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ゴッドファーザー PARTⅡ あらすじ解説【永遠の迷作】

名作と難解な作品とは、イコールではありません。ゴッドファーザー2はどちらかといえば後者に寄ってしまった作品です。監督のコッポラは元々脚本家ですから、少々凝りすぎたのです。しかし日本人としては、感謝すべき作品です。コッポラは勇敢なのです。

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永遠の名作との誉れの高いゴッドファーザー、それに比べてPARTⅡのほうは、人気も評価も今ひとつです。
一応アカデミー賞などでは前作に負けないほどの評価を得ていますが、今日の我々が鑑賞すると、パート1ほどには楽しめない人が大部分だと思います。決して力を抜いた作品ではありません。十分に作りこまれた作品です。でも「楽しみにくい」作品です。

問題は三つ

1、編曲がヘボい。

第一作はニーノ・ロータの素晴らしいメロディーが全編を多い、独特の格調高い雰囲気を実現していました。第二作ではニーノ・ロータは起用せず、彼のメロディーを、監督コッポラの父が編曲したものを使っています。この編曲の格調が低いのです。同じメロディーでも、ストイックなロータの編曲で立ち上っていた品格が、低俗で、甘すぎる編曲で台無しになっています。

確認するには一度音を消して鑑賞してみると良くわかります。絵としてはかなり上手です。第一作に負けてないクオリティーです。音がぶち壊しているのです。

2、ブランドが居ない。

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ジョン・カザールはまだ居ますが、天才マーロン・ブランドが居ません。
俳優たちは頑張っていますが、やはり作品に風格を添えるところまでは行っていません。

リー・ストラスバーグという名優(なんとブランドの師匠にあたる人です)を起用していますが、演技理論と、実際の役の上での存在感は別のことです。全体的に第一作の迫力が再現できないまま終わりました。

3、ストーリー凝りすぎた

現在と過去が交錯する構成になっています。解きほぐして理解しないと、感情移入は難しいです。

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ではストーリー解きほぐしてみましょう。ぐちゃぐちゃになっている時系列を整理すると、この図のようになります。画像ファイルです。クリックして拡大表示してください。
赤の部分見て下さい。最初、父ヴィトーはアメリカに渡り、天然痘の疑いで暫く一人で隔離されます。最後、子マイケルは、最後のシーンで、秋の庭に一人で座ります。

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この作品は一人で始まり、一人で終わる作品なのです。一人の人間がアメリカでゆっくりと家族を得てゆき、その息子がゆっくりと家族を失い一人に戻る作品なのです。中間過去の太平洋戦争勃発の日を挟んで、そのように対称的な構造になっています。(第一作は暗い部屋で始まり、暗い部屋で終わる物語でした)


女性をめぐる対称


過去の世界では敵たちが女性にひどいことをして、罰を受けてゆきます。

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シチリアのマフィア、チッチオはコルレオーネの母のお願いを拒絶して、射殺します。極悪非道な人物です。

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その罰として、コルレオーネに腹をナイフで刺されて殺されます。因果応報です。

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ニューヨークの顔役ファヌッチは女性をナイフで脅します。みかじめ料早く払えという脅しです。これまた極悪非道な人物です。

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その罰として、射殺されます。これまた因果応報です。悪いことするとこうなります。

ざまあみろですね。勧善懲悪ですね。すっきりします。しかしそれは過去の世界の話です。現在の世界では、そんなにさわやかではなくなってきます。
逆にコルレオーネ家の人物が女性にひどいことをするのです。

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マイケルはギアリー上院議員をはめようとして、売春婦を殺して、罪をギアリーに被せます。ギアリーは別にいい人じゃありませんけど、そのために殺された売春婦は、たまったもんじゃありません。

第一作では馬の首を切るシーンがありました。そこからコルレオーネ家の運命が暗転します。第二作でも同じような構造になっています。

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マイケルは当然罰を受けます。売春婦の腹を切り裂いて殺したのだから、妻のケイは自分の息子を堕胎するのです。ギアリー脅迫は高くつきましたね。因果応報です。

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マイケルの兄、フレッドは、キューバで巨根男性によるレイプショーを楽しみます。フレッドは、女性がかわいそうという感覚を持っていないようです。極悪とは言えませんが、非道です。

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そして罰として、フレッドは弟マイケルに殺されてしまいます。哀れな末路ですね。過去の世界では、コルレオーネの敵が女性に酷くして罰を受ける、
現在の世界では、自分たち、コルレオーネファミリー自身が女性に酷くして罰を受ける、そういう構造になっています。その構造をきわだたせるために、小さなエピソードが挿入されています。

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過去の世界で、ヴィトーは、なんのお金にもならない仕事、未亡人がアパートに居続けれて、犬を飼えるという条件を勝ち取るだけという、地味な仕事を喜んでやります。いい人です。そしてこれは、息子マイケルが決してやらない仕事です。

報復をめぐる対称

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過去の世界では、父と兄と母をマフィアのボス、チッチオに殺されたヴィトーが年を経て復讐します。ここでは最初はヴィトーが被害者です。正当な報復です。

