「筆先三寸」日記再録 2002年4月~8月


2002年4月7日(日)

 自己紹介のページに、今さらながら「テキストサイト管理人に100の質問」を追加してみました。


2002年4月11日(木)

「ともちゃん三題」

▼チャンバラ好き
 ともちゃんはお兄ちゃんとちがって、赤ん坊のころからアンパンマンなんかには見向きもしない。戦隊物&仮面ライダー一辺倒である。
 毎日々々朝から晩までビデオかけろ、おもちゃを買えとうるさいことこの上ない。おかげで乱暴者になりつつあるような気もするのだが、それはひとまずさておく。
 好きなのはどうやら刀剣類のようらしい。こないだまでは安物の仮面ライダーアギトのなんとかセイバーを常に手にしていた。今は忍風戦隊ハリケンジャーのなんとか剣を離さない。
 そんなチャンバラ好きが高じて、いまや時代劇まで見るようになった。こないだも、仕事を終えて帰宅すると、テレビで役所広司の「盤嶽の一生」なんてのをやっている。チャンネルを変えようとすると、「ともちゃんこれ見るー」と頑強に拒む。本人は見ているわけでもないのに。横向いておもちゃで遊んでいるくせに。
 仕方がないのでほっとくと、テレビでチャリンと刃鳴りの音がしたとたん振り返って、テレビ画面を食い入るように見つめ出した。
 大きくなったら剣道でも習わせてやろうかなあ。

▼ハリケンジャーのパジャマ
 そんなわけで、このところともちゃんはハリケンジャーが大好きである。
 昨日もキャラの一人である「クワガライジャー」のコスチュームになったパジャマを買ってもらって、まったくもって上機嫌であった。
 保育園に着て行くとぬかすので、それは注意した。
「きく組さんになってんから制服で行かなあかんの」
「ほんならな、もっていってもいい?」
「そらお昼寝のときのパジャマやからな」
 ともちゃん、満面の笑みである。
「しーくんにみせたんねん。しーくん、びっくりするかなあ」
「ともちゃんかっこいい、て言われるんちゃうか」
 もうなんか頬がゆるんで仕方がないという風情である。
「うわー、てゆうかなあ」
「みんな、ええなーて言うで、きっと」
 明日のその場面を想像したのか、すでに小鼻をふくらませている。
「ほんまかっこええもんなあ。背中に剣もついてるもんなあ」
「おとうさんも、カブトライジャーのパジャマこうてもろたらええねん」
 それはいらん。売ってないと思うけど、売っててもいらん。

▼お父さんとお母さんのどっちが好き?
 先日、晩飯を食ってテレビを見ていると、ともちゃんがにこにこしながら話しかけてきた。
「なー、おとうさんとおかあさんとどっちがすき、てきいてー」
「え?」
「おとうさんとおかあさんとどっちがすき、てきいててゆうてるやろー」
 どうやら自分に質問してほしいらしい。
 話はそれるが、ともちゃんはまだまだ自分の思いを伝えるのが苦手である。
 この間も、
「かめんらいだーの本とってー」というので、
「どれや」と聞き返すと、
「かめんらいだーのほんー!」
 と大声になる。
「せやから、どの本や」
「かめんらいだーのほーんー!」
 どうやら、大きな声で言うと説明になると思っているらしい。
 で、話は戻って。
 ともちゃんの希望に沿って質問した。
「なあなあ、ともちゃんは、お父さんとお母さんと、どっちが好き?」
 すると、ともちゃんはにこにこしながら身をよじって迷いだした。
「えーとな、えーとな、えーとな」
「うんうん、どっちなん?」
 やっとのことで、ともちゃんは答えた。
「おかーさんがすきー」

 おーい、そのしてやったりという表情はなんやー。結局ネタかー。


2002年4月14日(日)

 私は紋切り型の言説というものを常々嫌っているのだが、学校の勉強を憎む高校生の方々の間ではこういうフレーズがよく用いられる。
「微分だの三角関数だの、社会へ出ていったい何の役に立つんだよ」
 私は正真正銘の文科系なので、社会へ出てから加減乗除以外使ったことはないが、少なくともこの意見には与しない。
 考えてもみてほしい。冬場、ランニングに励む水泳選手に、誰が「夏になったら水面走るつもりか」と言うだろう。ウエイトトレーニングを重ねる野球選手に、誰が「ボーリングの球でも受けるんかい」と言うだろう。受験勉強も同じである。
 ええかっこしいでもなんでもなく、私は今、
「受験勉強はめちゃめちゃ役に立つ」
 と言い切ることができる。もちろん数学も含めて。含めてどころか、たぶん数学(で鍛えられた考え方)が一番役に立ってると思う。

 というわけで、今日の日記はこの4月からの高校3年生に捧げます。へこたれずにがんばってください。

 (あ、中学受験は別ね。小学生はもっと他にすることがあるから。高校受験は……思春期の人間に、「大人になったら、やなことでも我慢しなくちゃ飯が食えない」ことを思い知らせる程度には役に立つか。)


2002年4月21日(日)

▼SONYのクリエが懸賞で当たってもう半年になるが、Palmがこんなに便利なものだとは思わなかった。それまでは弁当箱のようなシステム手帳を使っていたのだが、もう戻れそうにない。予定表やToDoの使い勝手ははるかに便利だし、子どもの写真はたっぷり入るし、ゲームはできるし、青空文庫から何冊も本をダウンロードして持ち歩けるし、携帯電話につなぐとWebも見られるし。あちこちのフリーソフトをかき集めれば、どんどん便利になるし。まあ、ささっとメモをとるとか、地図やメモを書いてちぎって人にやるとか、社内文書を縮小コピーしてはさんどくとか、そんなのは紙の手帳の方がいいんだけれど。なんとかそこらへんは辛抱するにしても、何をどれだけ詰め込んでも手のひらサイズというのはやっぱりありがたい。
 便所に落とすと大変なことになるんだろうけれど。

