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消されるはずだったもの

 2020年11月7日娘の死から娘のことや作品を書かせていただき、 ほっとしていた矢先、古い書籍の間から 閉じられたA4紙の入って膨れ上がった茶封筒を見つけた。

 もう何十年も前のヨレヨレになった古い茶封筒には ぎっしりと手書きやPCを使って書いた詩や作品が入っていた。
きっと、娘が京都で一人暮らしをしていた時に書かれたのでは…?

それを開けて広げてみる。もうPCのインクが消え読めないような作品が二冊

一冊は題名がない15枚を半分に折った30ページの物語。
もう一冊は52ページの「MISTY BLUE~なみだいろに さようなら」

私は まず「詩」を選んだ。
そして「詩」から「note」に写した。
書き写しながら 娘の「詩」を読んでいく。

「皆様、よく我慢して読んでくださいました。
ありがとうございます」




そして、これから 消えかけた作品を 掘り起こそうと思っている。


実らなかった初恋に心を痛めながら、必死で生きていこうとして書かれた「詩」に母も心を痛めながら心を打たれ読み進んでいました。

「note」に発表しない方がいいと思いつつ私自身、娘の「詩」に魅かれ書いてしまっていたのです。

 そこから見えてきたものは 去って行った「彼」だけが悪いのではなく、 むしろ母である私や周りの者に原因があったことがはっきりしました。

そして、その背景にあるものを 弁解がましい記事をかくつもりはないけれど、書かざる負えない気がしてきたのです。

 それはさかのぼれば、「アダムとイブ」の話までさかのぼることにもなる かもしれない、そして今、ジェンダー問題として…、又 皇室の後継者問題まで… 根深い問題かもしれない。しかし、只、人間としての「子育て」の 「愛の問題」だということを…。

この大きなテーマを前に 今 わたしは戸惑い 時間が止まっているのです










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