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「夢十夜」解説【夏目漱石】

夏目漱石は優秀だったので、ロンドンに国費留学しました。頑張って勉強しました。勉強しすぎて精神を病んでしまいました。漱石にとっては災難でした。しかし、日本文学を知る人が口をそろえて言うように、日本にとっては幸運なことでした。

本文、あらすじ

本文はこちらからどうぞ。短い作品ですからすぐ読めます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html


あらすじはこちらからどうぞ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E5%8D%81%E5%A4%9C

本文1回読んで、あらすじ読み返して整理、このまとめを読んだ後、最後にもう一度本文読めば、「夢十夜」卒業で大丈夫です。幻想文学であるには違いありませんが、内実はガチガチの構成を持っています。後世の川端、太宰にくらべて遜色ありません。

対句

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全体構成を成り立たせているのは対句です。表のように第一夜と第十夜、第二夜と第九夜、というふに、対になるように構成されています。タイトルは私が便宜上つけたものです。記載しているのは対句の一部です。ほかにも対応する事項はあります。

たとえば
A:1-10
のセットでは、

1:女が死の床にある
10:庄太郎が死の床にある

1:私は女のいう事を聞いて待つ
10:庄太郎は女についていって災難にあう

1:私は百合にキスをする
10:庄太郎は豚に舐められる(キスされる)

1:太陽が昇っては落ちる
10:豚が押し寄せては崖から落ちる

1:綺麗な真珠貝で穴を掘る
10:綺麗な水菓子を眺める

という具合です。
ほかのセット

B:2-9:
C:3-8:
D:4-7:
E:5-6

については、各人お調べください

文学論

漱石は「文学論」というわかりにくい論文書いています。
その中の記述で、たとえば文学ではこれこれを表現している、と列挙しているのですが、

触覚
温度
味覚
臭覚
聴覚
視覚
輝き


運動

とあります。

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この作品の対句構成(真ん中で折り返しますので、鏡像構成と言ってもよいです)では、
触覚
聴覚
視覚
を使っています。

A:1-10:キスが共通ですから、触覚
B:2-9:時計の音、鈴の音が主役になります。聴覚、ただし金属音。
C:3-8:盲目の子供も、床屋も作者の背後から声をかけます。聴覚、ただし人間の声。視覚は両者とも制限された状態です。
D:4-7:聴覚。爺さんは笛を吹き、客船ではピアノと唱歌。楽器の音と歌、音楽です。そして人間たちは意味不明な言葉を並べます。
E:5-6:視覚。恋人は明かりをたよりに馬を駆り、岩にひづめの跡を刻みます。運慶に触発された作者は、木を削ります。立体造形です。

最も原始的な触覚から始まり、知覚は徐々に拡張、最終的に立体を把握するに至ります。感覚の旅をしながら問題を探ってゆきます。問題の根源は漱石の場合常に「日本の近代化への違和感」です。ですから、仁王を掘り出そうとしたは良いけれど、現代の木に仁王が埋まっていないことに気がつくだけです。

共通内容

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実は全編、共通する主題があります。「再会」です。

1:恋人と百年越しの再会
2:坊主と再会して殺すか、自害して再会できないか
3:百年前の被害者との再会
4:水没した爺さんとの再会がかなわない
5:恋人と再会できない
6:仁王と再会できない
7:再び客船に戻りたいができない
8:子供のころ見た粟餅屋を見たいが見れない
9:母は父に再会できない
10:庄太郎は家族に再会できる。死の床についているが。

1:再会
2:ろくでもない再会
3:ろくでもない再会
4:不可
5:不可
6:不可
7:不可
8:不可
9:不可
10:ろくでもない再会

ということで、全編まとめると再会失敗物語です。冒頭の百年の百合で、ロマンチックな再会を果たした作者ですが、以降はすべてよろしくないです。百年前の古きよき日本との再開は、もう期待できないようです。

共通内容2

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共通内容の二つ目が「落ちる」です。

1:百年の百合では、百合のしずくが落ちるシーンが印象的でした。太陽も昇っては落ちます。
2:禅寺の時計では、話の冒頭に行灯の芯が落ちます。
3:盲目の子では、子供が急に重くなります。落ちませんが落ちかねません。
4:爺さんの手ぬぐいでは、爺さんがゆっくり水に入ってゆきます。
5:夜明けと天邪鬼では、乗っていた馬がけつまずいて、恋人は淵に落下します
6:運慶と現代では、木屑が落ちます
7:無限客船では本人が飛び込み自殺をします
8:床屋の鏡では、切っている髪がしきりに落ちます
9:八幡でのお百度では、母が自分をゆっくり下ろします
10:豚と崖では、豚が崖下に落下してゆきます。

三題噺?

落語で「三題噺」というのがあります。客に三つの題を言わせて、その題を織り込んで話を即興で作って演じます。三遊亭円朝が得意にしていました。ところが夏目漱石が円朝の落語から影響を受けているのは有名な話です。しかし三題噺は「人、物、場所」を織り込むことにしています。名詞です。「夢十夜」は「再会、落ちる」ですから、動詞です。少々違いますね。それに私は二つしか見つけれていません。三つ目もあるかもしれませんが。

変奏曲?

「再会」「落ちる」という主題が、10回繰り返されます。全体は一種の変奏曲と言えなくもないです。同一の主題をさまざまな形で表現してゆく、つまり文学的能力を極限まで使っています。さすがに漱石でも「夢二十夜」は難しかったでしょう。でも10回続けられただけでもたいしたもんです。漱石はここで、文学の可能性を広げたかったのかもしれません。そういう意味では実験小説なのかもしれません。でも漱石はおそらく音楽の知識はありません。

コンラッド?