▼土曜日が完全に休みになったおかげで、学校では土曜日はボランティアベースでいろんなプログラムを組んでくれるようです。で、昨日、めんどくさそうななおちゃんをたきつけて、なんとか朝から学校へ連れて行ったのですが、昼前には一人で帰って来やがりました。聞くと、「はじめは面白かってんけど、なんか面白なくなってきたから帰ってきた」だそうです。なじむのが下手なのか、自立心が旺盛なのか。
 普段の日も、20分休憩とか昼休みとかでも一人か二人で地味に過ごしていることが多いそうです。そんなことでいいのか2年生。無駄に圧力をかけても百害あって一利なしというやつなので、無理やり友だちと遊べだの、輪に入れだの言おうとは思いませんが。
 そんななおちゃんの最近のお気に入りは、お父さんとのドッジボールと、中川いさみ『兄さんのバカ!』(マガジンハウス)です。そんなことでいいのか2年生。

▼たぶん、今週中にとうとう10万ヒットがやってきます。3年弱でこの数字というのは世間的には微妙なのかもしれませんが、私としては、すすすすすすっごい数字のように思えます。
 べつにキリ番がどーこー言う趣味はないのですが、せっかくの6桁突入ですので、踏んだ方はご一報いただけるとうれしいです。
 とかいいながら、えてして自分で踏んじゃうんだこれが。


2002年4月26日(金)

 以前も少し書いたことがあるが、郊外(田舎とも言う)に住んでいると、しょっちゅうバカ車に出くわす。スモークガラスに仰々しいエアロパーツ、太いタイヤにばかでかい排気音という、いわゆる珍走団の一歩手前という連中である。最近は、室内に青いランプが灯ってたり、ルームミラーに造花のレイがぶらさがってたりするやつもよく見かける。新手の交通安全のまじないか、あれは。
 自転車で走ってて、そんな車にギリギリのところをかすめられたりすると、かつて私は必ずつぶやいていた。
「そこの電柱にぶつかれアホンダラ」
 あるいは、
「ブレーキ効かんようになれボケ」と。
 なんというかまあ大人気ない話である。
 よく考えれば、なにも事故を望むほどのことではない。いくら脳みそのかわりにおからの詰まった金髪兄ちゃんがズボボボボボーと走って行こうと、大ケガをさせるのは気の毒である。一般市民の巻き添えでも出た日には、寝覚めが悪いではないか。
 ていうか、そんなこと本気で心配する方もどうかしてるが。
 そこで近ごろは、つぶやく内容を変更することにした。
 アホの子の運転するバカ車に向かっては、
「今度エンジン切ったとたんに、エンジンが大ダコに」
 あるいは、
「つぎに車から降りたら、車が粘土製に」
 これなら事故の心配もせずにすむし、エンジンを切ったり車から降りたりする場所は限られてるのでたいして他人に迷惑もかけずにすむ。しかも、こちらのうっぷんも晴れて一石二鳥である。いかがなものだろう。
 いかがなものだろうって、三十八にもなって走ってく車をにらみつけてそんなことぶつぶつ言ってる私の方こそいかがなものだろうである。ほっとけ。
 というわけで、大阪近辺で、粘土でできた車の前で茫然としている兄ちゃんや、ボンネットから大きなタコが這い出してくるところを見かけた方はご一報ください。


2002年4月29日(月)

▼おかげさまで100000ヒット。
 リロードするたびに回るカウンタのおかげという、半分いんちきみたいな数字ですがとてもうれしいです。
 いつものことながらキリ番を踏んだ方からのご報告はありませんでしたが、昼休みの最中に20回もリロードしてまで100000ゲットの熱意、管理人冥利につきます。
 どちらさまも今後ともよろしくご愛顧賜りますよう。

▼いちおうモバギも持っていて雑文の下書きをしたりもするのだが、久しぶりにPCへ吸い上げようと思ったら、これがさっぱりつながらない。こないだまでシリアルケーブルつないで電源入れたら即バッチリ、て感じだったのに。いろいろと設定を確認したり再起動したけれど、どうも信号すら行き来していない。デバイスマネージャみても競合なんてないのに。
 「パソコンに詳しい」とか、「パソコンができる」とかいう言い方をよく聞くけれど、結局はこういうトラブルをさくっと解決できるかどうかということなのだろうと思う。素でレジストリをいじったり、自作でクロックアップの限界に挑むとかいうのはその上として。
 文科系&中高年の世界では、たまたまなんかのソフトを使い慣れてるってだけで、パソコンに詳しいことにされちゃったりするけれど、そりゃあんた大きな勘違いですって。て、誰に言うてんねん。


2002年5月7日(火)

 今年のゴールデンウィークも終わっちゃいました。
 家族であちこち出かけたり、実家へ帰ってゴロゴロしたりと、なんちゅかまあ、例年通りのとりたてて劇的なことなど何もない連休だったわけですが、親子うち揃って右往左往するようなゴールデンウィークもあと何回あるだろうと思うと、それはそれで貴重な休日だったのかなと思ったり思わなかったり。

 話は変わって。
 なおちゃんの方は、ゲームの攻略本とコロコロコミックのおかげでずいぶん語彙が増えたせいか、ルビさえあればそこそこ字ばっかりの本も読むようになってきた。
 息子にすればいい迷惑だとも思うのだが、本好きのバカ親としてはいろいろ読ませてやりたいところである。
 そこで先日、星新一の子ども版短編集というのを買ってきた。子ども版とはいえ本文は原文のままである。ただ、字が大きくて総ルビで、さし絵も多い(しかも和田誠)小学生向けのつくりになっている。小学校低学年から総ルビで星新一が読めるとは、よい時代になったものである。
 クオリティは保証つき、案の定気に入ってくれたようでお父さんはひと安心である。

 そういえば星新一は、40年ほどの間に1000編以上のショートショートを書いている。4年で100編、1年で25編、月に2編強。それを40年。
 いくら相手がフルタイムの天才作家でも、自分と更新ペースと比べて愕然としてしまった。とほほのほー、ていうかやっぱり星新一はすごいっす。


2002年5月13日(月)

