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「純白の夜」あらすじ解説【三島由紀夫】

「婦人公論」連載です。ご婦人向けに不倫恋愛仕立てですが、裏に政治経済潜ませています。頑張りました。

あらすじ

松村(旧姓岸田)郁子は、松村恒彦の若奥様。恒彦の友人の楠に惚れられて、ちょっかいかけられます。だんだんなびいてしまう郁子、しかし最後の一線は超えません。自制心があります。しかし自制しすぎて欲求不満が溜まって、松村邸に居候している沢田という人物と一夜だけのあやまちをしてしまいます。

その件を沢田から聞いた楠、怒って郁子に報復をします。鎌倉扇ガ谷の旅館に郁子を呼び出し、今夜は帰らないと亭主に電話をさせ、そしてその上で自分は賭場にゆきます。郁子は旅館でひとりぼっちになります。放置プレイというやつです。
放置された郁子はパニックになり、亭主の恒彦に助けに来てくれと電話します。しかし間に合いません。カバンに入れていた(元来妹のものであった)青酸カリを飲んで自殺します。

亭主松村は沢田に聞きます。郁子は楠とあやまちを犯したのだろうか。沢田はしれっと言います。「郁子さんはそんなことのできる人じゃない。これだけは僕が太鼓判を押すよ。君の家に置いてもらったおかげで、僕にもいくらか郁子さんという人はわかっているつもりだ」

(あらすじ、終)

工夫三点 1・合成樹脂会社社長

色男の楠(くすのき)は、松村恒彦の同級生で、その後アメリカに留学しています。現在合成樹脂会社の社長、特許を取ってバリバリ拡大しています。
昔は合成樹脂というとセルロイドでした。セルロイドは樟脳から作ります。白い粉です。樟脳はクスノキから採れます。だから名前がクスノキなのです。樟脳は昔の日本の重要な輸出品目でした。日本と東南〜南アジアでしか採れませんから。

もっとも舞台の1948年〜1949年ごろには、セルロイドは既に過去のものになっていました。新しい合成樹脂が開発されていますから。だから楠は特許を取らなければならないのです。
実業家だから河口湖に別荘持っているお金持ちです。アメリカ帰りだから元気いっぱいです。アメリカ人の友人も居ます。元気余って人妻にちょっかいかけます。郁子を評して「象牙のような女だ」。合成樹脂人間の、本物の象牙にたいする憧れです。
実は楠は奥さんも居ます。でも病気がちで寝たり起きたりです。だから亭主は外で浮気を繰り返します。松村夫妻が年始の挨拶にゆくと。奥さんは寝椅子に横たわって死人のようです。「青みがかかってさえみえるその澄んだ目」と書かれています。つまり、人形です。

これが工夫の第一点、出来が良いです。

工夫三点 2・船と銀行

第二点は郁子の亭主です。松村恒彦です。
松村は銀行勤務です。でも父は元来船成金です。成功して戦時中に商工大臣まで勤めました。戦時中に死にました。死ぬ前に息子と、岸田銀行の創業者の孫娘を婚約させました。それが松村恒彦、郁子の夫婦です。松村恒彦は現在銀行勤務です。船の会社はいったいどこにいったのでしょうか。父は政治家にまでなったくらい成功したので、恒彦も豪邸に住んでいます。お手伝いも居ます。でも船の会社はおそらく存続していません。なぜか。終戦直後だからです。船はあらかた戦争で破壊されましたから。つまり松村家は、日本なのです。交易可能性が閉ざされて逼迫する敗戦日本なのです。
妻は岸田一族ですが、岸田銀行は既に一族の手を離れています。もしも現在でも岸田一族が支配しているならば、恒彦は事実上婿養子のようなものなのですが、支配権がありません。ただの雇われです。松村家、岸田家、両方それなりの名家のはずですが、両方実権がない。なにしろ当時はまだGHQが日本の支配者なのです。
これが工夫の第二点です。できはまあまあです。わかりにくいのが難点です。ちなみにですが、戦時中に商工大臣勤めた人間は、岸信介と東條英樹しか居ません。そして三島の父は岸と帝大同期です。もっとも岸信介は戦時中に死んではいません。作品時間のなかばで巣鴨から釈放されます。その後総理になります。孫も総理になります。もちろん作中書かれていませんが。

