妻夫木聡は、いくつになったら大人エレベーターを降りられるのか。

妻夫木聡について考えることが、よくある。

たぶんこれを読んでいる人で「妻夫木聡って誰?」って人はいないと思う。

このあからかさまに読みづらい名字も、彼のおかげですっかり日本人の8割はつっかえることなく「つまぶき」と読めるようになった。これはほぼ間違いなく妻夫木聡ひとりの手柄と言っていいだろう。日本の妻夫木姓のイメージを、彼はひとりで背負って立っている。

つまり彼はそれくらいメジャーで、支持率の高い俳優のひとりだ。

代表作を挙げれば、初期の『ウォーターボーイズ』から始まり、映画で言えば『ジョゼと虎と魚たち』『涙そうそう』『悪人』『バンクーバーの朝日』など。ドラマにしても『ブラックジャックによろしく』『オレンジデイズ』『スローダンス』とヒット作が盛りだくさん。なんたって大河ドラマの主役までやっちゃっている。いわゆる一過性のブームというところからは一歩距離を置いて、立派に地歩を確立した国民的俳優のひとりだ。

が、しかし、である。

なぜかわからないけど、妻夫木聡には大物感がまるでない。妻夫木聡の同世代の俳優と言えば、玉山鉄二とか玉木宏とか岡田准一とか高橋一生あたりがパッと浮かぶ。もちろんそれぞれいい俳優だけれど、早くから主演俳優として成功し、15年以上にわたって高値安定しているという意味では、妻夫木聡と岡田准一がこの世代の二枚看板だろう。

それこそ岡田准一なんて最近は大作映画と言えば岡田准一と言うくらい、毎回力の入った作品でセンターを張っている。顔つきも苦み走った男の風格というのが、かなり出てきた。

一方で、妻夫木だ。

キャリアも実力も何ら遜色はないはずなのに、妻夫木聡に関してはなぜかまだ「大物俳優」というより「若手俳優」という肩書の方が座りが良い感じがする。恐ろしいことに、彼はもう37歳である。当たり前だけど、全然若手じゃない。でも、なぜだろう。ふっとミスチルの『Sign』に乗せて、今の妻夫木がデコ出し逆毛で仲間たちと河口湖でキャンプしても、何かイケる気がする。年齢で言えば島耕作よろしく部下にカッコよく指示出して、バーで出会った小股の切れ上がったイイ女を手当たり次第抱いていてもおかしくないはずなのに、いまだに入社2年目感が半端ない。「俺たちって将来どんな大人になるんだろうな」って言いながら、ひとけのない川辺で缶ビールを仲間と呷るような、そんなモラトリアムを妻夫木聡は今も生きている。

たぶんこれはCMの影響も大きいだろう。茫洋たる未来を前に思い悩む青年が、人生の先輩に教えを乞うというコンセプトが、モラトリアム妻夫木にはぴったりなサッポロビールの『大人エレベーター』シリーズ。好評なのだろう、シリーズ9年目に突入して、今なお妻夫木は「大人って、何だ?」と模索し続けている。

繰り返すが、妻夫木聡は御年37歳。もう「大人って、何だ?」と言っている場合じゃない。ついには対談相手が同学年の星野源とかになりだして、もう大人エレベーターもクソもなくなってきた。けれど、モラトリアム妻夫木は律儀に今年も大人エレベーターに乗り、坂本龍一相手に「大人って、何だ?」って聞いている。いい加減、その答え出ても良くない?

しかし、ここに今の僕たちのリアルがある気がする。僕も今年でついに35歳。どう差っ引いて見ても「大人」である。でも、全然そんな意識がない。できればもう少し情状酌量の余地をいただければ幸甚くらいの感覚だ。

そりゃあ仕事をしていれば責任を負う場面も増えてきたし、それなりに権限も大きくなってきて、一丁前の社会人としての力量みたいなものはついてきたのかもしれないけど、心はいつもラムネ色。少なくとも『恋も二度目なら』の佐藤浩市みたいにスーツは似合わないし、『こんな恋のはなし』の真田広之みたいな色気もない。思った以上に、あの頃描いていた「大人」は遠いのだ。

実際、昔に比べて今の人たちは10歳若いなんて話もよく聞くけど、そんな僕たちの年齢と自分が全然追いつかない感じを、妻夫木聡は一手に引き受けているんじゃないかという気がする。

大人とは何かと言われたってわからないし、人生の答えなんて持ち合わせてもいない。妻夫木聡に至ってはもう結婚さえしているというのに、父親役よりも、いまだに綾瀬はるかのブルマに鼻の下伸ばしている方がフィット感があるなんて、もう完全に時空を超越している。

彼の直近の主演映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』も“力まないカッコいい大人”に憧れる、うだつの上がらない編集者役だ。四捨五入したら40なのに、それでも大人に憧れる役を振られてしまうのである。

結局、今の僕たちの世代は、おおむねそんな感じなのかもしれない。ずっと何かの途中。未熟で、未完成で、いろんなことが覚束なくて頼りない。『オレンジデイズ』を見ながら、大学を卒業したら大人として社会に踏み出していくんだなんて不安と希望を抱いていたけれど、なんてことはない、校門を一歩出たところで、延々と不透明な明日が続いていくだけなのだ。

だから、いつまで経っても人の良さそうな顔で「大人って、何だ?」と揺れ続ける妻夫木聡を見たら安心してしまうのかもしれない。僕たちはもう少しこのままでいられるのだ、と。

むしろ、いつか彼が大人エレベーターを迎える側になったときが、最後通告。いよいよ僕たちは何者にもなりきれない日々にけじめをつけなきゃいけない。

そう考えたら、妻夫木聡にはもう少しだけエレベーターのゲージの中にとどまり続けてほしいような、そんな気がした。

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