 先週のことである。朝、ともちゃんが保育園にビー玉を持って行くと言い出した。おもちゃがらくたの類はむろん持ち込み厳禁なので、サイは言下に注意した。持って行っちゃダメと。
 ともちゃんは一旦納得した様子だったが、制服に着替えさせていざ出かけようとすると、どうも何か握りしめている。
「ともちゃん、なに持ってんの」
 サイが訊ねると、ともちゃんは目をそらせる。
「ううん、なにももってない」
「うそ、なんか持ってるやん」
「なにももってないもん」
 丸バレのところへなおも言い張る姿が可愛らしいので、サイもとうとう折れた。
「赤ちゃんが飲み込んだらえらいことになるから、絶対ポケットから出したらあかんで」
 サイがそう言うと、ともちゃんは満面の笑みでうなずいたという。
 ところが夕方、サイがお迎えに行くと、ともちゃんはやっぱりビー玉を握りしめていた。
 サイは結局その場できつく注意をするはめになった。そばに担任の先生がいたので、同様に叱ってもらった。ともちゃんはかなり反省させられたらしい。

 以上のような経緯を、私は帰宅してから聞かされた。サイが私にその話をする間、ともちゃんは柱の陰から半分顔を出しながら、「ゆうたらあかんー」などと言っていたが。
 私も怒った振りをして叱ってみた。
「そんなもん持って行ったらあかん! 小さい赤ちゃんもいてるのに、飲み込んだらどうすんねん!」
 父親の大声に驚いたのか、ともちゃんの泣くこと。本人も悪いとは思っていたのだろう、わんわん泣いた。
 私はともちゃんを抱き上げて、背中を叩きながらなぐさめた。
「よしよしよし、ともちゃんわかってるもんな、かしこいもんな。もうビー玉なんか持って行けへんもんな。今日はちょっと持って行きたなっただけやもんな。よしよし、もう泣かんでええ。わかったもんな、よしよし」
 泣き止むまでずいぶんとかかったが、泣き止むと、ともちゃんはしゃくりあげながら言った。
「だってな、だってな、アラレちゃんのあかちゃんな、けん(剣)とかたべるもん」
 それはがっちゃん。


2002年5月15日(水)

「朝の情景2題」

▼今朝の通勤電車でのことである。途中の駅で女子高生の一団が乗り込んできたのだが、そのうちの一人が突然叫び出した。
「うわー、ケータイ忘れたー」
 小娘が学校に携帯電話持っていくのを忘れたぐらいでいったい何に困るのかよくわからないのだが、そのへんがいまどきの女子高生というものなのだろう。それにしても騒ぎ方が尋常ではない。てんぷら鍋の火を消し忘れて家を出てきたような按配である。
「もー、どーしょー、めっちゃだるいー」
 それほどすいてるわけでもないのに、車両の中をいったりきたり、乗り合わせた同級生全員に窮状を訴えている。
「ほんまにもー、ケータイ忘れたー。アキラに連絡でけへんやんー」
 結局友人の一人から携帯電話を借りて、そのアキラとやらに電話をかけだした。電車の中で。でかい声で。
「ケータイ忘れてん、めっちゃだるいやろー、えー、かめへんー?、うん、そーゆーことやから、うんうん」
 まあ、ともかくアキラ君は気にもしてないらしい。手短に電話を切られた様子は、気の毒といえば気の毒であった。
 アキラ君に連絡はついても、まだあきらめきれないらしい。
「もうどうしょー、めっちゃだるいー」
 ぼやくぼやく。しかしまあ、だるいだるいて、いっぺん医者に見てもらったらどうか。
 駅にして2つほど過ぎたろうか、女子高生はとうとう決断した。
「取りに帰るわもう、遅刻やんかもー、めっちゃだるいー」
 と叫びながら電車を降りていった。全然だるそうではなかった。
 しかし、学校に携帯電話を忘れるのがそんなに一大事なのだろうか。私の携帯電話など、この3日というもの一度も鳴らなかったというのに。もちろんかけることもまったくなかった。
 それはそれでなんだかなあ。

▼つぎは地下鉄に乗り換えてからのことである。
 うまく座ることができたのだが、となりに座ったOLが化粧を始めた。
 世間ではよく聞く話ではあるし、私自身何度か目にはしているが、彼女は久しぶりの大物だった。
 座席もかなり窮屈だというのに、大きなかばんから次々と化粧道具を出してくる。右側に座った私は災難である。肘がごんごん当たる。厳しい視線を向けてみても平気のようである。
 そのうち、なんとか十数分で彼女の化粧も終幕を迎えた。締めくくりはやはりビューラーであった。そんなもん満員電車で使うなよ。
 そのあと、かばんの底からメガネを取り出してTシャツのすそでレンズを拭きはじめた。それだけ化粧道具持ってんねんやったら、メガネ拭きぐらい持っとけっちゅうねん。
 それだけかと思ったら、最後の最後に大技を見せてくれた。ゴールデンウィークには南国へでも出かけたのだろう、半袖から出た腕は日焼けのあともくっきりと、かなり派手に皮がむけはじめていた。彼女はむけかけた皮の端をつまんで慎重にはがすと、切手2枚分ぐらいは十分にある自分の表皮を、ぽいっと床に捨てたのである。
 うーむ、かなりの強者と見た。私の娘なら頭を張り飛ばしてやるところである。
 けっこう細身で可愛かったのだが。


2002年5月18日(土)

 サイが子どもたちと一緒にハリポタを見たいというので、遅ればせながらDVDプレーヤーを買った。
 例によって梅田のヨドバシカメラへ行ったのだが、なんかもういまや大変ことになっている。VHSからLD、DVD、DVDもRだのRAMだの、HDレコーダーも当然のようにずらりと並んでいる。物珍しいのでうろうろ見て回っていたが、見てるだけで頭がぐるぐるしてくる。みんなほんとにこんなのが必要なのか。HDに録画してDVDに焼いたりすりゃ保管にも便利なのだろうが、ここ数年というものビデオテープも写真もぜんぜん整理できずに、冬眠前のリスのごとく一切合財押入れに放り込んである私にはどう考えても無理である。
 それはさておきDVDである。予算も限られてるので、とりあえずプログレッシブ対応でそこそこ安いやつにした。それと、テレビ台の下もビデオが2台あってスペースがないので、いちばんぺたんこのやつにした。
 で、ハリポタのソフトだけ買って、速攻帰って接続である。テレビは割りと新しいので大丈夫だろうと踏んでいたのだが、裏を見てみるとS端子で精一杯だった。D端子なんて影も形もない。なーにがプログレッシブだー。もっと安いのにしとけばよかった。とほほのほー。

