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今、あのひとは…【2】

従兄弟への手紙

前略失礼いたします。
 新年をお迎えになりその後如何おすごしでしょうか?
いつも年賀状に来るべき年の抱負を書いておられ、さすがは!と感心しております。
今年の年賀状に自筆で「父が頂いた絵、私の書斎に掲げています。懐かしさで一杯です」と書いてくださり、私の方こそ有難く懐かしく、お手紙を書きたくなりパソコンに向かった次第です。
 いとこ同士でありながら自由に行き来できなかったことは残念ですが、こうして 昔を懐かしく想える私たちはしあわせかもしれませんね。

 ところで、書斎に掛けていただいている絵はどんな「絵」でしたっけ?
私のことだから きっと拙い絵を図々しく叔父様にもらっていただいたのではないかと思うのですが、それをたいせつにしていただいているなんて…
私の方こそお礼を言わないといけませんね。
本当にありがとうございます。恐縮と感謝でいっぱいです。

 私の方は お陰でシングルになったものの、娘の友人が私の友達になってくれていますので、どのくらい続くかわかりませんが、寂しくないと言っても過言ではない日々を送ることが出来ております。

 娘は病名がついた時点で余命も告げられました。その時、猫を飼っていましたので 猫の餌と猫砂をAmazonで購入する方法を教えてくれ、その時「私『note』やってたけど、お母さんもやりたい?」と聞いてくれましたので、「やりたい!」と答えましたら、パソコンの「note」の入り方を教えてくれました。
 ご存じかもわかりませんが、ペンネームで自分の書いたものを自由に投稿できるサイトでした。ペンネームでしたので私の思いを思いっきり書くことができ、その中でメールを交換できる人も何人かできました。

 もし、およろしければ「note」の入り方をご案内いたしておきますので、覗いてみていただけたら幸甚です。

一度お会いしたいですね。もし、お会い出来るんでしたら、駅までお迎えにいきますよ。積る話がしたいですね。
 季節柄、くれぐれもご自愛くださいますように、ご健康を祈っております


 この手紙をかいたのは年賀状を頂いた一週間後の1月8日だった。
私の父が8人兄弟の次男で 彼の父は末っ子だった。その末っ子の叔父が母親(私たちからは祖母)の面倒を最後までみてくれた。
当然 叔父の妻が主たるお世話をしてくれたのだが…。

 元々、舞鶴で海産物問屋をしていた家の次男である私の父もしばらくの間、その家で同居していたことがあったらしい。が「嫁いびりの酷さに父と母は家を出た」っと、聞いたことがある。「それほどの姑さん」をお世話なさった叔母さんということで、私の母はいつも叔母さんのことを褒めていた
だから…という訳だけでなく、遊びに訪れた私たちを迎えてくれる叔母さんの変わらぬ優しさが 私の「目標」だったのだ。

 なぜ、「憧れ」ではなく「目標」だったのか?
私の両親から 生まれ育った私があのような「やさしい愛」を持ち合わせていないことを私自身知っていたから…。と、いうこともあったが  
叔母さんという人が 忍耐の人であり努力の人であり、その上私たちには持ち合わせていない「あたたかな愛情」の持ち主であったから…。 至らぬ私には「憧れ」を通り越して「目標」となった。

「あのような女性になりたい!」と、

 舞鶴から家族全員で京都に引っ越してきた叔父がいよいよ有料老人ホームに入るという知らせを受けた私は 京都の下賀茂の叔父に会いに行った。 その時長女のA子ちゃんが迎えてくれた。A子ちゃんの近くにあるホームに 入居するとのことでお手伝いに来ていたのだ。
 叔父さんは私が誰なのか思い出せそうで思い出せないようなつぶらな瞳でジッと私を見つめていた。
「もう、父は誰なのか 分らんと思うわ。私たちはどうにか分かるようで、帰る時バイバイしたらバイバイをしてくれるから…」とA子ちゃんが言った。
私は叔父のそばで正座して俯いている叔母さんに話かけた。
「叔母さん、私は小さい時から叔母さんのような人になりたい!と、思ってやって来て今があります。ありがとうございました」
私の両手は叔母さんの手を包んでいた。
おばさんは俯いたきり顔をあげずに泣いていた。

 そして お暇をする時が来て「叔父さん、ありがとうございました」と 言って、まだつぶらな瞳で見つめている叔父に手を振った。
側からA子ちゃんが「バイバイ」と声をかけてくれた。
私も手を振りながら「バイバイ!」と言って笑った。その時、叔父さんが ゆるりと手を挙げ2,3回ゆっくり手を振ってくれたのだ。 
A子ちゃんが笑って 
「いや~、お父さんが手を振ったはる!めずらしいわ~」と私の方を見た。私はうれしかった。 私かどうか分からなかったかも知れないが、叔父さんは 確かに私の方を見て、手を振ってくれたのだ。
その記憶は今でも私を幸せな気持ちにしてくれる。

 今、手紙を書いた従兄弟の彼は叔父の長男で大学教授になり、私学大学の学長にまでなった。私が大学生時代、叔父さんに頼まれて私の友人の一人を夏休み期間中の家庭教師に紹介したことがあった。
家庭教師は一回きりだったが…
学長になった知らせは新聞記事だった。新聞で発見した時、我が目を疑って何回も見直した。それから、うれしくって! 私は私の姉妹に電話をした。 そして、彼に?いや、叔父に?手紙を書いたと思う。そして、夏休み期間の家庭教師なる人にも…。

 もう、随分むかしの話だけど…懐かしい。
学業の傍ら、昨年から 従兄弟の彼は家庭菜園の主を譲られたらしい。cultivateの難しさを今更ながら実感していると書いてあった。が、昨年の秋に植えた250本の玉葱と春を待っています。と書かれていた。



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