壮絶な人生を垣間見て、、、、
真魚八重子さんの「心の癒やし方日記」を読んで、感じたこと。
京都ライター塾(https://note.com/ezu1030/n/n7dbbbbe418d2)主宰の江角悠子さんが、「一気読みしてしまった」と言っていたので、読んで見た。
いつもなら、通勤電車内だけが私の読書時間なのだけれど、この本はあまりにも衝撃的波瀾万丈人生だったため、次どうなるの?という思いが湧き上がり、江角さん同様、他のことの時間も惜しんで一気読みしてしまった。
実家に帰るとゴミ屋敷だったことから始まり、人生転がり落ちるように悪いことばかりが起きた。それをblogで綴っていたことがきっかけで書籍の出版にまでなったお話。読み進めるうちに普通に暮らしている人からすると、こんなことが立て続けに起きるの?と疑うほどに負の連鎖。
ゴミ屋敷は他人事ではない
兄が亡くなって、実家に帰るとゴミ屋敷だった。実家の母は一人暮らしをしていたのだが、筆者はほとんど実家に帰ることが少なかったという。
私ごとに照らし合わせると、自分と似ているなぁと思った。さすがにゴミ屋敷になっていたということはなかったのだが、それも兄が時々実家に顔を出しては世話を焼いていたからだった。
ゴミ屋敷になってしまう人は、片付けるという習慣がないことが、そもそもの原因なのだろうけれど、普段から疲れやすく何か行動を起こすエネルギーが不足しているということもあると思う。
私自身、何か行動を起こすためのエネルギーがなくなり、1日中寝て過ごすことも度々ある。周りを見渡すとなんでそんなにいつも元気でいられるの?と思うくらいにバイタリティー溢れる人もいるのだ。
その差は何なのだろうといつも思う。
ゴミ屋敷問題。我が家でも、私がいなくなったらどうなるんだろうと時々思う時がある。考えると恐ろしくなるので、ますます健康でいよう、心身の健康に気を遣おうと思うのだ。
他人によりかかることの大切さ
母親の頑固さと経験してきたことのトラウマによっても筆者は苦しめられる。さらに認知症が進んでいったため、筆者の思い通りにことが進まない。東京と愛知という距離も筆者を苦しめた。
母親への対処に一番苦労したのは、やはり距離だったのだろう。時間にルーズな司法書士との対応も拍車をかけた。
読み進めるうちに、こんなに問題ありありな人ばかりの対応を余儀なくされれば誰でもそうなるよねと思う。
ただ、少しだけ一歩引いて考えると、自分がいなくても葬儀は滞りなく済んだようだし、少なくとも自分がいなくてもなんとかことが進んでいく場面のあるのだ。そういう面に少しでも気が回れば、もう少し他人に寄りかかって生きても良いんじゃないかなあと思った。
わかってもらわなくても良いのでは?
この日記の最初に登場するこの方の兄というのがものすごい方だった。この兄の所業が全てを狂わせたのかもしれない。と思うのだが、筆者はこの兄や母の悪いところの血は私にも流れているので怖いという。
このくだりを読んだ時に、筆者は内向的な性格なのかなと思って読み進んだ。案の定、何をやるにも自分を責める性格だった。さらに責任感が人一倍強い性格も祟ったのかもしれない。
Twitterでネット炎上を経験して自殺未遂を図った後ですら、Twitter上に現れて炎上したネット発言に対して謝罪をしている。
たぶん、私だったら、Twitterアカウントを削除して、Twitterには近づかなかっただろう。もしかしたら別名でTwitterを始めていたかも知れない。
責任感が強い筆者は、なんとか人に対してわかってもらおうと努力するのだが、攻撃してくるような人は、客観的に物事をみることが出来ない人だから平気で人を攻撃してくるのだと私は思う。客観的に見れない人にいくら弁明してもわかってもらえない。筆者は、そのジレンマと今も戦っているのだろうか。
最後に
本を出すということは、本を出せるほどに回復しているのだろうけれど、鬱病は揺り戻しのある病だと聴く。もう少し自分以外の人に寄りかかって楽に生きほしいなあと思った。
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