22歳の僕が書いた「30歳の僕」を36歳になって公開してみる。

PCの整理をしていたら、就職活動のときに、あるテレビドラマの制作会社に提出した「30歳の僕」というテーマの作文が出てきた。

30歳どころかもう36だし、ここで書いたことは呆れるくらい何ひとつ叶っていないし、内容も顔を背けたくなるほど青臭いんだけど、なんかあの頃の自分にしか書けない文章だなと思ったので供養のつもりで公開してみる。

めちゃくちゃ恥ずかしいので、気が変わったらふっと非公開にしている可能性もあります。この人、22歳の頃、こんなこと考えていたんだ〜、というつもりで読んでください。

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8年か、と思った。

それが長いか短いかはわからなかったが、記憶を揺り起こすだけで息が苦しくなるような濃密な日々だったと、僕は苦笑いを浮かべた。念願叶ってアズバーズに入社した春から、8年。何も知らなかった22歳の僕は、いくつもの修羅場のような現場をくぐりぬけ、気づけば30歳のドラマプロデューサーとなっていた。頭に、「敏腕」だとか「気鋭」だとかつけられたら22歳の僕も文句はなかっただろうが、あいにく生身の人間が歩む人生なんて、テレビの中ほどドラマティックじゃない。後生言いふらせるほどのヒット作もなければ、末代までの恥になるような失敗作もない。正真正銘、平凡なドラマプロデューサー、それが30歳の僕だった。

「いい加減折れようよ、横川さん。他はみんな納得してんだから」

現在制作中の連続ドラマで、一緒にプロデュースを担当している香山が苛立たしげに声を荒げた。最終回のあらすじをめぐって、今、チームは真っ二つに分裂している。想い合ったがために身を滅ぼす男女の顛末を通して、究極の愛とは何かを描きたい。僕の一言をもとに制作された今回の連続ドラマは、最新回で18%の高視聴率を記録した。僕自身、これまでのプロデューサー人生の中で最高記録だった。20%の大台を目指して、現場は活気に満ちている。けれど、周囲の熱気が高まるほど、僕の胸中には、鉄を舐めたようなざらついた苦味と冷気が重くのしかかってきた。

ドラマが予想以上の評判をあげている理由は、主人公である男女への共感ではなく、ひとえに嫉妬に狂う元恋人の病的なキャラクターにあった。愛する恋人を奪われた女はヒロインに嫌がらせを繰り返す。その行為が常軌を逸したものであればあるほど、視聴率は急上昇した。世間の関心はもはや主人公ではなく、敵役である女に集中していた。香山はこれをチャンスだと目論見、追いつめられた主人公たちが天国での再会を誓い心中する当初の予定を退け、人格崩壊の末に敵役である女を自尽させ、平穏に暮らす男女の周辺に、死んだはずの女にそっくりな女が現れるというホラーじみた結末を主張した。そして、それは上層部から現場で働くスタッフまで、多数の賛同を得た。究極の愛を描きたいという僕の冒頭の発言は、みなの記憶からすっかり抜け落ちていた。

「な? そりゃ横川さんの気持ちも分からなくはないけどさ、俺たちの仕事は視聴者が見たいものを見せることなんだから。今、どっちの結末を茶の間が求めてるかは、横川さんだってわかるだろ」

僕は内側の肉を噛むように口を噤んだ。香山は笑うと唇の右端が糸で引っ張ったように釣り上がる。その笑い方が、一層僕を押し黙らせていることを、香山は気づいていない。香山は僕を見下ろすようなかたちでテーブルにどかっと腰を下ろし、煙草に火をつけるなり、煙と一緒に「だから、あんたと組むのは嫌なんだよ」と吐き捨てた。

その瞬間、頭に血が昇るのがわかった。

「だったらええわ。勝手にせせや。ただし、俺の名前はクレジットから消しとけ。こんなもん、俺のつくりたかったドラマとちゃうわ」

自分でも何て青臭い台詞なんだろうと思った。けれど、言わずにはいられなかった。僕はそのまま会議室を飛び出し、エレベーターを待つのももどかしくて、階段を駆け下りた。耳が熱くてヒリヒリする。確か耳は人体で最も低温だったはずだよな、と場違いな感想が脳裏に浮かんだ。


