見出し画像

私はこれで‘‘こえわずらい‘‘になりました

続:地声と裏声

 今日は6月26日(日)この一週間は激動だった。
6月20日(月) 高校のクラブの同窓会
  21日(火) ボーカル教室
  22日(水) ボーカルの先生と京都の「東華采館」へ
  23日(木) 高齢者のサロン「なごみ」

月一のお医者さんが 重なる週はあるけれど、
こんなにスケジュールが入る週は珍しい。

6月20日(月): 高校「音楽クラブ」の同窓会

 何年ぶりかも思い出せない久しぶりの「ドレミの会」の同窓会
総勢8名、私たち仲良し同級生女子5名+男子1名の6人組は 一年上の先輩3名ととても仲が良かった。しかし、残念ながら先輩1名を残して2名は先に旅立たれていた。
それだけだと総勢7名になる。総勢8名とは…

 と、いうことで奥様について来てもらうことになった。

 そのお元気な先輩から、いつも同窓会の催促が入る。
催促のメールが入るのは 私ともう一人のところ。
しかし、もう一人の彼女は音楽大学声学科の先生をしていて、退職した後も
コンクールの審査員をするなど忙しい。当然専業主婦の私が幹事をやることになる。
「ドレミの会」の人は京都在住が多く、京都を離れて40年の私にとって、すっかり変わってしまった町のお店探しがとても難儀する。そこで、
「京都在住の人が幹事をしてほしい」と願い出た。
ところが、誰も積極的でなく、とうとう私は
「こちらに来てくれるなら!」と引き受けた。

当日、京阪電車の駅中央改札口11時集合、そのまま駅前のTサイトビルの8階にある「台湾料理店」に案内して、会が始まった。
無礼講な円卓を囲んでの何年振りかの同窓会は 群れるツバメの子のようにピーチク パーチクおしゃべりに花が咲いた。個室とは言え、ドッと笑いが何回も起き、お店の人に注意される。
予約の時間:2時間が過ぎたのでその店を出て、散歩がてらイーオンの3階へ移動して又もやおしゃべりは止まらない。2名の耳の遠い人がいて、その内女性一人は補聴器をつけてくれていた。後の一名が奥様付きのあの人で、大きな声を張り上げて二つに分けてあった私等のテーブルの一人に 大きな声で話しかけ、私等の話が聞えにくくなった。そこで私は「地声と裏声の違い」を思い出し元音大の声学科の彼女に聞いてみた。

「地声は今しゃべってる声で 裏声はもっと高い声。
一回 高~い 優し~い声で しゃべって見!」 
その時、私の声はすでにハスキーボイスどころか声が枯れていて 低いだみ声しか出なかった。
「甲状腺の手術したやろ? 甲状腺の手術した人は声帯 気を付けんと声 出んようになるえ。ボーカルのレッスンも声帯痛めやすいから、止めといた方がええわ。私 生徒さんの甲状腺を見つけたことあるから…」
そういえば、私には思い当たることがあった。

 私が40代のころ、甲状腺の手術をした。その後、声帯にポリープが出来て声が出なくなったことがあった。まさに そのことなんだ!

「しゃべり過ぎたら あかんえ~」と言われ「そうやな~」と観念した。

「もう、4時や!」
「ホント?早いなあ」という声で、重い足取りで駅に向かう。
その時、私が気づいたのは
【元声楽の先生(声楽は姿勢が大事)と元美容師育成学校の先生(毎朝2㎞の水泳をしている)以外、みんな前か横に傾いで歩いていた】ということだった。

 別れてから、私は 先輩の横に傾き重そうな体を引きずるように歩いている姿が 妙に頭に残った。以前、同級生男子の奥様が付いてこられることになった時、先輩の奥様もお誘いして はじめて奥様が「肺気腫」を患っておられることを知った。錦市場によく買い物に出かけられることは聞いていたがその奥様をお世話されていていることは 一言も口にされなかったけれど先輩の体の歪みで私はわかった。だから「お疲れは出ていませんか?」とメールした。
すると、直ぐに返事が来た。

「メールありがとうございます。皆さんのパワフルな会話に 楽しかった高校時代を思いだしました。そして、私も一年分の元気が湧き出てきました。この元気で、来年まで大丈夫だとの自信が持てました。来年をたのしみにしています。」


6月21日(火):ボーカルのレッスン日

 ボーカルのレッスンは午後からなので、私はヤマハ音楽教室に電話をして今回のレッスンで退会することを告げた。
理由は「声帯の老化」
午後、最後のレッスンになる理由を説明して、翌日の京都行の約束を確認して 教室を後にした。

6月22日(水):東華采館

 「雨が降ると予報で言っていたのが、めっちゃ晴れてきましたねえ」
京都四条大橋の南角の袂にある「東華采館」の前での待ち合わせ。
築100年の石造りの館に 喜んでくださっている先生の声が軽やかに響くいつもは数人で来るので個室だが、今回は二人なので2階の大部屋に案内された。
100年前アメリカから買ったというジャバラのエレベーター、降りると
「うわ~、めっちゃ、開放感ある~!」

大部屋三方の窓一面に広がる鴨川の堤の緑と空、そして川沿いの鄙びた町家の瓦屋根が 等間隔に吊られた窓辺の赤い提灯の間に見え隠れして、ボーカルの先生の高~いコロコロとした声の可愛らしさと共に、私の感動も倍増する。
「先生の声は 裏声?」
「そうですねえ。裏声の方が出しやすいし」と先生、「可愛らしい!」と 私が受け継いで「今日、私は先生に 囁きますね!」と笑った。
「今回が最初で最後?」
「残念ですねえ」
「ですから、大いに楽しみましょう!」
そこで、二人はメニューを広げた。