漱石はコンラッドの愛好者でしたので、コンラッドが小説の可能性を拡大しようと努力しているを感じで、(詳細に構成や内容を解析することはできなかったでしょうが)このような作品を構想したのだろうと想像できます

「闇の奥」解説【コンラッド】
https://note.com/fufufufujitani/n/n3e0c750e44c8

コンラッドはポーランド生まれのイギリスの作家です。イギリス文学としては最高峰の一人、彼の影響はのちのフィッツジェラルド(華麗なるギャッツビー)や、三島由紀夫(豊饒の海)、コッポラ(地獄の黙示録)、宮崎駿(千と千尋の神隠し)にまで及びます。いち早くコンラッドの真価を見出した漱石は、さすがの炯眼ですね。

雨月物語

2020/03/21追記:ところが黒井マダラさんが決定的な読み解きをされました。上田秋成の「雨月物語」がこのような対称構造を持っているということです。
漱石は上田を参照した可能性が、非常に高いですね。

追記:がしかし、「草枕」「野分」「虞美人草」も同じ構造採用しているのですね。「雨月」を知っていたのは間違いありませんが、元来漱石が対称構造が好き、というのが妥当なラインかもしれません。

宗教

夏目漱石は近代化の中で苦しんだ人です。明治の日本人は多かれ少なかれそうでした。だから文学が発達していった。過去の自分を失った日本人が、戸惑いながら手探りで、なんとか納得できるポイントを探す旅を続けてゆきました。過去との再会はもう、不可能です。可能な再会はただ、10:崖と豚のような、1:百年の百合を下敷きにしながらも、似ているのだがたいそう碌でもない、品格の無いものに変容していってしまっています。

女の化身である百合とのキスのかわりに、豚とのキス。そして周りの人は物欲にまみれて、パナマ帽を狙っている。いやな世の中ですね。これが漱石の感じた「明治の日本」です。

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漱石は救いを、日本の伝統的宗教に求めました。色の部分が宗教の箇所です。神道、仏教が2回ずつ出てきます。

しかし、いずれも漱石の魂を救済してくれるものではありません。それらはすでに過ぎ去っているからです。赤シャツを殴る「坊ちゃん」、座禅を組むが壁を乗り越えられない「門」、西遊記方式で西洋文明にたどり着く「三四郎」、漱石の文筆活動は、西洋式近代化への拒否と、しかし過去には戻れなくなっている現状認識が、常に流れています。苦しいですね。しんどい人生です。

西洋文明と日本文明の差異は、漱石が直感したように宗教の差が大きいです。直感できたから、神社とお寺を登場させた。

5:「夜明けと天邪鬼」で自分を打ち負かした敵の武将は、おそらく日本武尊です。だから6:「運慶と現代」で、作者は日本武尊より強い仁王を求める。でも現代社会にはもう仁王は居ません。「運慶が現代まで生きている」、つまり喪失感を引きずり続けている社会です。

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でも西洋社会の理解に必要だったのは、文学論ではなく、じつは西洋の宗教、キリスト教の理解だったのです。そこは漱石が理解できなかった点です。キリスト教理解に手が届きだすのが、宮沢賢治です。坂口安吾、太宰治はそこらへんを十分に消化し、議論を発展させ、遠藤周作に至って日本人はキリスト教を吸収する、つまり別のものにしてでも自分の栄養にすることができるようになりました。フランスにカトリックを勉強に行った遠藤周作と、祖父が西洋に反発して日露戦争勝利まで髷を結っていた司馬遼太郎(だから孫が「坂の上の雲」を書きます)とが、同い年。ここらへんでようやく、近代の世界情勢にアジャストできたという感じですね。

漱石の苦しみは、そのような日本の西洋理解の努力の嚆矢です。時代的に能力の限界はありますが、問題から逃げなかった彼の闘志は、尊いですね。

銀河鉄道の夜【宮沢賢治】あらすじ解説
https://note.com/fufufufujitani/n/nfa711883134b

精神異常上等

文学論の序文を見てみましょう。

「英国人は「あなたは神経衰弱だ」と言った。ある日本人は「夏目は狂気に陥っている」と日本に手紙した。賢い人々だから、嘘はないだろう。

(中略)

日本に帰ってからも、依然として神経衰弱で狂人だったようである。親戚でさえ、そう思っていた。親戚にまでそう思われたなら、私は弁解不能だ。

ただ神経衰弱で狂人だから、「猫(我輩は猫である)」などをかけたのだから、神経衰弱と狂気には感謝しなければいけない」(原文は文語、現代語訳は筆者)。

つまり自分が神経衰弱になっていながら、「仕事が出来るんだから神経衰弱上等」と思っていたようです。別のところで「昔の侍が戦に命をかけたように、自分は文学に命をかけたい」と言っていた人です。凄いガッツです。やみくもなガッツが発生させる激しいストレスは、10年程度で彼の肉体を滅ぼしてしまいますが、日本全体としては彼の問題意識は、確実に後輩たちに受け継がれてゆきます。

「文学論」ですが、文語で書かれている上に、内容がわかりにくく、一読をお勧めできるようなものではありません。しかしよい参考書があります。これさえ読んでおけば十分です。

こういう実験小説よみたいなら、クノーの「文体練習」お勧めです。1947年の作品、だから漱石はかなり時代を先取りしていますね。


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