見出し画像

三島由紀夫「豊饒の海」メモ

三島由紀夫の「豊饒の海」は、ワーグナーの「ニーベルングの指環」を下敷きにしている。

という読み解きをしたのだが、その後トーマス・マンの「魔の山」の影響が非常に大きいことが明らかになった。本来「豊饒」「魔の山」読み直して組み立て直すべきだが、他の時間を取られているので難しい。とりあえずメモを書いておく。

週休二日さんが「魔の山」の読み解きをされた。

主人公のハンス・カストルプは、ゲーテ作「ファウスト」のホムンクルスに対応するようである。ホムンクルスは人造人間である。人間としては不完全だから、完全になりたがる。古代にタイムスリップして、海に溶け込む。これから長い時間をかけて人間になるのである。「魔の山」のカストロプも、最終的に海に溶け込む。もっとも水の海ではなく人海である。戦場にゆくのである。そこで彼はおそらく戦死する。カストルプの職業は造船エンジニアである。最後に海にゆくのは当然と言える。

さて「豊饒の海」の冒頭は、「得利寺附近の戦死者の弔祭」という写真についての記述である。

日露戦争の写真だが、ここで弔われているのは、いうなれば戦死したハンス・カストルプである。カストロプを思い出したので、「松枝清顕」という人造人間が本多の前に現れるのである。

第四巻「天人五衰」の冒頭、海から安永透が出現する(とはダイレクトに書いていないが、だいたいそういう意味である)。安永はハンスの原型、ホムンクルスである。同じ人造人間でも松枝のような美意識を持たない。本多の醜い内面を表している。おそらく三島は、「ファウスト」→「魔の山」の流れを読んでいる。

以降は以下スレッド参照いただきたい。

つまり、おそらく村上春樹は「ファウスト」→「魔の山」→「豊饒の海」の流れを読んでいる。村上春樹は一見軽薄そうだが、内実は重厚なドイツ文学なのだという見方が、必要なのではないだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?