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「人間失格」あらすじ解説【太宰治】1

1945年8月、敗戦
1946年1月、天皇の人間宣言
1948年5月、「人間失格」脱稿、同年6月、作者死去


あらすじ

主人公・大庭葉蔵は富豪の子息だが気が弱く、道化で周りのご機嫌を取る子供だった。成長後女性には惚れられたが、薄志弱行にして生活能力がなく、心中をしたり、女性のヒモになったりするだけの人物だった。
そんな葉蔵もある時可愛い女性と生活してゆくことに希望を持ち同棲する。しかし彼女が姦通したことにより衝撃を受け、薬物による自殺未遂を起こす。後遺症の体調不良への不安から麻薬に手を出し、やがて深刻な中毒になり脳病院に強制入院させられる。その後廃人となって故郷の一軒家で呆然と暮らす。人間を失格したと思う(終)。

太宰自身の反映

東北の富豪の生まれ、父は国会議員、心中事件(一度は小説通り相手のみ死亡、一度は双方助かる)、自殺未遂(数度)、薬物中毒で強制入院など、全て太宰自身の体験を反映している。主人公大庭葉蔵は太宰治自身の自画像とも言える。虚実からまった二重小説である。

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しかしさらにその下に第三層がある。日本と天皇の物語である。作者の書きたかったのはこの第三層である。

日本と天皇の物語

1948年当時日本はGHQの支配下にあった。言論の自由は基本的になかった。その環境で日本擁護、天皇擁護の物語を描くには、意味を重層性の闇の奥に隠すしか方法がない。

第一の手記

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天孫の降臨から平安時代の終わりまで対応する。
赤字の「災が十個」という部分は、モーゼの十災とも、モーゼの十戒とも思えるが、いずれも完全には対応しない。よって真相は不明だが、主題の一つであるキリスト教批判の伏線であるのは間違いない。

赤いレギンスはおそらく女性服を身につける=女性天皇の意味、獅子舞は仏教(本)よりも偶像の意味、インデヤンの踊りは蛮族の征伐、失敗談の作文は王朝文学と解釈したい。以上第一の手記はいずれも確定的ではない。他の解釈の余地を残す。言い換えとして理想的ではないが、明快すぎると発禁だから止むをえない。

第二の手記

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ここ以降は明快に事件および年代が確定できる。大庭葉蔵は桜の中学校に入学する。花は桜木人は武士という。武士の時代に入ったのである。
主人公を後ろから刺す「竹一」は、聖徳太子のような格好をして、耳垂れである。聖徳太子の別名は「豊聡耳(とよとみみ)」。大庭の未来を予言する。「平家物語」「太平記」など軍記物には、「聖徳太子の未来記」という預言書が登場する(ちなみに間違いなく偽書である)。

中学時代は下宿する。女性が三人居る。おばさん、アネサ、セッチャンである。うちアネサはメガネをかけているが、日本では初めてメガネをかけたのは室町幕府11代将軍足利義晴である。セッチャンは丸顔だが、徳川家康は丸顔である。よってこの三名はそれぞれ武家政権に該当する。「主な収入は家賃」と記述されている。封建制度を表している。

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やがて東京の高校に進学する。東京の画塾で堀木と出会う。調子だけ良い与太者である。堀木はアメリカに該当し、堀木との出会いはペリー来航を表す。日本と天皇は近代に突入する。

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当初父の別荘に居候していたが、一人暮らしを始めてからすぐに行き詰まる。生活能力がなかった。付き合っていたマルクス主義勉強会とのやりとりにも疲れて、自殺を考える。
当時3名の女性と知り合っていた。一人は下宿の娘、もうひとりはマルクス主義同士、もうひとりはカフェーの女給だった。マルクス主義同士とは肉体関係があった。「怒らせると怖い」という性格付けがされている。
この作品で太宰が採用した言い換え戦略は、「女性との肉体関係は戦争を表す」である。マルクス主義同士との肉体関係は西南戦争を、同士は薩摩と考えられる。となると下宿の娘は長州である。

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では最も大規模(!)に関係を結んだツネ子とは誰か。清国を表すと考えられる。ツネ子との心中は日清戦争に該当する。

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心中の結果大庭のみが生き残り、
老巡査
若い警察署長
40くらいの美貌の検察官
三者に取り調べを受ける。日清戦争後の三国干渉を示していると思われるのだが、仏独露どれに該当するか決定できない。とりあえず仮説の表を掲載する。

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第三の手記・一

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保護観察処分となった大庭は父の知人の「ヒラメ」という人物に預けられる。魚類、すなわち海洋国家を暗示する。イギリスである。そこに預けられるということは日英同盟を意味する。

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のちに大庭はヒラメ宅から脱出、高円寺在住の未亡人、シズ子宅に転がり込む。シズ子=シベリア、日露戦争である。

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やがてそこも脱出、京橋のスタンドバーのマダム宅に居候する。マダムは「眼のつり上がった女性」と描写されている。韓国併合を意味する。

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お向かいのタバコ屋娘のヨシ子が好きになり、幸せを求めて結婚する。半島の向かいだから満州、「煙草屋」というのは石炭が豊富という意味である。満州事変である。