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またファヌッチにみかじめ料を取られたヴィトーが、お祭りの日に暗殺します。ここでも最初はヴィトーが被害者です。報復するのですが、それはある程度正当な報復です。

これまたざまあみろですね。勧善懲悪ですね。すっきりします。
過去世界での報復は、正当性のある報復です。
でも現在の世界では、そんなにさわやかな話ではなくなってきます。

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現在世界での報復です。ギアリーは高額の手数料をふっかけただけです。でもマイケルの陰謀で殺人犯にさせられそうになります。ちょっと報復が過ぎますね。

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フランクは勘違いからマイケルを憎んだだけです。しかしマイケルは、フランクの兄の命を担保にして、フランクに自殺を強要します。これまた報復が過ぎますね。

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ロスは、幼馴染のモー・グリーンの仇を討とうとしました。(パート1で目を打ち抜かれる男です。マイケルに殺されます。)マイケルを殺そうとして、いろんな策略を仕掛けます。最終的に戦いにはマイケルが勝ちますが、
完全に戦闘力を失い逃げ回っているロスを、マイケルは殺します。これも過剰報復です。

過去の報復は被害者としての報復です。
その結果、父のヴィトー・コルレオーネは家族を得てゆきます。

現在の殺人は、あきらかに全てが過剰報復です。
そして息子、マイケル・コルレオーネは家族を失ってゆきます。

ロスの報復手口についての解説

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ロスの報復活動は巧妙を極めるものでした。一度みただけではわかりにくいですから、順を追って列挙してみます。フランクの不満を増大させておく

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コルレオーネ家の不満を十分にリサーチしておく

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ホテル利権、キューバ利権でマイケルを釣る

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フレッドをあるていど取り込んでおく

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おそらくフレッドは、マイケル一家襲撃事件の時点では、さほど敵に肩入れしていなかったはずです。でも敵は、つまりロスはマイケル一家を襲撃した犯人を、わざとフレッドの窓の下で射殺しています。当然マイケルはフレッドを疑い、フレッドも恐怖からロスに近づいてゆきます。

そして次のトラップはキューバ政府です。キューバ政府を自家薬籠中に収めたロスは、キューバ軍の力でマイケルを暗殺しようとします。ものすごく大掛かりな復讐です。(ただし革命勃発とタイミングが重なったため、マイケルはキューバを脱出できます)

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さらにアメリカでの公聴会。アメリカ政府の力でマイケルをつぶしにかかります。公聴会にはフランクが協力します。全てはマイケルの人心掌握能力の低さをついた、精緻な作戦です。ここまでやられると普通は負けます。

兄弟愛を悪用した大逆転

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しかしマイケルは、フランクの兄を連れて来て状況を逆転します。フランクの兄には「フランクが大変なことになった」と言いアメリカに連れてきます。しかし実際には兄を人質に取って、フランクの口を封じる作戦なのです。「マイケルに不利な証言をすると、兄を確実に殺すぞ」という脅迫なのです。あくどいです。

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フランクは最後に、兄たちの命を守るために自殺します。いい人ですね。しかしマイケルは逆に、自分の兄フレッドを殺すのです。フランクは敗者でマイケルは勝者ですが、あまりにも非人道的な勝者です。他人の兄弟愛を利用して自分は助かり、自分は兄弟を殺すのですから。

マイケルはどうしてここまで非人道的になったのでしょう。全ての転換点は、中間過去、太平洋戦争勃発の日にあります。

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日本軍による真珠湾奇襲の報を受け、マイケルは家族の反対を振り切って海兵隊に入ります。それまでコルレオーネ家の人々は、悪いこともするが、なにより家族の利益を優先する人々でした。そしてさして利益もないのに、未亡人が犬を飼えるように、奔走してあげるような人々でした。

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しかし太平洋戦争勃発の日から、マイケルという、より巨大な権力の行使に足を突っ込んだ人物が生まれたのです。その日はアメリカがモンロー主義を捨てた日、世界帝国への道を歩みだした日です。

アメリカは、もといマイケルは、過剰な報復によって権力の掌握に成功します。

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しかし、過剰な報復の罰として、家族を失い、一人になります。後に残ったのは荒廃した精神です。こう書くとそれなりに良いストーリーですね。良いアメリカ批判になっています。せめて時系列どおりに構成すると、もう少しわかりやすかったと思うのですが。

でも、コッポラがアメリカ人として最大限に突っ込んだ表現をしてくれたことに、日本人としては感謝すべきなのでしょうね。

「マイケルの過剰な報復」はなにを意味するのでしょうか?真珠湾奇襲に対する過剰な報復、と考えれば想像がつきますね。

原爆投下暗示的批判作品

太宰治の「人間失格」は、やられたほうが批判する作品で、当時日本はGHQの支配下にあったのですから、こういう書き方になるのが当然と言えば当然です。今日では、「はだしのゲン」「この世界の片隅で」みたいに、ダイレクトに描写する物語が普通に成立できます。

しかしアメリカで作られる作品がここまで難解で、ここまで暗示的になるということは、日本よりもむしろアメリカ社会で原爆投下のタブー性が高いということだろうと思います。

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