工夫三点 3・デフレ難破

工夫の第三点は冒頭です。松村夫妻は画廊にドラクロワのデッサンを見にゆきます。しかし既に楠に買われていました。そこから郁子と楠の関係が始まります。くだんのデッサンは「ドン・ジュアンの難船」のための下書きです。これまた船がらみです。「ドン・ジュアンの難船」は、船が漂流して食べるものがなく、くじ引きして敗けた人間が殺されて食料になる話です。

当時の日本の経済状況を表しています。デフレなのです。デフレ環境は、共食い環境です。デフレ脱却の努力をしたアベノミクスで、就職率が大幅改善したのはご記憶の通り。つまりデフレ放置は共食いしかできなくなります。
悪党の沢田の父は官僚でした。GHQに公職追放されたので東京の家を売り払いました。田舎に引っ込むためです。息子の沢田の住む所がなくなりました。同じ銀行勤務の松村恒彦の家に転がり込みました。
松村の家で沢田は、郁子との距離を縮めてゆきます。こたつの下で手に触れてみたり、お手伝いをよいしょしてみたり。卑劣といえば卑劣です。でも沢田も困っているのです。30半ばで結婚できていません。モテません。なぜって松村や楠のような金持ちでないからです。だから坊っちゃん恒彦にひっついて、前途に希望を持とうとしています。それで結果的に、郁子を死なせます。共食いです。
亭主の恒彦は勤め先の銀行で楠の会社に融資をしています。しかし妻と楠が関係深まりすぎて、融資を止めます。楠は博打に手を出します。恒彦は有望な融資先を失います。その上妻が死にます。松村家=日本はジリ貧です。これがデフレです。その後30年デフレを続けるマヌケな国に成り下がりましたが、当時はデフレが問題であるということを、理解できている作家が少なくとも一名存在しており、的確な経済小説を書きました。

経済状況

作品時間の昭和24年、25年ごろの経済状況見てみましょう。終戦が昭和20年です。工場は空襲で破壊、流通力も崩壊、治安が最悪ですから円の価値も安定しない。農家に現物商品持っていって、穀物と物々交換していた状況です。当時を知る人いわく、「いやお金なんか受け取ってもらえなかった」そうです。当然インフレです。インフレでも産業立て直して生産、流通能力上げる必要あります。だから財政支出します。もっとインフレになります。
そこに介入してきたのがアメリカです。最初アメリカは、日本の工業力を永遠に復興させない方針でした。目障りな敵だからです。でも共産主義勢力、ソヴィエトが台頭してきました。防波堤にするために日本の国力を上げたい、そもそも貧乏なままでとどめ置くと、共産主義勢力に寝返る可能性がある。だから方針を転換して、日本の経済復興を目指すようになりました。
そんな善意のアメリカのやったことは、なんと緊縮財政です。ドッジ・ラインと言います。インフレを問題視した、しすぎた。かくて日本はデフレ化しました。こちらご参照ください。消費者物価指数推移です。

昭和22年(1947) 224.1 (125.3%)
昭和23年(1948) 394.3 (75.9%)
昭和24年(1949) 495.3 (25.6%)
昭和25年(1950) 475.5 (-4.0%)

確かに125%のインフレ率は問題ですが、その後インフレ率は年々低下していたのです。ほうっておいても25年は10%台になっていたでしょう。だから緊縮財政なんかやる必要はなかった。緊縮財政がアメリカの日本封じ込め作戦というならそれは納得できます。しかし日本経済を立て直すためにやったことが、日本経済のマイナスになります。そんなことしたら日本が共産主義化してソヴィエトにひっつくでしょうに。しかしアメリカは、「日本の共産化を防ぐために」「善意で」緊縮押し付けてしまうのです。マヌケです。このマヌケさはIMFに引き継がれて、全世界に迷惑をかけまくるのですが、最後のほうはわかっていてやっていた、悪意入っていたと思います。しかし昭和24年当時は大多数のエコノミストは本当にわかっていなかった。湛山とかケインズとか、ごく一部の優秀な人間のみがわかっている理屈だったようです。三島はわかっていました。流石は歴史に残るレベルの才能です。狂気の共食い経済政策を批判できた。もっとも「婦人公論」誌上で不倫恋愛仕立てで経済小説書くのも、同じくらい狂気なのですが。