「食後は 少し川べりでも?」
「歩きましょう!あるきましょう!」
「どちらの川べり?」
「こっち!」
「それなら、向いへ渡って下へいきましょう」
車道を渡ると、幸楽屋に行きついた。
「おみやげ買って帰りた~い」
「じゃあ、帰りにね! あ、ここ『先斗町』、入って見る?」
私たちは四条大橋の北西の袂にある「KOUBAN」の横の細い石畳を入っていった。

 昼間の先斗町は健康的な雰囲気だった。狭い石道路と軒先に吊るされた【千鳥】と【鴨川おどり】が白抜きされた小ぶりな赤い提灯が 花街の情緒をかきたてる。
「ふ~ん、こんなところがあるんだ~!」と、感激の先生
すると、いきなり細い暗~い道が現れる。
「ここは『ろおじ』と言って、路地なんだけれど京都弁で訛って『ろおじ』というんだけどね。あちらの道路につながってるのもあるけど 行き止まりのもあるんよ。平城京から移転した時には碁盤の目につくられたんやけど、何回も戦があって焼野原になったところで、ぽつりぽつりと出来てきた町衆の家が行きやすいように勝手に出来た道路を、豊臣秀吉が敵を欺くためにこの「ろおじ」を沢山作って利用したんやて。ここ、入ってみる?夜は怖いけど、昼間でふたりやから…」
先生はにっこりクビを縦に振った。

昼なお暗い「ろおじ」は何十年経っていてもドキドキする。
これって、どこに出るんだっけ?
あ、高瀬川だ!
これが 京都の醍醐味なんだろうなあ
「ここ又 入っていいですか?」と先生、なかなか探求心のあるおひと!
そこで二人は また、別の「ろおじ」に入る。と、あ!先斗町に出た。
そこには 古くて大きな建物があった。
「ここが歌舞練場といって、舞子さんや芸子さんの発表会の場、毎年春になると『都おどりは よ~いやさ~』って 黄色い声で始まるんよ。私、あの声聞くと 鳥肌が出るんよ」
「え~、鳥肌ですか~?」
「そうなんよ、鐘や太鼓と共に『よ~いやさ~』ってのは、何とも色気を掻き立てられるようで…」

私は 知っていることを 折に触れ話していた。

囁くどころか普通の声より少し小さな声で雄弁に…!

 三条まで先斗町を歩いて、鴨川の堤を歩く。
お天道様が高く陽が当たっているから、アベックは一組しかいなかった。
「ここ、有名なデートスポットなんですよね!」 よくご存じ!
「そう、夕方になるとね」と私が言うと
「等間隔に座る!」二人は同時にハモって、笑いあった。
気持ちのいいお天気で、
「雨の予報が なんで?」という先生に
「きっと、娘が晴れにしてくれてるんよ!」というと、先生は娘の名前を聞いて「かわいい名前!」といって、天に向かって「ありがとう!」って言ってくださった。

そして、「幸楽屋」に戻り、お家の方へ 私 お勧めの「りゅうひ」の入った「鮎菓子」をおみやげにされた。

6月23日(木):高齢者サロン「なごみ」

 22日の夜「なごみ」のリーダーさんから電話が入り、明日の「なごみ」の流れを教えてくださった。その時、もう 声は辛うじて出るようなハスキーボイスだったので、リーダーさんが驚かれ 当日皆さんとあまりしゃべらないように!と、席を準備してくださっていた。

「なごみ」当日も雲は厚めだったが 晴れ間もあり、みんなで「よかったねえ」と言い合いながら、足の悪い二人はトレッキングスタイルでゆっくりと私とお耳の遠い87歳はかろうじて足が動いたので、ちょっと行っては彼女たちを待ちながら集会場に着いた。

その翌日、私はリーダーさんにメールをした。
「昨日はありがとうございました。何もかもお手伝いできませんでしたが、今回の「なごみ」は大成功でしたね。00さんのステキなバイオリンの曲が流れ、交野が原の天の川伝説の説明など高尚な時間を過ごすことができました。これからも&さん(バイオリ奏者)に加わっていただきたいですね。$さん(長らく折り紙など関わってくださっている方)の陰での活躍が、$さんらしく控えめで心打たれました。そして何より福祉会長ご夫妻や民生委員さんその他の方々のご活躍があたたかく伝わり、参加者一同満足して帰りましたこと、ぜひとも皆様にお伝えしたくメールいたしました。ありがとうございました。まだ、27日も控えています。どうか皆様お体ご自愛の上次回も楽しみにしております。
追伸:ご心配おかけしてます私の声枯れも少しづつ回復しておりますのでご安心くださいね。ありがとうございました。


 今日は6月27日(月)
 25日は2軒の電話以外一日中 私は眠りこけていた。
お経を読むのも 黙読から、チン~!の手合わせで済ます。
26日は 静にしづかに口を開かずにいていよう!と思ったけど やっぱり、 新聞の集金、と3軒の電話が入った。
みんな「どうしたん?…大事にしてね!」と早々に切ってくれた。

如何に 常日頃 しゃべり倒しているか がわかる。

わたしは いま こえわずらいの 真っ最中!

<結論>
 声帯を守るため お経は挙げません。お線香もやっぱりアレルギーが反応しました。
 耳の遠いお人は避けましょう。
大きな声でなく、柔らかい高音の裏声で話しましょう。
スケジュールの入れ方を考えましょう(ボーカルが抜けると随分ちがう!)

以上、私はこうして「こえわずらい」をしてしまいました。

80歳になる前に!と思って張り切ったことが全部いけなかったようです。
これからは 静かにこころ穏やかに80歳を迎えることにいたしました。

皆様、よくぞここまでお付き合いくださいましたこと!感謝いたします。
ありがとうございました。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?