初めてプロデュースを担当したドラマのことは、今でもはっきりと覚えている。26歳のことだ。試行錯誤の連続で、周囲のメンバーに散々迷惑をかけたけれど、自分のつくりたかったドラマが公共の電波に乗って全国のお茶の間に届くという光景に身震いするほどの感動を覚えた。「クランクアップ」の声がかかった瞬間は、全身が粟立ち、立っていられないほどだった。辛い想い出を数えれば明後日の夜明けまでかかるような毎日だったけれど、その瞬間にすべてが報われた気がした。今の自分が幼い日に夢見た場所に立っていることを、身体の内側から実感した。

あれから僕はいくつ作品を手掛けただろう。中には時間や予算の都合で思い描いた通りのものがつくれず、頼むからオンエアをやめてくれと懇願したものもあった。テロップから自分の名前を外してほしいと願ったことだってある。けれど、反省や後悔を礎に、やがて自分なりの方法論を確立した。完成度だけで言えば、ずっと誇れる作品もあったはずだ。だけど、目を閉じて最初に浮かぶのは、決まって初めてプロデューサーとして世に送り出したあの作品だ。無茶苦茶で出鱈目で、荒唐無稽のお手本のような仕事ぶりだったけど、今、あの頃の自分に出逢えても、目を合わせて話せる自信が、僕にはない。


珍しく早々と帰宅したにもかかわらず、僕は殆ど妻と言葉を交わすことなく、ベッドに沈みこんだ。眠りに落ちた僕は、薄闇の中で1人の青年を見つけた。リクルートスーツから窮屈そうに顔を出して、彼は何かを話している。一際大きく、明るい声で。誰だろう。何と言っているのだろう。僕は彼に駆け寄った。緊張で表情を強張らせながらも、目だけは凛々と輝かせる青年を直視したが、一瞬、その正体がなぜか判然としなかった。心の中にあるアドレス帳を瞬時に引ったくり、ようやく最後のページに青年を見つけた。

そうだ。彼は、僕だ。22歳の僕だった。

たちまち闇は取り払われ、そこは面接会場となった。アズバーズの最終審査。提示された課題は、「30歳の僕」。今の僕のことだ。あの時、自分は何て書いたんだっけ。まるで思い出せない。たぶん「敏腕プロデューサーとなって、ヒットドラマを次々と生み出している」なんてとこだろう。ご期待に沿えなくて、申し訳ないね。30歳の僕は8年前の自分に大人気なく鼻を鳴らした。

8年か。もう一度、8年という時間の長さに想いを馳せてみた。あの頃の僕は、確かに夢見る頃のど真ん中にいた。漫画喫茶に泊まりこみ、貯金が底を突いてからは野宿を繰り返して面接に挑んだ。公衆便所でこっそり髪を洗う毎日を耐えぬくことができたのも、ただただこの手でドラマをつくりたいという夢があったからだ。その情熱だけが、先の見えない孤独な日々の中で僕を突き動かすエネルギーとなっていた。今、あの時代に戻ることができたなら、僕は彼と同じ道を辿るだろうか。即座に頷くことができなくなった僕は大人になったのか、それともただ疲れ果てただけなのか。

「僕の人生はドラマによって救われました。たった1本のドラマが僕に生きる勇気を与えてくれたのです。だから、今度は僕が支えとなる番です。自分のつくったドラマで、迷い苦しむすべての人に勇気を与えたい。それが、僕の夢です」

驚くことに、今でも自然と諳んじることができた。何度も何度も繰り返してきた志望動機。嘘も誇張もない22歳の僕の言葉が、30歳の僕の唇を伝ってポロポロと頼りなく溢れ出た。頭の奥が熱を帯びて刺すように痛む。気道に蓋をされたみたいで、上手く呼吸ができない。どうしてだろう。どうしてこんなにも遠くかけ離れてしまったのだろう。ただ一生懸命走りぬいてきただけなのに。夢見た場所を目指して、全速力で駆けぬけてきただけなのに。いつから僕はあの頃の気持ちをなくしてしまっていたんだろう。

忘れていたわけじゃない。ただ思い出すことを忘れていただけだ。

22歳の僕よ。お前が思うほどこの世界は甘くないんだ。もちろん、お前だって覚悟はしていただろう。けれど、その覚悟を遥かに上回る苦難と挫折がお前を待っているんだ。その中で、僕は必死にやってきた。今だって必死にやっているさ。ただ…。

言い訳ばかりが上手くなった30歳の僕に、22歳の僕は晴れやかに笑いかけた。知っているさ。だけど、まだまだやりたいんだろう。諦めたくないんだろう。だって、小さい頃からの夢だったんだから。

