのか。
 
■日本中を、みんなの編む編み物でやさしく覆っていくイメージがある。生きづらい人、困っている人が、すぐにその編み目にひっかかれるように。よいモノを編んでいる人や組織が、つながれるように。きれいな機械織の統一規格ではなく、多様で独自性のあるものが編まれていくが、決して分断していないように。穴があれば、そこを埋めることがビジネスになるように。うまくいった編み方を、誰もが真似したり、アレンジしたりできるように。糸を撚る人、羊を育てる人、羊飼いもがつながれるように。

読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。