「人工的な躁鬱」という生存戦略

僕は人工的な躁鬱というか、「ADHDの生存戦略としての躁鬱」で、なんとか「仕事ができる」という評価を獲得してきた。

簡単に言うと、仕事に向かうとき、特に顧客や取引先、交渉相手と臨むときにほぼ無意識に「躁」のスイッチを入れて、頭の回転の速さを二倍にし、説得力を増すように感情的、情熱的に話したりすることができるようにしてきた。

10年間かけてその手法を会得してきた結果、いまではもはや、自ら躁にならないと仕事ができない。(というか自分の意志ではオフにできない)

毎日躁状態で仕事をしているから、めっちゃ仕事できるけど、どんどんアポイントを入れるし、自分の仕事のハードルを上げてしまうので(そのおかげで相手には評価されるんだけど)、ふと気づくと未来の自分にプレッシャーをかけてしまう。

そしてその反動で、仕事が終わった後の夜、あるいは次の週の仕事が始まる直前の朝に、ものすごく憂鬱になってしまう。

「無理をすれば」こなせる仕事であることはわかっているのだけど、それはやっぱり「無理をしている」のだ。だけど周りの人たちは、僕がいつも仕事ではうまくやっているから、「いつもできる人」だと思って、「無理をしている」なんてことには気づかない。それを気づいてもらえるような努力も、最近では少しだけできるようになったけど、まだまだごくわずかだ。

「躁状態にならずにできる仕事」が僕にとっては長く続けられる、心身に負担がかからない仕事なんだろうなぁと思うんだけど、今までそういう仕事に就いたことがない。一番近かったのは、意外にも学童スタッフだった気がするな。

大人に対しての仕事だと、どうしてもわかりやすく伝えるための演技が必要になる(と僕が思い込んでいるだけかもしれないけど)ので、打合せでも商談でも、大袈裟にテンションをあげてしまう。こどもに対しては逆に、低めのテンションのほうが信頼してもらえる。

まぁ、これって僕自身が、大人よりも子供を信頼しているなのだろうな。

信頼できる人だけを相手にするような仕事であれば、僕はムリをしなくて済むようになるのかもしれない。実際、信頼できる同僚との打ち合わせの時は、頭はフル回転でアイデアを出しているけど、それほどハイテンションにならずに済むし、あまり疲れない気がする。

そんな自己分析。まだまだ僕は、自分が長く続けられる居場所を探して、ゆるやかに放浪中。

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