’デイサービスに行くことが普通の世の中へ’ー認知症は神様から真面目に過ごしてきた人へのご褒美


今、デイサービスに行くことは恥ずかしいこと、ご近所さんや友達には隠し、家族としても行ってもらうのは罪悪感がつきまとうような風潮になっている。
デイサービス行きの車はまるでどこか怖いところへ行く護送車感すらある。
それはとにかくおかしいことで、変えなければいけないことである。

これを書いている自分も頭の片隅で、高齢になってもデイのお世話にはなりたくないな〜と考えてしまっている。

元をただせば、認知症という病気になった場合、恥ずかしく隠したいことという風潮があるからなのかもしれない。

私個人の見解として、
’認知症は神様から真面目に過ごしてきた人へのご褒美’
と最近考えるように学び努力している。

私の両親が、まず母が、認知症と判明した時、
私はあまりのショックで泣いてしまった。
「認知症
 =治ることはなく、自分自身のことはわからなくなり、家族に迷惑をかける」
という認識があるであろう母の気持ちや、
これからの自分自身の大変さを考えてのリアクションだったのだと思う。

でもこれが、例えば
「だんだん周りの人たちが優しくなり、’死’への恐怖を和らげてくれる病気
ー神様からのご褒美ー」
と考えられるように、世界規模で浸透・伝染して、’そういうもの’となれば、なにもショックなことではない。

そして認知症になったら、すぐにご近所さんに報告するものとなり、そして躊躇せず皆が行っているデイサービスにすぐ行く。
(*というか、もう少し元気な頃からたくさんの人がデイサービスに行くような風潮になり、予備軍の時点で進行を遅められるともっといい。。と言うと矛盾かな?)

*とにかく、
自分達が高齢者になった時に、楽しくて安心できる場所を作り、この’考え方を伝染させられる’のは、まだ考え行動ができる私たちで、’今’しかない。

何かいい方法はないかな〜?




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