見出し画像

「これ、浮いてるってコト…?」自撮り大会でアドレナリンを放出した女子たち、真冬の死海でプカプカ

あらすじ
魅惑の本屋がヨルダンにあったので「ここで働かせてください!」とアタックし、いろんな国のスタッフと本屋に住み込みしていた連載。

●魚が住めないほど塩分の高い「死海」とは

イスラエルとヨルダンに挟まれた「死海」

死海とは、塩分が普通の海より10倍も濃い海。塩分が高すぎて、"ものを浮かす力"もスゴイことで、世界中に知られている。

死海データ
死海は厳密には大きな湖。暑さで水分だけが蒸発し、塩分が濃くなっていった。普通の海はあんなにしょっぱくて塩分3%だが、死海は塩分30%。そんなんじゃ生物も住めないから、恐れた昔の人が「死海」と名付けたらしい。

こんな「海で優雅に新聞」のシーンを見たことがある人もいるのでは(※イメージ画像)

死海については、たぶんイッテQのような旅番組で見たことがあったぐらいだ。浮き輪がなくても、腹筋がなくても、背泳ぎのスキルがなくても体がプカプカと浮かぶ夢のような海。観光客たちが本や新聞を持って浮かび遊んでいる風景を見たことがある人もいると思う。

死海の存在を知った当時、テレビを見ながら「へ〜、こんな場所もあるのね」と思ったぐらいだった。縁が無なさすぎて、まさか自分の人生で行くことになるとは全く思っていなかったのだ。

●商業化された死海vsされていない死海

今「死海」と打つたびに、「視界」「司会」「歯科医」と別のシカイが出てしまい、毎回「死海」に変換し直さなくてはならない。このパソコンにとっても、死海は縁のない単語なのだろう。

そんな遠い存在である死海に、本屋の店長と、イタリア人スタッフのラウラと行くことになった。以前行けなかったこともあり、「今日こそは行こう」と店長に猛アタックしたのだ。

(以前、死海に行きそびれた時のnote)

ラウラと2人で行ってもよかったのだが、店長から「いいかお前たち。観光客が行く死海っていうのはな、"商業化された死海"なんだ。『こちら泥コーナー』『こちらドリンクコーナー』ってな具合に。そんなの何も面白くないぞ?せっかく行くなら、俺が知ってる死海のビーチスポット、ありのままの姿の死海に行くんだ。いいな!?」

ということで、私とラウラは店長の言う「俺のスポット」に連れていってもらったのだった。

●"商業"の香りが微塵もない死海に到着…

ビーチに到着した時の、当時のビデオをキャプチャ

店長の運転する車に1時間ほど揺られ、死海に着いた。(どれくらい揺れるかはこちら

お、お〜…。本当に商業化、"されなさすぎている"な。「ようこそ死海へ」の看板も、「ドリンクこちら」のお店も、「着替えはこちら」のコーナーもない。ただ、岩と海があった。誰もいないけれど、これ、入っていいタイプの海だろうか?

…あ、いかんいかん。日本人というか私の悪い癖が出てしまった。「ここは『入る用の海』、あれは『眺めるための海』」と、すぐカテゴライズしようとするのは無粋なのだろう。

そんなものに気を取られては、人生の視野が狭くなる。だいたいこれは死海であることに変わりないし、入っても安全な浅さだし。そう、なんら問題はない。

いま真冬で、ちょっと寒すぎることも、問題は無いですよね?(号泣)


ラウラと無言で顔を見合わせた。「流石に寒すぎんか?」

しかし。ここは死海。死海ぞ。私たちは、この人生1度あるかないかレベルの稀有なチャンスを目の前にし、今入らなければ、この先の人生で「死海でプカプカ」のチャンスは二度とないかもしれないと感じていた。

●楽しい自撮り大会は、女子に生命力を与える

めちゃくちゃ楽しかった、どろ塗り撮影会

とりあえず、死海名物「死海の泥」を全身に塗りあった。箱根に行ったら温泉に入る、大阪に行ったらグリコで撮る、死海に行ったら泥を塗る。これはそういう類のものなのである。

"商業化された"死海ビーチの泥なら、この「泥ぬりイベント」を楽しむために、「濾過(ろか)されてクリームのようになった泥」がゲストのためにきっと用意されているのだと思う。

しかしなんせ、ここは商業化と対極の死海ビーチ。「濾過ってなんですか?」と声が聞こえてくる自然の泥は、砂利がたくさん入っていて、体に塗るとジャリジャリして普通に痛い。

でもそれがなんか面白かった。

そして…

いくしかない!ああああああああ!

