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恋愛・性別・関係性の多様性について

TRP(東京レインボープライド)が行われているので、タイムリーな話題を。

まず「LGBT」という言葉について。
この言葉がマスコミに取り上げられたおかげで、
「恋や性別の形に多様性がある」という認識が広まり、
これまでひそひそと語られていたそれらが「話題にしていいもの」になったという功績は大きい。

それは理解したうえでも、やっぱりこの言葉で「恋愛や関係性や性別の多様性」を説明するのはあまりよくないな、という気持ちはある。
聞きなれず覚えづらい「LGBT」という言葉を使うとなると、
どうしても「LとはGとはBとはTとは」と説明しなければならないことになる。
初めて聞いた人はそれを覚えようと精いっぱいになって、
そこで力尽きて本当に伝えたいことは伝わらなくなる。

LとGとBとTはそれぞれ悩みも境遇もまったく違うし、
いっぺんにまとめて全部の問題を解決なんてできないのに、
まるでそれぞれが同じくくりのグループで、同じ考えを持っているかのように見えてしまう。
だから「LGBTトイレ」みたいな、的外れなものが考えられてしまうんだよね。
(Lは女性、Gは男性なのだから、トイレには関係がない。
あるのはTやXジェンダーだけど、FTMとMTFは自分で感じている性別が違う。
だから「LGBTが使うトイレ」というのはまったくもっておかしい)

それにLとGとBとT以外の人が見えなくなってしまうという問題もある。
いくら「それ以外にも多様な人がいます」とおまけのように書いたって、
そもそも初めて聞いたような人に、そこまで想像するのは難しい。
「LGBTの権利のために」ということが主張されすぎて、
それぞれのための専用の政策や設備が充実したとしても、零れ落ちてしまう人はたくさんいる。

本当は、そんな小難しい話はいらないんだよね。
「ふつうはこうするのが当たり前」「みんなこういうものだ」
「こうじゃないとおかしい」と言ってしまいそうなときに、
「そうじゃない人もいるかもしれない」と考える想像力。
必要なのは本当にそれだけだ。

男はみんな女好きだ→そうじゃない人もいる
女はみんな男を求めている→そうじゃない人もいる
女(男)に生まれたからには女(男)扱いされたい→そうじゃない人もいる
誰だって恋愛したいに違いない→そうじゃない人もいる

同時に恋愛する相手は一人だけに決まっている→そうじゃない人もいる
同性になら裸を見られたって嫌じゃないはずだ→そうじゃない人もいる

「そうじゃない人」が複数いたとしたら、
それぞれの「そうじゃない理由」は同じではないんだから、
「当事者にどうしてほしいか聞く」というような方法では、
いくらやっても解決しないんだよね。

「そうじゃない人もいる」ということを想像して、
「じゃあ、どうすればみんなにとって心地よくなるか」を考えられるのが真の解決。
そしてそれは、実はそういうマイノリティに関わらず、
「誰にとっても」心地よいものになるはずなのだ。

そもそも人間を「マイノリティ」か「マジョリティ」か
二つにはっきり分けようというのがナンセンス。
全体的にはマジョリティでも、たいていはどこかにマイノリティ的なところがある。
(異性愛者で男性自認でも、同性に裸を見られるのがとても嫌だ、という人もいる)

めざすべきは、「LGBT対応」ではなくて、ユニバーサル対応なのだ。
(たとえば同性婚の話も、本来は「パートナーシップ制度をつくる」のではなく、
婚姻の要件から性別を外す、という方向であるべきじゃないのかな)

TRPは、誰もが生きやすいユニバーサルをめざすイベントとして、
これからも続いてほしいと思う。

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