 気を取り直して、家族そろってテレビの前に集合である。ハリポタ上映会の始まり始まり。私も見てないので内心わくわくである。
 それでも結局、子どもたちの就寝時間まで時間がなかったので、ひとまず30分しか見ていないのだが、なかなか面白そうである。原作のエピソードや説明はところどころすっ飛ばされているが、子どもたちも夢中になってたのでよしとしよう。
 でも、ハリー少年がマジック・ウォンドを手に入れるまでで30分。
 私はそこまで読むのに半月かかったというのに。
 とほほのほー。

 というのが、木曜日の話。
 飛び飛びですがなんとか今日見終わりました。
 結論。
「ハーマイオニーたん萌え~」(←この感想は、はげしくガイシュツ)

 いやあの、「Hermione」を、ずっと「ハーミオン」て読んでたんですけどね。


2002年5月21日(火)

バカエッセイ「野風増」。(「飲めや歌えや雑文祭」参加作品)

 DVDプレーヤーを買ったのに気をよくして、日曜日にはツタヤへ出かけた。
 いろいろ借りたのだが、私個人としての目玉は、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツオトナ帝国の逆襲」である。
 家へ帰ってすぐに見たが、評判にたがわぬ傑作である。子どもたちもしんちゃんのアクションには大喜びであった。
 しかもしかも、感動もした。うるうるきた。「モンスターズインク」よりずっといいぞこれは。
 30代妻子持ちは必見。

 DVDは「AI」を借りた。お涙頂戴は予想通りだし、べつに構わない。筋書きもよくできている。SFXも見所は多い。しかし、SF者としての違和感はぬぐえない。いったいこれの、どこがどうロボット物SFか。
 ただの継子いじめの話ではないか。
 さすがにラストの展開は驚いたが、「死期の迫った継母の枕頭で、ようやく互いに和解する話」とみれば、これまで幾度となく見てきた物語のバリエーションにしか過ぎない。
 イアン・ワトスンまで持ち出さなくっても、橋田壽賀子脚本でよかったんじゃないの。

 なおちゃんはドラえもんとアラレちゃんを借りた。ともちゃんは例によって戦隊ものである。「オーレンジャー対カーレンジャー」と「ギンガマン対メガレンジャー」の2本。以前も借りさせられたことがあって、何度も何度も親子で見たやつである。
にもかかわらず、これ借りるー、これがいいのー、とうるさいことこの上ない。前に借りて何度も見たといくら説明しても耳を貸そうとしない。
 家に帰ると、ともちゃんはやっぱり、「オーレンジャーみるー」と大声で言い出した。なんべんおんなじもん見たら気ィすむねんとぶつくさいいながらかけてやると、しばらくして、
「これみたー、これいやー」
 ほんまにもう。どないやっちゅうねん。


2002年5月27日(月)

 何の話をしていたときだったのか、なおちゃんがこんなことを話してくれた。
「あのな、ふじ組さんのときやってんけどな」
 あらあら、2年以上前の話である。
「お当番でな、運んどってんけど、後ろ向いてたからな、背中でな、ひなまつりの人形にあたってたおしてん、6こぐらい」
 そういえば、卵の殻に目鼻を描いて人形の頭部にしたものを持って帰ってきたことがあった。そうそう、そのための卵の殻を保育園に持っていかせるのに、生卵に小さな穴を開けて中味を吸い出したり洗ったり、お父さんは大変苦労したのだった。
 おそらく、「お当番で運んでた」というのは給食当番のことであろう。
「つぶしたん?」
「うん、こわれてん。ほんでな、先生は風でたおれてんなあて言うとってんけど、めっちゃおこられるなあて、こわかって、ようゆわんかってん。せやけど、いわなあかんなあて思て、いわなあかんなあて思てて、二日たって、でもゆうたらしかられると思て、コウゲ先生に手紙書いてん。ちゃうわ、お母さんに書いてもろてん。ほんなら、めっちゃ怒られると思ててんけど、コウゲ先生、『ぼくやったんか』てゆうただけで怒れへんかってん」
 えらいぞ。かわいいぞ。正直でいいぞ。泣ける話ではないか。
 思わずお父さんは感激して、ワシントンの故事を話してしまいました。
「でな、ワシントンのお父さんは木を切ったことを怒らんと、正直に言うてえらいぞて、ほめたっちゅうことや」
 すると、なおちゃんは言った。
「せやけど、大事な木ィ切ってんから、怒らんとあかんで」
 いや、そういう話とちゃうねんけど。


2002年5月28日(火)

 今日帰りに本屋に立ち寄ると、『案外、知らずに歌ってた 童謡の謎』(合田道人著 祥伝社)という本が平台に積まれていた。初版が2月の発行で、もう9刷ということはかなり売れているらしい。帯には著者が「徹子の部屋」に出演している写真まで使われている。
 速攻買って一読、やられたーと思った。
 歌詞周辺の知識情報的な下調べの周到さはともかく、いいかげんな屁理屈に適当な再現シーン、まんま私がやりかけてたものそっくりではないか。
 それでもここでパクったパクられたという話をするつもりはない。そんなネタ、桐生某のグリム童話にまつわる厚顔なパクり本がバカ売れした瞬間に、世の中で1万人くらい思いついているはずだし。私のだって、ケメルマンがいなきゃ形になってないはずだし。
 ただ、なんか先を越されたような気がしてちょっと残念。

 でも、こっちの本は読者に「そうだったのかー」と膝を打たせるのが狙いのようで(多田克己ばりの牽強付会が奏功しているかどうかはともかく)、そこだけは全然違うので安心したりして。
 だって私のは、読者に「そんなわけないやろー」と突っ込んでもらうのが狙いなので。

 というところで、現在新作を鋭意執筆中。刮目して待て(といいながらもう2年。とほほのほー)。


2002年5月30日(木)

