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「老人と海」あらすじ解説【ヘミングウェイ】

どうしてトランプはあそこまで戦えるのでしょうか。
どうして周りの人はそれを支持するのでしょうか。
アメリカは「老人と海」の国だからです。


あらすじ

84日間不漁の老人サンチァゴ、でも遠出して運良く大物をひっかけます。
しかし大物すぎました。全然釣り上げられません。
まる2日間苦闘の末に釣り上げますが、大物過ぎて舟にのせれません。
舷側にくくり付けて運びますが、サメが襲ってきます。
必死で戦いますが多勢に無勢、漁港に到着したときには頭以外骨になっていました(終)

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不運な話です。でもアメリカ文学の代表のひとつです。実際読むと読みやすく、短く、シンプルで、なぜか元気になります。体内にパワーが満ちる感じがあります。

内容は充実しています。だいたい三層に分けて理解するべきです。シンプルなのは表面だけです。一部粗雑さもあるのですが構成としては非常に優秀です。

1、漁師の苦闘の物語
2、キリスト受難物語
3、世界との同一化物語

の三層構造になります。

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1、漁師の苦闘の物語

冒頭は漁港での少年との時間です。少年は老人を漁の師匠としています。実際は世話係です。少年の年齢推定問題なるものがあるらしいのですが、本稿では神話的内容の理解に集中します。
早朝漁に出て帰ってくるのは翌々日深夜です。
その翌朝少年はまた世話を焼きます。少年はせっかくの大物がサメに食われて、老人の手が傷ついているのをみて、残念で泣きます。いい少年です。

中間部ば3日間あります。漁の初日の正午に針にかかり、釣り上げるのは三日目の正午です。なにしろ老人の舟より大きなカジキです。しかも釣り竿、リールなしです。ロープを体に巻き付けて格闘ですから、老人ながら超人的な体力です。魚が暴れるとロープが体に食い込みます。手をロープで切ります。だから少年は老人の手が傷ついているのを見たのです。

しかし老人はつらがっていません。腕相撲チャンピオンだった若い時を思い出して頑張ります。そう、カジキは好敵手なのです。「兄弟」とか呼び始めます。
家にいる時老人の見る夢は、昔アフリカ航路で見たライオンです。漁にゆく前も、物語の終わりでも、ライオンの夢を見ています。もう老ライオンですが、誇りは失っていません。

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2、キリスト受難物語

しかし単純マッチョ物語でもありません。ヘミングウェイはフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」をすぐに支持したほどの、強力な読解力を持つ人物です。物語の重層性への理解力は非常に高い。

老人の手はロープ仕事で荒れ果てます。釣り上げた時にはボロボロです。更にサメが襲ってきます。二回目の襲来のとき、「えい」という声を出します。

「ただの音であって言葉に置き換えることはできない。例えば両手に釘を打たれて磔(はりつけ)にされる瞬間に、思わず発するかもしれない声だ」

と本文にあります。老人はなぜ苦しむのか。カジキを殺し、カジキを食いにきたサメも殺すからです。漁師に生まれついたからです。他の全ての生物同様、老人も罪深い存在だからです。自分と他の生物の罪を背負って、老人の手は磔同様に傷つくのです、イエスのように。

二日目の昼、まだ格闘中に老人は聖母マリアに祈ります。自分のため、そしてカジキのためにです。月や星を見て、それらを殺さないでいい人間は幸せだと感じます。実際にはそんな漁師は居ないと思います。聖書時代のキャラを、老人サンチァゴとして描いているのです。ですから雄渾で爽やかな物語になります。

3、世界との同一化物語

この層が作者は書きたかった内容です。B-1で少々不自然な部分があります。読み解き屋にとっては不自然な箇所は、釣り糸にかすかに伝わる引きの感触です。下に大魚が居ます。探ってみます。

「漁師はマグロのことをマグロとしか言わない。もし市場で売ろうとしたり、餌にする魚と交換したりするなら、もっと細かい区別をする。そのマグロの群れが、もう鳴りをひそめてしまった」

「そのマグロの群れ」の前の文章は不要です。無駄な説明です。不自然です。ここで作者が忍び込ませたのは、「魚同士に細かい区別はないが、市場によってバラバラに評価される」ことへの違和感です。価格によって生命に高低がつけられる。老人も漁師で稼いでいる以上市場原理からは逃れられないのですが、それは人間社会の理屈であって世界の本質ではない、と思っています。
B-1では漁師の頭は冴えています。大量のロープの残りの長さを的確に計算しています。合計300尋以上です。しかし釣り上げた後B-3では疲れているので「1500ポンドほどの重さだが、1ポンド30セントとして、全体の価格は、ええと、鉛筆がないとわからない」。450ドルなのですが、計算できなくなっている。逆に言えば、計算から解放されている。

