カズオ・イシグロ作 クララとお日さまを読んで
この本の主人公は、AF(Artificial Friend)のクララだ。
クララは、ショートヘアでフランス人みたいなかわいいAFだ。
だが、クララは新型のAFではない。とても頭のいいクララだが、自分が旧型だということにコンプレックスを感じている。
そこがなんとも人間くさい。人間ではないのに、人間くささを感じさせるクララ。
クララは、ジョジーという病弱の少女のAFとして購入される。
この近未来では、子供たちは、AFを友人として、家で教育されていた。
カズオ・イシグロの描いた近未来は、いろいろな不都合が共存している。
向上処置された人間とそうでない人間。そこには格差が現前と存在し、ある種の不協和音が社会を覆っている。
それが、クララの目を通して語られていくのだが、静謐な哀しみが根底に感じられる。
最初に、クララがお店に並べられているときから、伏線として、この哀しみが流れている。
そのことは読み進むことによって、クララの存在意義が集約され、明確になっていく。
クララはお日さまによって、エネルギーを得るAFだ。クララは、お日さまが生命の源だという認識を持ち、崇拝している。
クララは学習によって進化する存在であり、お日さまこそ救済の主だと確信する。
ジョジーを救うために、クララは決意する。
この小説の重要なテーマは、人口知能の進歩により、人間の存在を複製できるのかということだ。
人工知能がその人間をコピーし、たとえ死んでしまったとしても、新たなる生命として蘇ることが可能なのだろうか。
技術的に、もしそれが可能だとしても、生命と精神あるいは、魂の継続として受け入れられるのか。
科学技術の進歩の中で、私たちは、生命とは人間とは、どういうものであるのかという命題について、考えなければいけない地平にいる。
この地平を超えるために、どうあるべきだろう。
クララは、それに答えを出した。
クララは最初から知っていた。自分の運命を、自分のなすべきことを。
非常にすぐれたAFであるがゆえに、自分の終着点が見えていた。
最後に語るクララは、自分が成したことが正しかったとを知るのだが、それがAFクララの存在意義だった。
静謐な哀しみの意味。
カズオ・イシグロがえがいた、クララと太陽の描写は詩的でとても美しい。
お日さまに向かうクララの一途な心が、痛ましくもありながらも、精彩な輝きを放ち心を打つ。
読み終え、本を閉じたときに、カズオ・イシグロの言葉を思い出した。
ー小説を読み終えたとき、あるいは少ししてから、そのメタファーにこめられた真実に気がつくー
作品掲載 「小説家になろう」
華やかなる追跡者
風の誘惑 他
「エブリスタ」
相続人
ガラスの靴をさがして ビルの片隅で
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