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第三の手記・二

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ここから主人公は運命の下り坂を転げ落ちる。

新婚の二人が幸せに暮らしていると、与太者堀木が来る。嫌な奴である。リットン調査団を意味する。ヨシ子が姦淫していると報告する。大庭はショックで眉間を割られた気分になり自殺未遂をする。
伊豆へ保養旅行をする。上海事変を意味する。東京に帰ってくるが、体調が悪い。雪の日に喀血し、雪を染める。二・二六事件を意味する。

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体調への不安から薬屋に飛び込み、奥さんからモルヒネをもらう。やがてアルコールより怖いモルヒネの中毒になる。体が不自由な薬屋の奥さんは、国家として機能不全の中華民国である。やがて奥さんとも肉体関係を結ぶ。日中戦争を意味する。戦争中毒である。

薬代が膨大になり、すなわち人的損傷が膨大になり、今夜自殺しようと決めた時、堀木とヒラメ、すなわち米英が来る。ここが全編のクライマックスとなる。以下本文より抜粋する。

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今夜、十本、一気に注射し、そうして大川に飛び込もうと、ひそかに覚悟を極めたその日の午後、ヒラメが、悪魔の勘で嗅ぎつけたみたいに、堀木を連れてあらわれました。
「お前は、喀血したんだってな」
 堀木は、自分の前にあぐらをかいてそう言い、いままで見た事も無いくらいに優しく微笑みました。その優しい微笑が、ありがたくて、うれしくて、自分はつい顔をそむけて涙を流しました。そうして彼のその優しい微笑一つで、自分は完全に打ち破られ、葬り去られてしまったのです。

 自分は自動車に乗せられました。とにかく入院しなければならぬ、あとは自分たちにまかせなさい、とヒラメも、しんみりした口調で、(それは慈悲深いとでも形容したいほど、もの静かな口調でした)自分にすすめ、自分は意志も判断も何も無い者の如く、ただメソメソ泣きながら唯々諾々と二人の言いつけに従うのでした。ヨシ子もいれて四人、自分たちは、ずいぶん永いこと自動車にゆられ、あたりが薄暗くなった頃、森の中の大きい病院の、玄関に到着しました。
 サナトリアムとばかり思っていました。
 自分は若い医師のいやに物やわらかな、鄭重な診察を受け、それから医師は、
「まあ、しばらくここで静養するんですね」
 と、まるで、はにかむように微笑して言い、ヒラメと堀木とヨシ子は、自分ひとりを置いて帰ることになりましたが、ヨシ子は着換の衣類をいれてある風呂敷包を自分に手渡し、それから黙って帯の間から注射器と使い残りのあの薬品を差し出しました。やはり、強精剤だとばかり思っていたのでしょうか。
「いや、もう要らない」

 実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯に於いて、その時ただ一度、といっても過言でないくらいなのです。自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。けれども、自分はその時、あれほど半狂乱になって求めていたモルヒネを、実に自然に拒否しました。ヨシ子の謂わば「神の如き無智」に撃たれたのでしょうか。自分は、あの瞬間、すでに中毒でなくなっていたのではないでしょうか。
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堀木の「優しい微笑」は原爆投下を意味する。大庭は「完全に打ち破られ、葬り去られる」。
そしてモルヒネの拒否は、御前会議での「聖断」を意味する。拒否権のない天皇が、はっきりとポツダム宣言受諾の意思を表明した。

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原子爆弾を「優しい微笑」と言い換えることを、誰が思いつくだろうか。

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言い換え能力は文学の重要な要素だが、人類史上で最も重要な瞬間をこれほどの切れ味で言い換えたのだから、この人物は確かに天才だったのだろう。

(追記)もっとも横光利一から拝借した可能性が出てきた。利一のほうは日本側の光線兵器である。

1948年当時、アメリカ批判の文章はGHQのプレスコード違反とされ全て破棄される。だが太宰はだからこそ書こうと思い、実際に書いた。GHQにはバレないように、それでいて日本人にはなにかが伝わるように、見るからに頼りないメンヘラの文弱なボンボンの、一体どこにその闘志が隠されていたのだろうか、日本と天皇に寄り添い、アメリカの罪を告発する小説を完成させた。

本文に戻る。大庭葉蔵は脳病院に入院中に父の死を聞き、張り合いが抜け、苦悩する能力さえ喪失する。あてがわれた家で白髪を増やしてゆくだけである。「自分はことし27才になります。40以上に見られます」。

「紀元二千六百年」という歌が戦前にあった。だから27才である。

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物語の本筋としてはだいたい以上で終わりだが、若干の追記があるので次回に続く。

原爆投下暗示的批判作品

太宰治の「人間失格」は、やられたほうが批判する作品で、当時日本はGHQの支配下にあったのですから、こういう書き方になるのが当然と言えば当然です。今日では、「はだしのゲン」「この世界の片隅で」みたいに、ダイレクトに描写する物語が普通に成立できます。

しかしアメリカで作られる作品がここまで難解で、ここまで暗示的になるということは、日本よりもむしろアメリカ社会で原爆投下のタブー性が高いということだろうと思います。






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