計算から解放されるということは、市場におけるマグロの細かい区別から解放されるということです。つまり老人は他の生物との区別から解放されます。ですからカジキと兄弟になったのです。カジキと一体化できたのです。本作では一体化が全編で進行します。

B-2前半で舟に小鳥が止まります。老人は小鳥に話しかけます。「しばらく休め。泊まっていってもいいぞ」。優しいです。まるでアッシジの聖フランチェスコです。
それと対になるのはB-2後半です。食料を得るためにシイラを釣ります。シイラの胃の中には運良くシイラが食べたばかりのトビウオが二匹居ます。きれいに洗ってさばいて食料にします。シイラより美味しいので体力回復に役立ちました。小鳥=トビウオです。小鳥に優しくしたからトビウオを得ました。トビウオ=小鳥は老人の体内に入って一体化したのです。シイラとも一体化しています。そもそもシイラも食べますし、シイラが食べたトビウオを食べるのですから。

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またB-1で電気クラゲを見ます。クラゲは美しいですが毒があります。でもガードが硬い海亀には食われます。クラゲはB-3で老人の舟になります。舵はクラゲの足です。針やモリがクラゲの毒です。海亀はサメに姿を変えます。足、すなわち舵を食われ、クラゲ本体に該当するカジキも食われて万事休すです。なんで老人はサメに、つまり海亀に呪われているのか。昔亀をとる舟に何年も乗っていたからです。亀の復讐が、サメに姿を変えてやってきたのです。

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2頭のイルカを見ます。夫婦かもしれません。昔少年と見た、カジキの夫婦を思いだします。メスが針にかかってしばらくの間オスは舟の周りをぐるぐる回っていました。心配だったのでしょう。舟にメスを釣り上げるとオスはゆっくり舟から離れてゆきました。立派なオスでした。さすがに老人も悲しくて、少年と二人で謝りながらメスを捌きました。老人は妻を早くに亡くしています。
そして今回一人での漁では、大きなカジキ一匹ですが、タフで舟の周りを何度も回ります。前回逃げたオスの成長後かもしれません。つまり今回殺すのは自分自身のようです。「なあ兄弟、こうなったらどっちがどっちを殺すでもいい」とカジキに語りかけます。

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なくなった奥さんの写真を自宅に持っています。でも見ると辛くなるのでシャツをかぶせて見えないようにしています。おそらく彼女は毎日、シャツの心配をしてくれていたのでしょう。今老人のシャツを心配してくれているのは少年です。少年は女房がわりなのです。その少年と物語冒頭ではジョー・ディマジオの話をしています。当時の野球選手で、強打者です。サメとの格闘で老人はディマジオと一体化します。銛をもってゆかれて、棍棒や舵でサメの頭を強打します。

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亡妻はただの写真ですから、実際の人間で女性は、最後に出てくる女性観光客一人だけです。大きなカジキの骨を見て、勘違いして「サメの尻尾ってあんなに立派だったの」と言います。食べられたカジキと食べたサメが一体化しています。

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老人が小鳥=トビウオを食べて一体化したのと同じです。その時老人は自宅で疲れて寝てライオンの夢を見ていました。ライオンは捕食者です。大きなスイギュウを倒します。しかししばしばハイエナに横取りされます。ハイエナがサメです。でも、サメはカジキと一体化しました。そしてカジキは老人と兄弟です。全ての生命が物語の中で一体になってゆきます。

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だから老人は両手に釘を打たれて磔になった人のように、手のひらから血を流すのです。ヘミングウェイは生命の中心を描いたのです。

闘う人

本作の元ネタには恐らくコンラッドの「闇の奥」があります。

ギャッツビーが読めたのならば、ヘミングウェイは「闇の奥」も読めたはずです。クルツが裏返った存在が、老人サンチァゴです。不自然に象牙を溜め込むクルツと、貧乏だが誇り高きライオンであるサンチァゴ。クルツは出会う人間全ての総和ですが、サンチァゴは出会う生物の総和です。「キャラの総和の仕方」が「闇の奥」とは若干異なりますが、相手が自然界の生物ですから、「老人と海」で総和を表現するにはこれしか方法はなかったと思います。

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クルツと違い、サンチァゴはテクノロジーを使わず、あくまで自分の肉体で闘い続けます。闘うのは殺すためではありません。理解し、尊敬し、一体化するために闘うのです。わかり合うために闘うのです。

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トランプも、彼を支援する人々も、現代社会を体ごと理解しようとしているのだと思います。そのようなコミュニケーション方法が、アメリカではヘミングウェイによって肯定されているのです。

本作に非常に近い問題意識として、宮沢賢治の「なめとこ山のくま」があります。20年以上前に書いたのだから賢治も偉いです。


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