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やってみて短歌全然だめだった、けれどあきらめなかった2年。

この6月7日で、短歌をはじめてまる2年になります。
生きのびた…!
でも、自分はまだまだ入り口でモタモタしてる初心者だと思っています。

そもそも、2020年に勘違いでナナロク社のオンライン短歌教室 というかガチの歌人養成講座 木下龍也先生の組に入ってしまい。
先生に推敲の必要がないとまで言われるレベルの高い方々の歌と並んで、それまでまったく短歌を作ったことがないわたしは浮いていました。
「定型を目指してやってみて、無理なら詩に転向したほうがいい」と言われてしまったわたし…
(先生は著書『天才による凡人のための短歌教室』にも、「つくり始めて三百首くらいまでは定型を守ってほしい」と書いておられます。詳細はぜひ、そちらを読んでみてください。)

その時のファースト短歌がこちらです。

こわれゆくひとのにおいを知っている
その肩で目を閉じた 一体 / 鈴木精良

奇跡の句跨り。もちろん、当時は句跨りなんて存在も知りません。
上句はふっ、と浮かんで。
(今も天からの恵みタイプで、作ろうとして作ったものより、ふと浮かんだものの方が出来がいいです)
31字になんとか収めるために、最後の「一体」にたどり着くまで相当苦しんだ記憶があります。

歌のタネのようなものは浮かんでも、それを短歌のかたちに流しこむことが難しくて。

本当に苦しかった。
いまも作歌は苦しいですけど、比較にならない。
地獄でした。
その後初めて東京歌壇で東直子先生に歌を拾っていただく10月まで、ロクに眠れないし、会う人会う人に
「実は、短歌を始めて」
「毎日頑張ってるんだけど、全然だめで」
「死にたい」
って言ってました。
そんな話を聞かされた方々、ほんとうにごめんなさい。
「休んだら?」
「なんで短歌じゃなきゃだめなの?」
って…当然ですよね。
「やめない」
「いま休んだら、苦しい記憶だけが焼き付いて、二度と短歌つくれなくなっちゃうから」
泣きそうになりながら、そう答えていました。

結局短期間でどうにかなるほど短歌は甘いものではなく、自分でも作っても作っても駄作だと思う、でもどうすれば良くなるのか分からなくて。
いま思い出してもつらすぎて泣いてるんですけど。

それでもやめない。
あきらめないで365日歌をつくり続けるしか、良くなっていく方法はありませんでした。
近道はなかったのです。
2年経ったいまだからこそ、それが分かります。

じゃあ、歌が良くなるってどういうことでしょう。考えたときに、
「2年前にはできなかったことができるようになり、分からなかったことが分かるようになった」。
だから、あくまで自分といううつわの中での話にすぎません。
何千何万といる歌人のなかで相対的に見て良い歌がつくれるようになったかといえば、全然、まだまだだと思います。

そういえば。
無我夢中で、最近まですっかり忘れていたことがあります。
木下先生は「定型を目指して」のほかに、こういう言葉もくださいました。

「定型がハマれば、化けるかもしれない」

先生の、その言葉を命綱のようににぎりしめて。
がんばり続けていこうと思います。

短歌は一生やめません。


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