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ほしになるひ(3)

 昼下がりの静かな午後、彼らは昼食を終えて、ソファでそれぞれ本を読んだり編み物をしたりして過ごしていた。その横でわたしはガラス窓から差し込む春のやわらかな陽射しの温かさに包まれまどろんでいた。わたしの大好きな時間。愛するアークとデボラと、そして、わたし。わたしがここにいてもいいという安心感に包まれて幸せだった。

 夕方になると、近くの小学校から子どもたちに帰宅を知らせる音楽が聞こえてくる。それがいつもわたしとアークが散歩に行く合図になっていた。 わたしは立ち上がると、前足を大きく伸ばした。窓を見上げると太陽が西に大きく傾き始め、部屋の中の家具の影がさっきよりもいっそう長くなっている。アークは本を読んでいるうちに眠ってしまったようで、デボラが作ったニットのブランケットがそっと掛けてあった。わたしはアークのそばへ行くと、編み物をしていたデボラが手を止めて、             「あなた、散歩の時間よ」と彼の頬にやさしくキスをした。目を覚ました彼は、わたしがすぐそばで尻尾を大きく振っているのを見ると、      「スピカのその透き通るブルーの瞳に見つめられると、たまらんねえ」と、くしゃくしゃとわたしの顔を撫でて微笑み、散歩の準備を始めた。    わたしはアークと散歩へ行ける喜びで青い瞳がいっそう輝いた。

 アークとの散歩は特別なものだった。走ることが得意なわたしにとって アークと共に走れることは この上なく楽しいことだからだ。アークがスケートボードに乗って、それをわたしが引っ張って走るのだ。         家を出て、しばらく行くとこの街で一番大きな公園がある。かつては貯水池だったところが、年とともにだんだん整備されて池の周りに遊歩道やサイクリングロードができ、子どもたちが遊べる遊具や芝生の広場が作られたりして、今はこの街の人々の憩いの場となっている。

 わたしたちが散歩に出たときは、夕暮れ時だったので、人々は家路に向かっていて、もう公園で過ごしている人たちはまばらであった。        リードをつけてもらって、公園まではゆっくりと歩調を合わせて歩き、公園のサイクリングロードに着くと アークはスケートボードに乗りながら、わたしを上手く進行方向に導いてわたしは走る。もう彼とのコンビは長いので慣れたもので、そんなわたしたちを通りすがりの人たちは微笑ましく見ている。時折、わたしたちのことを知っている人に出会うと、アークは立ち止って少し会話を交わしたりして、その時、一緒にいるわたしの顔見知りの友だちもアークとの散歩をいつも羨ましいと言ってくれる。彼らもかつてどこかの土地を守るために生まれ、そして、そこの人間と契りを結んでいた仲間だ

 冬が終わり、昼と夜がようやく逆転して、日に日にゆっくりと日が暮れるようになり始めるこの季節がわたしは大好きだ。冬の寒さに強いわたしも、夜が長い冬はいつも遠い昔の夢を見る。でも、それがいつの夢なのか、わたしにはどうしても思い出すことができない。

 わたしが彼らと暮らすようになった頃は、まだ公園の木々は植えられたばかりで どれも若くてほっそりとしていた。でも、その若い木々から薄い ピンクの花が一斉に咲き、一週間の短さで命をちらしていくことをわたしは知った。そして、次のこの季節が巡ってきたときにも同じことが起こるのだ春を知らせる南からの強い風が吹くと、冬の間に枯れてしまったと思われていた枝から、彼らは再び目を覚まし息を吹き返して薄いピンクの可憐な花を木々いっぱいに咲かせ、そして、また一週間の命で散ってゆくのだ。   あまりにも潔く。

 何度もこの季節を知り、わたしはその花と出会って別れを重ねるうちに、それは決して彼らの死を意味するものではなく、次の季節の花たちを咲かせるための儀式なのだと思うようになった。

 貯水池の周りに植えられたその木たちは、そろそろ花を咲かせ初めていたたくさんの花をつけているものもあれば、まだ冬の寒さから遅く目覚めるものもいて、サイクリングロードの両側に植えられたその花のトンネルに、わたしは「こんにちは、こんにちは!」と言いながら、アークの乗ったスケートボードを引きながら駆け出した。時々、アークが地面を蹴ってスピードを上げるのを手伝ってくれると、わたしの心はさらに高鳴り、前へ前へと気持ちも逸るのだった。池を何回かまわって走り終えた頃にはすっかり日も暮れて、辺りは暗く公園の街灯が点いているだけだった。          公園にある水飲み場にアークはわたしを連れて行って、美味しい水をたっぷり飲ませてくれた。まだ、息の整わないわたしを見て、ベンチを見つけると彼はスケートボードの端を足で一踏みすると、ボードは操られたようにアークの腕の中にすっぽり収まり、彼は腰を下ろした。           「今日はいつもよりたくさん走ったね、スピカ、すごいぞ」        彼はわたしの体を撫でながら、持ってきた携帯用のドリンクボトルで自分の喉も潤した。わたしはアークのそばに寄り添うように座ると心の中で思ったあの頃からすれば、ずいぶん年を取ってしまったかもしれないけど、まだ、大丈夫でしょ!と。                         「スピカ、見てごらん」彼は日が暮れた夜空を指した。        「あの星がスピカという星だよ」                    「星の名前?」                           「そう、スピカというのは星の名前なんだ。デボラがつけたんだよ。こうやってお前と出会えたのも、デボラがあそこへぼくを連れて行ってくれたおかげなんだ。ぼくたちは子どもがいない。待ち望んでいたけれど、コウノトリはどうやら僕たちのところにやって来るのを忘れてしまっているみたい…」「子ども?」                            「そう、今スピカと僕、そして、デボラが家族であるように、スピカが内に来る前にデボラのお腹の中には僕たちの子が宿っていて、本当は家族になるはずだったんだ。でも、ちょっとしたことがあって、その子はこの世界に生まれてくることなく亡くなってしまったんだ」             「そのとき、デボラは悲しんだ?」                  「うん、それはずっと長く待ち望んでいたことだったからね。もちろん僕もだけれど…」                             「わたしがここへ来る前に、そんな悲しい出来事があったのね」     「でも、今、僕とデボラは幸せだよ。だって、スピカがいてくれるから」  アークは再び夜空を指さし、北斗七星を目印に真珠のように輝く星を見つけ「お前を家族に迎えようと決めた日、デボラがおとめ座というのもあってね、おとめ座の中でも一番明るい星であるスピカという星の名前をつけようと二人で話し合って決めたんだ。スピカ、お前はデボラの分身だよ。お前の持つその美しい瞳、そして、銀色をした毛並み、力強い走り、そして、いつもぼくたちを楽しませてくれる。小さなときにはいたずらをして困らせたりしたけれど、それらすべてを持つお前は、僕たちの望んでいたそのものだったんだよ」                                「でも、今ではあなたの年よりずっと上になってしまったわね」     アークが指さしたおとめ座にある一番明るい星を見上げて少し寂しくわたしは言った。「わたしはあなたよりも、早く年を取ってしまうみたい」   「そんなこと気にすることはないさ、これからも僕たちは家族だ。ずっと 一緒だよ」アークはわたしの頭を撫でた。               「わたし、アークとデボラとならどこまでも駆けていけるわ、きっと!」  わたしはアークの膝に顔を近づけてキスのおねだりをした。                           

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