デフレ

なぜデフレが悪いのか。貨幣とはなにか、市場とはなにかを考えた人にとっては自明のことなのですが、エコノミストでも考えたことがない人が大量に居るようです。困ります。デフレとは時間とともに物の値段が下がることです。つまり物を買っては損なのです。お金を持っていたら、とにかく溜め込んで動かさないのが最善です。動かすと、つまり物に変えると、もう一度お金に変えた時に額が目減りしています。デフレとは値下がりだからです。つまりデフレではお金の動きが鈍るのです。お金は情報ですから、情報の動きが鈍る。人間に例えると頭の働きが鈍っている状態です。ボケとも言います。
と、自力で考えるとすんなり得心ゆくのですが、この程度の理屈が教科書丸覚え組の人々には納得ゆかないようです。教科書が間違っていたらもうアウトです。一生デフレ派、緊縮派として生きてゆきます。そして恐ろしいことに、社会はそういうわからんちんを、常に必要としています。常識の側に立つ人を必要としている。三島は法学部出身ですから「法学脳」というやつで、普通は常識の側に立つ人のはずです。しかししばしば逆転の発想を必要とするマクロ経済が、すんなりわかる。なぜか。
別の作品の記述から類推するに、三島は戦時中徴兵は逃れたのですが工場に徴用されまして、どうもその時経理係をやっていたようなのです。細かい内容はわかりませんが、それならそれで死ぬほど真面目に勉強しますから、おそらくその時基礎を掴んだ。そして思考能力は元来優れていましたので、経済に自分なりの見識を持てるようになった。作中「安定恐慌」という言葉が出ます。ドッジの名前も出ます。ベタに経済政策批判小説なのです。この経済方針ではいかんだろう、ご婦人方にもわかりやすく説明しなくては。意図は素晴らしいですが、結果として経済を理解した読者が居たのかどうかはわかりません。おそらくゼロでしょう。

大逆転

といいますのは、日本にとって幸運なことに、三島にとって不幸なことに、執筆途中で大逆転が起きるからです。

1950年6月に朝鮮特需が起きるのです。本作掲載は1950年1月号から10月号です。雑誌は前月には発行されますから、発売は1949年12月から9月です。終段出現する賭場は朝鮮人主催になっています。楠は郁子を放置プレイしているときも、朝鮮人の賭場に浸っています。だいたい朝鮮特需の影響があきらかになったころの文章です。無理して挿入したのでしょう。緊縮財政だろうがなんだろうが、有効需要の爆発的増大でデフレは吹っ飛びます。

昭和22年(1947) 224.1 (125.3%)
昭和23年(1948) 394.3 (75.9%)
昭和24年(1949) 495.3 (25.6%)
昭和25年(1950) 475.5 (-4.0%)
昭和26年(1951) 547.0 (15.0%)
昭和27年(1952) 573.1 (4.8%)

朝鮮戦争勃発の年にはプラス15%。翌年にはプラス4.8%。日本は敗戦の混乱した経済から立ち直りました。三島の警告空回りです。それでも「俺は経済わかっているな」という自信を深めたと思います。天皇と経済の作家が、ゆっくりと立ち上がり始めた作品とも言えると思います。

構成

全体は鏡像構造です。前作「仮面の告白」と同じです。ただし、仮面が中心部分がきっちりした鏡像になっていたのに対して、本作は中心がむしろゆるい。

漱石と同じく冒頭に1章設けて、その後の展開暗示しているのですが、「冒頭集約」というほどの密度は持たせていません。鏡像の折り返し部分は、漱石が2章使うのに対して、三島は1章です。

後年の例えば「暁の寺」などは反復構造採用しています。

漱石や太宰と同じように、鏡像から出発して色々構造を試してゆくのだと思います。
草枕とこころ、富嶽百景と斜陽、仮面と暁の寺、全て鏡像(対称)から出発して反復構造に向かう旅です。それがどういう意味なのかまだ私には分かっていませんが、じっくり探ってゆこうと思います。

希望

希望のなさげな本作ですが、ひっそり未来への希望、指針も盛り込んでいます。良い作家はだいたい狂気の希望人間が多いです。

姉の郁子は青酸カリで自殺しました。青酸カリはもとは妹の露子の所持していたものです。露子は婚約を破棄されて自殺を考えていました。郁子が露子の部屋に入った時、昔とは傾向の違う本が並んでいました。

「茶道読本」「法華経講話」「ウオール街と兜町」「蟻の生活」

「愚にもつかないものを読んでいた」と書かれていますが、もちろん反対の意味です。女性にとっての婚約破棄は、だいたい男性の敗戦に匹敵するダメージです。でも毒薬は姉が代わりに飲みました。日本文化、仏教、経済、生命全般を勉強して、妹の岸田露子はこれから強く生きてゆきます。岸田一族は祖父の代からインドと繋がりがあります。姉は象牙の女でした。本作の時点で、「暁の寺」は始まっているのです。


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