太宰と三島と拒食とマッチョ③
「三島好きは太宰ファンよりずっと屈折している。救いがない」
これは今から25年前、僕が作詞家の売野雅勇を論じた際に、書いた一節だ(売野は、愛読する作家に三島由紀夫とサリンジャーを挙げていた)。
若気の至りで、ずいぶん強気な物言いだけど(苦笑)この考え自体は、変わっていない。それは三島と太宰治という、ある意味似たところもある二人の作家を、決定的に分かつものが「人恋しさ」に対するスタンスだと思うからだ。
文学青年だった三島が、流行作家になっていた太宰に会いに行き、
「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」
と、毒づいた際、太宰が、
「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」
と、答えたという話を、以前どこかで紹介したけど、初対面の若者の「嫌い」という発言をも「好き」という感情の裏返しだ、という方向に持って行くあたりが、太宰だった。それゆえ、その文学にも「人恋しさ」のようなものが、常に感じられるのだけど、そういう「人恋しさ」は、三島の文学にはほとんどない。太宰が終生持ち続けたものを「甘さ」や「弱さ」だとして、切り捨てたのが、三島だった。
実際、三島は、自分がそういう目(見知らぬ青年に毒づかれること)に遭った場合、いきなり毒づいてくるような「青臭さの全部をゆるさない」とした上で、
「私は大人っぽく笑ってすりぬけるか、きこえないふりをするだろう」
と、書いている。そして「『こうして来てるんだから、好きなんだ』などとは言わない」と、さらに強調して、それが両者の「文学のちがい」なのだと断じている。
つまり、僕がここで言わんとすることは、とっくの昔に、三島自身が分析しちゃってるわけだけど……「人恋しさ」という、ちょうどいいキーワードが見つかったので、自分の発見みたいにして、記事にしてみた。
人恋しさを切り捨てた三島が、自らの文学や肉体を、マッチョ化していったのは、必然とはいえ、そういうやり方は、あまりメジャーではない。むしろ、太宰のように、弱さや甘さをも武器にしながら、関心を惹こうとする、拒食的なアプローチのほうが、まだ理解されやすいのではないか。
もっとも、晩年に、師にあたる川端康成に宛てた手紙などを見ると、三島も、人恋しさから完全には離れられなかったようで、そこから逃れるには、人間をやめる(=自殺する)しか、他に方法がなかったんだな、と思ったりもする。
その点、同じ自殺でも、人恋しさの成れの果てみたいな、心中死をした太宰とは、やはり違うということか。冒頭の「救いがない」は大げさにしても、人恋しさを切り捨てて生きようとするほうが、大変な気がする。でも、三島が好きな人は、そういうストイックというか、妥協しないスタンスに惹かれるんだろうな。
(初出「痩せ姫の光と影」2010年10月)