 元ちとせという歌手がいる。
 歌はよいのだが、名前を目にするたびに変わった芸名だなあと思っていた。
 「元プリンス」とか「元横浜銀蠅の嵐ですウス」みたいなものだと思い込んでいたので、「ほんなら今はどやねん」と、いちいち突っ込んでいた。
 しかし、正しい読み方を今日知った。
 そんな、「はじめちとせ」て。
 どっちが名前やっちゅうねん。
 「ますだおかだ」みたいなもんか。<それはちょっとちがう。


2002年6月1日(土)

  昭和でいうと51年の4月からだから、もうかれこれ26年以上にわたって読書ノートをつけている。
とくに感想などをつけるわけでもなく、書名、著者名、出版社名に読み始めと終わりの日付をメモしておく程度のものである。
 数のカウントも大雑把なもので、上中下などと分冊になっているものはそれぞれ1冊として記録している。したがって、駒田信二訳の「水滸伝」なんかは、平凡社版だと3冊になるところを、講談社文庫で読んだので8冊読んだこととして記録に残る。
 それが現在何冊目を迎えているかなどということはさておき、最近ちょっと困ることが出てきた。
 「青空文庫からダウンロードしてPDAで読んだ分をどのように記録すればよいのか」ということである。
 最近読んだ分をちょっとあげると、

芥川龍之介「或る阿呆の一生」「藪の中」
岡本綺堂「半七捕物帖:冬の金魚」「半七捕物帖:人形使い」
織田作之助「夫婦善哉」
幸田露伴「旅行の今昔」
太宰治「新樹の言葉」「富嶽百景」
ゴーゴリ「外套」

 というところなのだが、長短の差がはげしくてどうにもノートにつけようがない。
 まさか短編や原稿用紙数枚のエッセイを一冊とカウントするのも気が引けるし、これまで短編集でも一冊として記録してきたので整合性を欠く。
「とりあえずそっちの分はなかったことにする」という方向で進んでいるのだが、芥川や「外套」なんて薄いけど一冊で売ってるし、それもなんかくやしいところである。
 うーむ。


2002年6月2日(日)

 かつて仮面ライダークウガを演じていたオダギリ・ジョーは、他の番組で目にすることがあってもこのごろようやく違和感が薄れてきた。しかし最近、仮面ライダーアギトの賀集利樹までバラエティ系の番組に出ているのをしばしば見かけるようになった。
 あれはやめてもらえまいか。せめてあと一年くらい。
 なにせまだ、アギトの最終回から3ヶ月もたってないのである。息子たちの記憶にも「アギトの兄ちゃん」として焼きついたままなのである。
 今日も、賀集利樹がテレビに出ているのを見て、
「あ、アギトや、お父さんアギトや」と、二人そろってやかましかった。
 なおちゃんなどは、もう小学2年生だというのに、
「お父さん、アギト変身するかなあ」ときた。
 大丈夫か2年生。私はあわてて、
「わ、わからん。こ、この番組では、か、怪人とか出てけえへんから変身はせんやろ」と答えたが、どうやら聞きたかったのはそういうことではないらしい。
「アギト(をやってた兄ちゃん)は、本当にアギトに変身できるのかどうか」ということのようである。
 ずいぶん遅いような気もするのだが、やっと疑いが芽生えたらしい。ここは、父親としてきちんと答えてやらねばならない。ともちゃんもお兄ちゃんの質問には興味津々で、お父さんの顔を覗き込んでいるではないか。
 私は幼い子どもたちに断言した。
「そそ、そんなもんできるに決まってるやないか。ずっとアギト見てたやろ、この兄ちゃんが変身して怪人やっつけてたがな」
 それでも、微妙に半信半疑の表情をしながら、なおちゃんは言った。
「でも、ガオレンジャーは、ほんまに変身するでえ」
「ほ、ほんまか」
「だってな、前にな、タイムショックにガオ・ホワイト(のお姉ちゃん)が出とって、変身してたやん」
 変身してたかなあ。そういえば、ずいぶん以前、「クイズ・タイムショック」の特番にガオレンジャーの一統(ヤバツエコンビ含む)が出ていた記憶はあるが。あー、別撮りで挿入されてたアクションシーンを、正味その場で変身して戦ってたと思い込んでるのか。
 大丈夫か2年生。


2002年6月14日(金)

▼日本強い。韓国強い。ホームの威力を思い知った。私はサッカーファンでもなんでもないが、やっぱり見てしまうし、ゴールの瞬間には血湧き肉踊る。チームスポーツのよいところである。私はチームワークという言葉とは無縁の人生を送ってきたが、いいものなんだろうなとは思う。ちょっとうらやましい。

▼朝日新聞的メンタリティのみなさんにこのところ真剣に問いたいのだが、「有事法制」ってほんとにいらないと思っているのか。みんなそんなに日本政府、ていうか日本人を信用してるのか。
 「有事」ってのは、法律がないと来ない、法律があると来る、というような気楽なもんではない。だから「有事」なのである。その「有事」をもたらすのは、中国軍かもしれないし、ひょっとして米軍かもしれない。火星人かもしれない。大震災の可能性はおそらくもっと高い。
 そんなとき法律がないとすればどうか。政府も自衛隊も、おそらく速攻で憲法を無視して好き勝手やりだすにちがいない。いわゆる超法規的措置である。じゃあ国民はどうか。これもきっと悪乗りすると思う。「撃ちてし止まむ」、「進め一億火の玉だ」という具合である。隣近所では、「あそこの旦那さん非国民よ」だの、「なんだこの非常時に貴様ぁ」などという言葉が飛び交うにちがいない。
 ああ、やだやだ。
 国民にとっての「有事法制」とは、「如何に効率的に戦争を遂行するか」という法律であってはならない。本来、「如何に国の暴走をコントロールするか」という法律であるべきである。「たとえ戦争でもそれはいかんやろ」、「戦争終わったら弁償せなあかんやろ」、「安保があってもなんでもありというわけとちゃう」というようなことを書き並べた、「有事および国家から国民を守るための法律」であるべきだと思う。
 だから私は、実のところ有事法制化には賛成します。
 ただ、今の法案は、「なんぞあったら、へえ、アメリカさんのおっしゃるとおり、ええもう、自衛隊でも飛行場でも病院でも学校でも田んぼでも畑でも、なんでも自由にさしてもらいまっさかい、もうほんま、国民より安保、そんなもん当たり前でんがな、朝日やNHKにがたがた言わせまっかいな、ちゃんと押さえまんがな、そら神様、仏様、ブッシュ様っちゅうやつで」という感じなので絶対反対。