ラウラと私は、ディズニーランドでカチューシャをつけて写真を撮りまくる女子のように、泥を塗りあって撮影を散々楽しんだ後、気合を入れて1月の冷えた海に入っていった。楽しいセルフィーには、女子の生命力を高めるパワーがあるのかもしれない。

よし、冷水に入ったらこっちのものだ。しかし入った感じ、塩分が10倍だと言われても、ただ入っただけでは普通の海となんら変わらない。これ本当に浮くのだろうか?まさか、浮くのは"商業化された死海"だけってわけじゃないですよね?

ちょっと軽くジャンプして、足を浮かせてみる。すると…

う、うわ〜〜〜〜〜!?

プカ…

「こ、これ、浮いてる …ってコト!?」

ヨルダンの死海で浮く私に、つい「ちいかわ」が乗り移ってしまった。

すごい!浮いているぞ〜〜!!
水泳の授業で使ったことのある全ての筋肉はスヤスヤとおやすみ中でありながら、身体がプカリ〜と浮いた。「え、え!?これはめちゃくちゃすごいのでは!?!?」

しかもこれ、めちゃくちゃ浅いところで浮いているのである。手を伸ばせば砂に触れられる浅さで体が浮いているのは、とても不思議な気分であった。

プカ…プカ…
グッと足を下におろすと、「プカプカモード」が解除されて立つことができる。なんだかゲームのコマンドみたいだ。

しばらくプカプカしていると、なんだか「浮いていることが普通」になってしまい、正直なんのありがたみも感じなくなってしまった。これが人間である。

●さよなら「プカプカ」

そうして楽しんでいるうちに、「プカプカ」はだんだん「ヒリヒリ」に変わった。そりゃ、こんな塩分濃度の水溶液に身を浸していたら、体が漬物になってしまう。

「あ、ここはヨルダンだから、漬物というよりピクルスか笑」と考えたが、そんな場合ではなかった。

まず塩が染みてきたのは「前もも」だったのも驚きだ。「なんか爪の間とか、顔とか、体の粘膜的な位置でもなく、もも!?」
ももの皮膚って薄いんだなあとその時知った。

さて、死海を出た我々。あれ、どうやって帰るんだろう。つまり…シャワーとかあるのかな?ここは"商業的なビーチ"ではないので「あるわけない」と分かっていても、「もしかしたら誰か"商業"をしてないか?頼む!」とキョロキョロしてしまう。

そうしたら、そういえばさっきから姿を見ていなかった店長が、「ほら、シャワーだぞー」と、シャワーを2本、持ってきて(?)くれた。

ドドン

どこかから、塩分のない湧水を汲んできてくれたらしい。「3人でこれだから。大事に使うんだぞー」

● 商業感をありがたく享受してもいい

それにしても、もし商業化された方の死海に行っていたらどうだったんだろう。肌に塗っても痛くないスムースな泥が用意され、温かいシャワーもあったりなんかしちゃったりして。きっとそうだ。

旅行していると時々、観光感丸出しというか、観光客向けに作られすぎていることに辟易してしまうこともあるが、それも適度にはやはり必要なんだろうなあ。

世の中の商業、ありがとうございます。。。(凍えながら)


「ヨルダンの本屋に住んでみた」は、書籍化を目指しています
もし応援してくださる方がいらっしゃいましたら、noteにある「クリエイター推薦」機能で、こちらの記事を推薦していただけますと大変嬉しいです。

●次回 : 死海の帰りに温泉(?)へ…

●他の記事

第1話はこちら
記事一覧はこちら

いただいたサポートは、書籍化の資金にさせていただきます。本当にありがとうございます!