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初学者へ、古典との向き合い方をガイダンスする [小川剛生『徒然草をよみなおす』ちくまプリマー新書/2020]


徒然草は、国語で習うので、誰でも知っている。その特徴は「無常観を主題とした遁世者の随筆」と解説されることが多い。が、そのような先入観的一般論は一旦横に置き、徒然草と著者・兼好法師自体にじっくり向き合って、読み直そうという本。

本書で提示される「兼好は遁世したといっても、本当に俗世間と縁を切っていたわけではなく、俗世間と関わって生活を営んでいた」「現代では意味不明な自慢話の羅列の段は、兼好の就業状況を踏まえると、実務の実績証明だとわかる」「徒然草は源氏物語・宇治十帖の影響を強く受けている」等の、新切り口や史実を踏まえて徒然草を読みなおせば、新発見がある・深読みができることがわかる。

という部分もあるんだけど、本書は、そういった知識本以上のものがあると思う。
私は、初学者向けの古典との向き合い方ガイダンスとして受け取った。本書には、徒然草に限らない、「自分(読者)が古典と向き合うためのヒント」がたくさん散りばめられている。


たとえば、こんなこと。

●「空の名残」や「まかり」といった、よくわからない言葉が出てきたときは、どうアプローチすればいいのか? 注釈書の解説をそのまま受け取るだけでなく、自分で検証する方法は?

●中世の和歌はどう読んだらいいのか? 地名を織り込んだ歌は、本当にその場に行って詠まれたのか? 和歌を読み解くうえで、どのような部分を「工夫がされている」と読み解けばいいのか?

これらは直接的にQA形式で書かれているわけではなく、私が読み取った内容。勉強のコツ・TIPSといった直裁的お役立ち情報にせず、文章を読んでいくと、しみじみと実感できるという構成になっている。読者がこの本を読んで、自分自身をかえりみて、あ、そういうことなんだ、と実感できる。その語り口が良い。

なお、「まかり」については、私、冒頭に提示される現代語訳引用を読んだ段階で、“実はよくわからない(わかっていない)”ということを知らずに、意味のわからない言葉が使われているなと思って、素直に古語辞典で調べちゃったよ。そしてわからなくて、困った。
このくだり、わざとわからない言葉を現代語訳中に残しておいて、あとから「いま、違和感のある、よくわからない言葉、あったでしょ?」的に解説がついてくる、推理小説構成だった。わざと意味不明の言葉を残してひっかかりを作っておくテクニック、うまい!!!

ほか、古典を読む上では、「現代の感性では理解できない価値観が存在すること」や「当時の知識層、および、リアルタイムだけでなく江戸時代に至るまでの長い期間、各時代において読者層が共有していた基礎知識(コンテクスト)」に注意を払うことが必要ということが、具体例を挙げながらやさしく紐解かれている。これらは全部当たり前のことではあるが、あらためてゆっくりと、わかりやすく、丁寧に書かれているのが非常に印象的。


こうして本書を読み通すと、単なる「徒然草を読み解くヒント」だけではない示唆が感じられる。
古典に向き合って読むには、それ単独の現代語訳や注釈があれば内容を理解できるというわけではなく、その時代自体を理解するための多大な知識のバックグラウンドが必要であること。その当時の社会情勢・社会常識や著者の境遇を調べること。また、自分自身で検証するアプローチの仕方を知っておかなくてはいけないということ。それを認識して手法を知り、コツコツ勉強していかないといけない……🌟ということが、徒然草の読み解きを通じて、初学者によくわかる仕組み。ちくま“プリマー=入門”新書で出すにふさわしい本だと思った。ちくまプリマー新書の性質からすると対象は中高生と思われますが、中高生時代にこんな本を読めるナウなヤング、恵まれてる……。

そして、この著者の方、まじで粘り強いと思う。
とにかく、ありとあらゆることが、ものすご〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜く丁寧。びっくりするくらい丁寧。普通、ここまで丁寧に説明できん。
かといって、単に「わかりやすく」、「カンタン」に書かれているという意味ではない。読者を「どうせよくわかんないんでしょ」と下に見ず、初心者・初学者というのは、そのジャンルにまだ知識がないだけで、好奇心をもったひとりの人として、丁寧・誠実に対峙しているということが、すごい。
初心者・初学者に対する侮り、絶対ダメなんだけど、初心者・初学者向けコンテンツでは、当たり前に横行している。
粘り強く、てらいなく、ストレートに、誠実に相手に向き合うこと。それを放棄しないスタンス。本当、すごい。尊敬する。


上記のように、本書は、説明の手順そのものや語り口が、非常にうまい。内容そのものは実際には高度だが、文章や構成が極めて平明。そして誠実。「人に伝える」ということ、すなわちコミュニケーションをとても大切にした本だと感じる。これは、誰にでもできる(書ける)ことではない。

私は、「人に伝える」という視点はとても大切だと思っている。
とくに、こういう古典関係のような、「一見とっつきにくい」と思われるジャンルでの、ジャンル外の人といかにコミュニケーションするかはとても重要だと感じる。知識を一方的に並べ立てたり、通り一遍の一般論を語るは簡単だけど、それで伝わってるのかな? 求められているのはそれなのかな? という視点を持つべきであると、常々感じる。「人に伝える」のはとても難しい。誰に何をどう伝えるかを整理した上で、手法に十分な検討が必要。

この本のように、「人に伝える」ということを大切にして、自分の興味ジャンルでも同じことができないかを考えてみる。

たとえば、古典芸能の初心者向けコンテンツや講座コンテンツ。コンテンツ自体はものすごくたくさんある。でも、「伝える」および「コミュニケーション」という視点からすると、えらい粗雑なもんが多いなーと思っている。発信側が「コミュニケーション初心者」であってはいけない。

ことに文楽は、よい本が、正直、あんまりないと思う。なさすぎだと思う。業界を代表する専門家が書いた本でも、「何これ?」なものがある。歌舞伎や能楽のようにマーケットが大きく、コンテンツの競合が激しいジャンルならまだ読者側にも選択肢があり、クオリティの高いものも増えてくると思うんだけど、マーケットが小さいジャンルだからでしょうか……。文楽でも、この『徒然草をよみなおす』や、中川右介『歌舞伎一年生』のような本が、文楽でも出版されると嬉しいと、思っているけど……。

自分自身としては、この本の「向き合い方」の提案、「わからないことへ向き合う手法を知らせる」という視点、とても重要だなと感じたので、それをいかしたことを考えてみたいと思った。


さて、それとはまた違う位相の話ではあるけど……、この本がさらにすごいのは、文章そのものにも読み応えがあり、著者の人となりも感じられ、親しみがわくところ(何様やねん)。いままでは徒然草に全然興味がなかったが、試しにちょっと読んでみようかな……と思った。文章がとてもうまい人だと感じた。そういう本は、やっぱり、魅力的。

題材は、一見、地味。でも、それを超えて、人を動かすことができる文章というのは、本当にすごいことだと思う。


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