▼エプソンのCMで優香の演じる「どキレイダー」を見るたびに、「快傑のーてんき」を思い出す私はやっぱりオタクですか。


2002年7月2日(火)

▼ちょっと休み過ぎたかしかし。今月は心を入れ替えて日記なりとも書きたいと思うが、ここしばらく仕事が忙しいのでそれもどうなることやら。

▼小倉優子タン(;´Д`)ハァハァ。それでも、彼女としてでもなく、妹としてでもさらさらなく、こんな子が娘で、「お父さんのバカ!」とか言われてみたいと思うところがすでにおっさんであると自覚する今日この頃。それにしても大学生とはなあ。中学生かと思ってた。

▼こないだTSUTAYAへでかけて、子どもの「ドラえもん」といっしょに「トゥーム・レイダー」と「攻殻機動隊」を借りた。前者の主人公の女優(アンジェリーナ・ジョリー)が、原作ゲームの主人公そっくりでおかしい。安物のマンガみたいな話とチャチなCGで、映画館へ行かなくてよかったとは思ったが、ハリーハウゼンに驚いた世代として、クライマックスの石像乱舞には隔世の感を禁じえない。私としては、タンクトップのねえちゃんと二丁拳銃の取り合わせのセクシーさと、よれよれのストーリーの能天気さが逆にうれしかったのだが、とりあえず正しい感想はこちら。
 で、「攻殻機動隊」だが、恥ずかしながらはじめて見た。オタクの足は洗ったので、特に関心もなく原作も読んでなかった。ただまあ、いまだにグッズを目にしたりはするし、アメリカでも大いにオタク受けしたてな話は聞いていたので、エヴァの如くその筋には受けるような話なんだろうとは思っていた。
 たしかに、CGその他含めて映像としては面白い。いろいろ新しいことを取り入れている。光学迷彩とか、ラストの復活した主人公に別室のロングからワンカットで寄っていくところとか。そのくせ、しょっちゅう出る攻撃ヘリは回頭も旋回もしないし、セル引っ張るだけみたいなシーンも多かったりするけど。
 でもはっきりいって、これ面白いか? 「ブレードランナー」見てびっくりした奴がディック2、3冊読んで、「あ、でも、今はやっぱサイバーパンクと大友克洋やろ」と思い直して、ディストピア系のアクションを作ったという感じか。説明不足とわかりにくい台詞が大人向けみたいな素朴な誤解もあるし。全体に意外と地味だし。
 ハリウッドが実写で撮り直してくれればいいのに。あ、それは「マトリックス」か。

▼あー、なんかオタッキーな話題が続いている。これも現実逃避の現れであろう。


2002年7月8日(水)

 役所というのは手におえないほど時代おくれなところがあって、ITなぞどこふく風であったものが、うちの課にもとうとうパソコンが一般的に導入されることになった(そこ笑わない)。
 なんちゅか、いままでワープロしかなかったのである(だから笑わない)。
 そんなこんなであるから、おじ様連中は戦々恐々のご様子である。まあ、世間一般からいっても10年近く遅れているといえよう。
 だいたいぐるっと見回して一番パソコンに詳しいのが私なのだから笑止である。
 こないだもデジカメの写真をプリントアウトするのに説明を求められて、説明しようとしたのはいいのだが、その最中に「ドライバてなんや」、「OSてなんや」、「じーぺぐてなんや」と、なんか料理の説明するのに「包丁てなんや」みたいな質問ばかりされて、お互い途方にくれることになった。
 本格的にパソコンが入ると、私ごときでもみんなから頼られることになるのだろうが、今から恐怖である。本来の仕事がさっぱりできなくなるような気がする。ボランティアでサポートするにも限度があるっちゅうねん。


2002年7月11日(木)

▼ヨドバシカメラのポイントも貯まったし、てことでEXLIM買っちまった。異様に小さい、ていうか薄いので持ち歩きやすいのがうれしい。もっぱら仕事で使おうかなと思ってるんですけど、やっぱし子どもばっかり撮っちゃうんでしょうか。
 光学ズームなし、固定焦点、124万画素とスペック的には3年前のデジカメみたいですが、これで十分なのは、3年前のデジカメを持ってる私にはよくわかっていますので文句はありません。

▼ぼけーと新聞読んでるとよく見かけるのだが、よく企業や病院や役所が被告になった訴訟で、広報部とか渉外担当とかは、かなりの確率でこう答えている。
「まだ訴状を見ていないのでコメントできません」
「まだ判決文を読んでいないので発言を控えます」
「現在担当者が不在で、答えられるものがおりません」
 コメントにも何もなっていない。新聞は何であんなもの載せるんだろう。「とりあえず電話した」というアリバイ作りか。
 だからといって、二、三日後でいいから、「訴状見ましたか」とか、「もう判決文読みましたか」とか、「担当者は帰ってきましたか」とか聞いた様子はない。電話で聞けよそれぐらい。(あ、探偵ファイルさんならそれくらいやってくれるかも。誰か頼んでみて。)
 たとえば、その答えがこんなだっていいじゃないか。
「えと、読みましたけどむつかしくて何が書いてあるのかわかりません」
「担当者は事情を知りすぎておりますので、現在某所に監禁しております」
 ほんとにあったら面白いのに。そんわけないけど。


2002年7月14日(日)

▼今週のDVDは、「チャーリーズ・エンジェル」です。いやもう、「バイオニック・ジェミー」の後番組で始まったテレビシリーズ以来のファンですのではい。なら映画館へ行っとけてのはともかく、中味は「もうそら、チャーリーズ・エンジェルはこうでないといかんやろ」ということで大満足。「こうでないと」っていうのは、「エンジェルたちが魅力的で色っぽい」の一点につきます。そもそもエンジェルが、キャメロン・ディアスに、ドリュー・バリモアに、ルーシー・リューて、こんな仕事受けるか普通ていうくらいで、おまけに胸の谷間なんか全開で、あんたそらもう、最高。……のバカ映画でとってもグー。

