昨日までの風景(11)

兄から来た便りの冒頭に こんな文がありました。

「お便りありがとう。文才はどこから学んだのですか、懐かしく読ませてもらいました。母親は生きる哲学の祖、日本の戦後復興も母親の生き様エネルギー、明治、大正、昭和の賜です。今の日本の…」

とありました。
4人姉妹のたった一人の長男としての想い、苦い戦争を一番多感な青春期に経験した分 社会及び世界情勢や状況を敏感に分析するなど、昔と同じようにちっとも変わらない兄を愛おしく思いました。

その中でも
「文才はどこから学んだのですか、なつかしく読ませてもらいました」  について、書いてみようと思います。


 私が中学にあがったとき、クラス名簿の前にいた子がチカちゃんでした。
おとなしくて、とても文学少女だったことを覚えています。
そのチカちゃんには年の離れたお兄ちゃんがいて、もう大学生だったと記憶しています。チカちゃんの影響を受けたのか、私たちは交換日記を始めましたが、いつの間にか詩の交換になっていました。2年生になってクラスが離れると交換することも自然消滅してしまいました。

 2年生の夏休みに私は短い小説を書きました。
そのころ兄も小説を書いていたのですが、薬局が忙しくなると
「小説なんか書いていると、肺病になるわ!」と言って薬局に専念したのを思い出します。

 その夏休みに書いた主人公の女の子の名前を兄に相談して「冴子」に決まりました。
そして題名も「冴子のこと」と兄がつけてくれました。
 初めて書いた上に、自分の境遇をテーマーにしたものですから、夏休みの宿題として提出した後、クラスのほとんどが回し読みしたので大恥をかいたような気分でした。
 家でも評判になり、家族を集めて「冴子のこと」を読むことになり、私は嫌で嫌でたまらなくなって、布団を被って寝たふりをしたものです。
翌日、母が「あんたの気持ちよ~わかるわ」と言ったことで「へ~」と思ったものでした。
 お兄ちゃんは忘れていると思いますが、私は今でも主人公の名前は「冴子」しか浮かばないのです。
お兄ちゃんがたずねてくれた「文才」はどうか?は「?」と思いますが、 「文を書く」 きっかけは「お兄ちゃん」だったんですよ。

それから、お兄ちゃんも誰も知らないことがあります。

娘が「note」を紹介してくれたときに「私の原点」としてはじめて「note」記事に出しました。それも、いい思い出として印刷して送りますね。

父親代わりのような存在で、大きな沢山の苦労をして、今、きっと休養の時なのだと思います。どうぞ、ゆっくりご静養くださいね。それが一番早く治る近道なんですから…

いづれ時を見計らって お伺いいたします。
それまで静かにご静養ください。重ねてお願いいたします。

                             かしこ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?