どうして一目見た時に、青年が自分だと気づかなかったのか、不意に僕は理解した。彼のような無邪気な笑顔を、僕は久しく見ていなかった。


「なあ、俺のアレ、知らない?」

朝食の仕度を整える妻に、声をかけた。

「アレ? アレなら、書棚の抽斗にしまったでしょ」

味噌汁の味を見ながら、妻は答えた。なるほどさすがは我が愛妻。愚夫に対する管理能力は、制作統括を仕事とする僕でも脱帽するほどだ。ポロシャツに頭を通しながら、僕は書棚の抽斗を開けた。上京する際に、不要なものは殆ど処分した。けれど、この紙束だけは置き去ることも捨てることもできず持ってきたのだ。

高校生のとき、初めて自分が作・演出を手掛けた芝居のアンケート用紙だ。辛辣な意見ももちろんあったけど、「この芝居を一生忘れない」とだけ短く書かれたアンケートは、尽き果てそうな情熱の火に何度も希望の薪をくべてくれた。それは、22歳の頃から今日まで、何一つ変わらない。

「ちゃんと立ち直った?」

背後でお玉を片手に妻が不敵な笑みを浮かべた。慌てて、僕はアンケート用紙を抽斗にしまった。

「別に落ちこんでなんかないよ」

「嘘ばっかり」

歌うように言って、彼女は微笑んだ。

「頑張って、たくさんいいドラマつくってね。この子も楽しみに待ってるんだから」

妻は僕の手を掴んで、大きくなったお腹に添えた。22歳の僕は、自分が父親になることまで果たして想像しただろうか。お腹の子と、22歳の僕に見せつけてやりたくて、妻の口元に唇を寄せたが、ポカリとお玉で殴り返された。

香山は、会議室で脚本家と最終回の詰め作業に没頭していた。扉を開けると、香山は相変わらずの歪んだ笑みを僕に向けた。

負けてたまるか。香山にも、気まぐれな視聴率にも。

負けてなんかやるもんか。身内ばかり集めた芝居で悦に浸っていた17歳の僕にも、夢なんて言葉をその重みも苦労も知らないで軽はずみに連発していた22歳の僕にも、初のプロデュースに舞い上がって満足な仕事もできなかったくせに歓喜の涙を流していた26歳の僕にも、絶対に負けない。

だって、僕はずっと走ってきたんだから。泥まみれになりながらも、時には道を踏み外しながらも、ずっと走り続けてきたんだから。

「何のご用ですか?」

皮肉っぽく高らかに声をあげた香山に、僕は黙って頭を下げた。

「昨日は勝手を言って、申し訳ありませんでした」

香山は席を立って、僕に歩み寄った。

「それは敗北宣言と受け取っていいのかな」

僕は顔を上げた。唇の右端どころか顔全体が斜めに釣り上がった香山の顔は、昔見たテレビドラマのいじめっ子そのもので、僕が視聴者なら思わず石を投げつけるところだけど、不思議と不快感は沸かなかった。香山と、そして僕たちの対決をじっと見守る脚本家に向かって、僕は早口で説明した。

「主人公が心中するラストは却下だ。敵役の女は自殺させる。けど、絶対に究極の愛とは何か描いてみせる」

迷い悩むすべての人に勇気を与えるドラマには、とても程遠かったけど、僕の胸は久しぶりに力強いタップを踏んでいた。

30歳、僕はまだ夢の途中だ。

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終わり。あ〜、恥ずかしかった。

36歳の僕はプロデューサーどころかテレビドラマをつくる人にもなれなかったし、父親になる前に結婚さえしていない。もうちょっと若い頃なら、そんな自分が歯がゆくて、みじめで、どうしようもなくなっていた気がするけれど、なんだろう、今は、何ひとつ思い通りにならなかったことも含めて、自分の人生だって優しく背中を撫でてやれる気はする。

生きるって、年をとるって、きっとそういうことなのだろう。

でも、たったひとつだけ、22歳の僕が的中させたことがある。それが、結びの文章。そこだけは30歳を過ぎても、36歳になっても変わらない。きっと、性分なんだろう。たぶんこれからどれだけ年をとっても、一生変わらない気がする。

22歳の僕が宛てたエールのようなフレーズを口の中でもう一度なぞって、このnoteは終わりにしたい。

36歳、僕はまだ夢の途中だ。

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