▼梅雨がどうなったのかなんて知ったこっちゃありませんが、もうなんか今日も夏真っ盛りという感じでして、親子で近所の市営プールへ行ってまいりました。家から歩いて5分のところに市営プールがあるなんてのは実に考えもので、去年同様、ほぼ毎週の如くプールへ行かなければならないかと思うとちょっと鬱。理由ですけど、泳ぐのは嫌いではないのですが、いつも混んでて全然泳げるような状況ではないというのがひとつ。市営というのが問題なのか、きれいなお姉さんがさっぱり見当たらないというのがひとつ。そして、中の売店ではビール売ってないというのがひとつ。
 でも、上の子は水泳教室のおかげか、プールの中で投げ飛ばそうが、沈めようが、ドヒャドヒャ喜んでくれるようになってちょっと楽しい。ともちゃんはまだまだそんなことしたらすぐ泣くので失格。


2002年7月15日(月)

▼2chの「台風6号必死だな(藁」というスレタイトルには私も笑ったが、どうやら台風7号も、それをやっかんでか必死のご様子。台風7号も夏厨ケテーイ(w。

▼長野県の田中康夫知事は大方の予想通り失職を選択。これでまあ、県議会の解散もなく議員連中は選挙を免れて、9月には知事選のみとなったわけですが、対抗馬には誰を立てるんでしょうね。
 さっきのニュースステーションを見て思うんですが、田中康夫の人格やそのへんはともかく、こりゃもう政策で太刀打ちできる候補者はなさそうです。当初の小泉人気同様、「今の日本の政治うぜぇ」という(おそらく大方の)人間の声を代弁しようとしてるんだもの。羽田孜でどうにかというところか。
 それより誰か、(不信任案を提出した)長野の県政会の連中について、一人ずつ土建屋との関係をアップすれば面白いのに。だれそれはなんとか建設の顧問だとか、だれそれはかんとか土木の社長だとか。どうせそんなこったろうと思いますよ。
 と、政治にはトーシロの私にまでそんなことを思わせるのが、田中マジックの罠。


2002年7月21日(日)

▼先週、というかこの5日ほど、はじめてネット上のやり取りで落ち込んでしまいました。それもかなり。
 ことのおこりは、(私にしてはめずらしく)敬愛するサイトの管理人さんにメールを出したのですが、それがとても失礼な内容であったことに、返事もらってはじめて気づくという無様な失態を演じてしまったわけです。
 もらった返事は、私の失礼をとがめるでもなくきわめて丁寧で、その管理人さんの誠実さをあらためて感じさせるものだったのですが、やっぱり不愉快さというのが行間から立ちのぼっていて、気の弱い私をびびらせるに十分なものがありました。
 油断して、奇を衒った文章にしようとしたのがそもそも失敗で、それはもう、誤解や誤読されるという以前に、批判一本のような内容にしかなっておらず、自分のメールを読み返して申し訳ないやらあきれるやら、頭を抱えてしまいました。
 それでずっと、わびのメールというか、弁解のメールというか、そんなものをどうしようと考えていて、この数日ほんとにしんどい思いをしました。
 しかしながら、あらためて痛感したのは、ネット上のコミュニケーションの困難さってやつです。自分の失敗をそんなところまで持って行ってはいけないのかもしれませんが、やっぱり面識も何もない人間に対して唐突にメールを出すというのはどれほど慎重であっても慎重すぎることはないと思いました。
 だって、百字なら百字、二百字なら二百字、それ以外の情報は一切伝わらないわけです。独り善がりの文章など、本来の意図をなにひとつ伝えることはできません。そんなこと百も承知のはずだったんですが。
 うーん、今回の失敗は本当にいい勉強になりました。

▼今週のDVDは、もちろん「千と千尋の神隠し」。噂にたがわず面白い。「もののけ姫」よりずっと面白い。
 ただ、DVDはやっぱり「赤い」。ネットのあちこちで話題になってるのを後で知って、「そんなわけあるかいな。ハクも白かったがな。うちのは大丈夫やったし」と思ってたのですが、観なおしてみると愕然とするほど赤味が強い。タイトルの白文字まで微妙にピンクがかってるというか。特典ディスクに収録された劇場版予告編の映像では、導入部のシーンは抜けるような雲の白さと青空なのに、本編ディスクは夕方みたいな画になっている。
 知らんかったらよかった。はじめからこんな色やと思てたら幸せに暮らせたのに。
 回収・交換ってことにはならないのかなあ。

▼今週のCD。元ちとせ「ハイヌミカゼ」。
 よい。ただ、「南から来た謎の巫女」みたいな自己イメージを踏襲しすぎのきらいがある。そして、音楽は土着とポップの中間を狙いすぎというか。私は中間ではなく、おのおのの両端の外側の曲を聴きたいと思う。もっと奔放でよい。
 聞いてて、私は本当に個性的な女性ボーカルが好きだなあと思う。それも、「ナンバー・ワン」というのではなくて、「オンリー・ワン」という感じの。中小企業の社長さんみたいなこと言ってますが。


2002年8月1日(木)

 この5日にとうとう住基ネットが稼動するらしい。私の属する自治体は特に反対を表明しているわけではないので、きっちり導入されることになると思う。
 実際のところは私にしたところで、現在すでに住民であれば住基情報にアクセスすることも簡単なわけだけれども、まあ見回したところ、どの職員も職務に関するモラルについては心配するようなことはない。興味本位でだれそれに関する情報をのぞいて喜ぶような輩は見当たらないということである。だいたいそんなの、みんなモラルがどうこう言う以前に、「くだらねえ」としか思っていない。私がもうすでに数年前からエロサイトを見ようともしていないのと同じことだ。そんな話を聞いてわくわくどきどきするのは、外野の野次馬しかいない。
 ところがである。これからはその気になれば全国の住基情報にアクセスできるらしい。本名と生年月日がわかれば、住所(住民登録上の居住地)の特定が簡単にできるのである。
 ということは。ひとっ走り本屋へ行ってタレント名鑑や人名録を買ってくれば、このアイドルもあの女優もそのスポーツ選手もどの作家も住所が丸わかりということである。こいつはこわい。
 住基情報を百万件売ったとなればログから足がつくのは目に見えているが、二、三人調べて口頭で漏らしたぐらいでどうにもなるわけがない。
 全国の自治体職員に告ぐ。あらゆる誘惑に耐えよ。友人の依頼は断れ。
 そして俺に告ぐ。今考えてるようなことはやめとけ。


2002年8月3日(土)

▼何がきっかけだったのだろう、ひょっとして殺人が何かのニュースを見ていたときかもしれない。
 サイがともちゃんに訊ねた。
 「お父さんとお母さんが死んだらどうする? ともちゃん、なおちゃんと二人だけになんねんで」
 昨年私の祖母が亡くなったのを見たとはいえ、ともちゃん自身まだ死ぬということがわかっているとも思えないので、これは愚問といえば愚問である。
 でも、ともちゃんはちょっと思案しているようなそぶりを見せて答えた。
 「しんだらいやや」
 そこへサイは重ねて訊く。
 「でも死ぬかもしれんで」
 すると、ともちゃんは、どことなく悲しげな表情をして言った。
 「ごはんどうしたらええのん」
 そっちを心配すんのんかい!
 私も思わず話に介入した。
 「たぬきの店(看板がたぬきの絵の近所の中華料理屋)とか行って食べたらええがな」
 それでも、ともちゃんは、かなり困惑している様子である。
 「でもともちゃんくるまのうんてんでけへんもん」
 おーい、ともちゃーん、親が死ぬねんぞー、そういう困り方でええんかー。

▼次の週末は海水浴に行く。
 列車で日本海の方まで出かけるので、結構時間がかかる。
 それで、3時間ほど電車に乗るという話をしていると、なおちゃんが言った。
 「トランプ持っていっていい? みんなでしよな」
 そういえば以前も、列車でトランプをしたことがあった。あのときは、ババヌキだというのに、ともちゃんはジョーカーを引いてうれしそうだった。
 というか、ゲームボーイを持って行くと言わないのが不思議というか、遠慮しすぎというか。
 それを聞いて同じことを思ったのか、サイが言った。
 「ゲーム持っていってもいいよ。なんか新しいの買ってあげよか」
 すると、なおちゃんは顔の前で手を振った。
 「いいって。うちびんぼーやから。ほしいのんないし」
 ともちゃんは、そんな遠慮をする性格ではない。横から話に割り込んできた。
 「ともちゃん、ワンピースのこうてほしいー」
 だれもお前に聞いてないっちゅうねん。
 ここでともちゃんをたしなめるのが、サイではなくなおちゃんなのである。
 「あかんて。ともちゃんそんなんでけへんし。むつかしいから。それにびんぼーやねんから。買うんやったら、中古のにしとかな」
 貧乏貧乏言うな。


2002年8月4日(日)

▼久しぶりにマンガの単行本を1時間以上立ち読みした。それも立て続けに五、六冊。
 とても有名なマンガなので、知っている人はいまさら何をと思うのだろうが、川原正敏『修羅の門』である。すいません、初めて読みました。
 いやあ、面白いや、陸奥圓明流。(語義的にはおかしいが)こういう「荒唐無稽なリアルさ」というのは、実はSF(と伝奇小説)の専売特許だったはずなのだけれど。あ、いや、これは正味伝奇小説だからいいのか。
 ただ、残念なのは、これはもう作者の画力というしかないのだが、「肝心の技の、肝心なタイミングの、肝心の部分」がきちんと描かれてないところである。立ち読みの最中に幾度も、これが鳥山明か小林まことなら、と天を仰いでしまった。
 だって、バリバリの本格格闘マンガで、絵柄が「シェイプアップ乱」て、どういうことやねんな。

▼普段持ち歩いているPDAには、息抜き用ゲームのひとつとしてオセロを入れているのだが、これが強い。私は、なおちゃんなら十回のうち一度も勝たせてやらず、簡単に泣かすくらいの腕前なのだが(負けたれよ)、これが勝てない。十回に1回も勝てない。途中まで圧倒的に優勢でも、最後は8対56とかで負けるし。
 同じくインストールしてある「森田将棋」なら五分(えーと、二枚落としてもらってます)、「連珠」なら圧勝(これほんと)なのに。
 あんまり腹立つので、オセロの入門書買っちまったいきしょーめ。
 でも、「うさぎ定石」に「うし定石」、「こうもり定石」て。そのへんの名前は、もうちょっとなんとかならんかったんか。

▼高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』(岩波新書)。
 引用文献のバラエティと秀逸さこそ著者の面目躍如たるところはあるものの、たんに小説作法の本として読むなら、内容は「少し長いまえがき」で本人が批判しているような旧来の小説作法本を超えているとは思えない。だって、技術的には「読め、楽しめ、そして真似よ」しか書いてないんだから。
 どちらかといえば、この本自身を1冊の小説として読むべきなのかもしれない。
 ただ、小説に関する書物として読んだなら、私としては、以下の一文に尽きる。
「小説を書こうとする人たちは、みんな、『エーミールと探偵たち』を書こうとして、結局、『原始林のペータージーリエ』を書くことになってしまうか、『原始林のペータージーリエ』こそが小説だと思いこんでしまうのです。」(p.36-37)
 ひょとして、大方の読者にとっては、普段読んでる小説が、「小説のようなもの」に過ぎないことがはっきりわかってびっくり、てなことになるかもしれない。
 ま、そんな話なら、石川淳の文芸時評、『文林通言』(中公文庫)のほうがずっとカッコイイけれど。


2002年8月19日(月)

 いやあ、お盆の間はたっぷり休ませてもらいました(更新を)。
 この前の週末は日本海へ海水浴に出かけましたし、この週末は子連れで実家へ行ってました。
 まあそんなどたばたは適当にアップするとしまして(しないかも)、今日はちょっとへこんでます。
 かつて5年ほど過ごした職場でとてもお世話になった人が亡くなったと聞いたのです。
 まだ49歳の働き盛り、死んでいい年齢では絶対にありません。
 ああもう、なんて書いていいのかわかりません。
 とても優しい人でした。でも、本当にまちの人々や自分のすべきことを真剣に考えて、一生懸命に(それでもユーモアを忘れず、周りの同僚を気遣いながら)仕事に取り組んでいた人でした。
 ああもう、本当に私は

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