「筆先三寸」日記再録 2004年4月~6月


2004年4月4日(日)

 本日は5時半に起床して、なおちゃんと二人雨の中、大阪ドームへ向かいました。
 めざすはもちろん、「デュエル・マスターズ バトルアリーナ2004 スプリングチャレンジバトル」です。
 開場は大阪ードーム9階、8時に集合してテーブル決めのあと、レギュレーションやルールの説明を聞いて、9時から試合開始です。
 大阪会場は512名参加の大所帯ということで、まず予選がありました。予選は8名ひとグループで、各人ランダムに3回対戦して、サッカー同様の勝ち点で上位2名が決勝進出ということでした。
 行きの電車の中で、せめて1回は勝ちたいよなあ、と私たちは話していました。私は、土曜日みっちりと繰り返した、さまざまなタイプのデッキとの練習デュエルでのなおちゃんのプレイングを思い浮かべ、ひょっとして決勝進出くらいはあるのではないかと思っていました。なにしろ、デッキの回り具合に合わせながら、なおちゃんは決してミスということをしないのですから。
 なおちゃんも、1回くらい勝てるかなあ、という謙虚な口ぶりとは裏腹に、瞳の奥に自信がのぞいていました。
 そして始まった予選。
 私は、会場を囲む柵の外から、遠くのなおちゃんに手を振って応援しました。
 1戦あたりの制限時間はたった10分。それでも、私の近くにいた赤黒デッキ使いの子どもは、対戦相手を2分で撃破していました。なおちゃんはと見ると、5分くらいで終わってしまったようです。目が合うと両手の人差し指で小さくバツ。あっさり負けたようです。
 2回戦。今度は年下らしい小さな子どもです。2年生くらいでしょう。私は少し期待しましたが、なおちゃんはこれも5分くらいで×マークを送ってきました。唇が「つーよーいー」と動いています。完敗のようです。
 3回戦、今度は坊主頭の高学年が相手。私がトイレから帰ると負けていました。頭を抱えてテーブルに突っ伏すなおちゃん。
 結局、あっさり予選敗退。そのあとは、フリーデュエルのコーナーにも、他のおもちゃのコーナーにも目もくれず、親子ともどもすごすごとドームを後にしましたとさ。
 聞くと、1回戦の相手は赤緑デッキで、コッコ・ルピアから、ボルメテウスとジェネラル・マンティスの速攻で殴り殺されたとか。2回戦の相手は、白青デッキ。次のターンでバロムが出せたのに、出していれば勝てたのに、ということで残念そうでした。3回戦目は白単(だっけ)。何度かロストチャージャーは撃ったものの、ラルバ・ギアのおかげで攻撃を止め切れず、とのこと。
 総じてバロム待ちで重くなりすぎたようです。1マナブロッカーを増やすか(なおちゃん説)、もっとマナ加速を図るか(私)、というところでしょう。
 終わってみれば、「世の中広いなあ」が、なおちゃんの感想でした。

 はっきり言って悔しいのはお父さんです。隙のないデッキとミスのないプレイングのはずだったのに、なにが悪かったのでしょう。
 よーしー、これから武者修行に出るぞー。野試合とトレードで無敵のデッキを目指すのだー。そして来年も出場しようぜー。
 よし、なおちゃん、あの星をめざして走るんだー。来年こそは全国優勝だー。
「べつにどっちでもええねんけど」
 こらー、そんなこというなー。


2004年4月9日(金)

「唐獅子日の丸」
歌:小泉“男一匹”純一郎

義理と人命を秤にかけりゃ 義理が重たい日本の政府
幼馴染のメリケンさまにゃ 俺の心はお見通し
背中でほえてる 唐獅子日の丸

割れた意見を承知で派遣 曲りくねったイラクの風よ
積り重ねた違憲の数を なんと詫びようか国民に
背中で泣いてる 唐獅子日の丸

戦場を安全だと言わせることも どうせ自分は行かないことも
百も承知のやくざな総理 何のいまさら悔いはない
ろくでなしよと 野党がわらう

流れ流れの砂漠の土地で 見栄が絡んだブッシュの仁義
ばかなやつだとわらってみても 意地で行かせた自衛隊
引き揚げらりょうか 唐獅子日の丸


2004年4月18日(日)

▼イラクの人質問題は、「3人」も「2人」も無事解放されて何よりだったわけですが。
 しかしまあ、この間の2ちゃんねるの悪口雑言罵詈讒謗を眺めていると、暗澹としたり悪寒を感じたり、すでにそれらを通り過ぎて微笑ましくすら思ったり。
 というところで、「自己責任」だのについて何か書こうと思ったが、すでに時機を逸してしまったようで、風野ドクターの4月8日15日の日記や、鈴木さんのこれとかこれ、あるいは三上さんのこれに、私ごときがつけ加えることは何もなくなってしまいました。

▼そこへ私が無理やり何かを言うとすれば、人質の家族のことだろうか。
 世間では小学生のイジメにも劣るような誹謗中傷があふれているが、お門違いも甚だしい。カメラの前で謝罪を繰り返す家族の姿を見ると胸が痛む。
 子どもの意思を信じて危地へ赴くことを許すのも親なら、子どもの身代わりなら自分が死んでもよいと思うのが親なのである。
 自分の子どもたちの命さえ助かるのなら、私はおそらくなんだってする。自衛隊の撤退どころか、米軍の撤退だってブッシュに頼みに行く。なおちゃんともちゃんのこめかみに銃が突きつけられているような状況であれば、私は東京に向けられた核ミサイルのボタンだってノータイムで押してみせる。親戚もいないし。
 だからあれら家族がなにを望もうとなにを言おうと、責めることは私にはできない。
 北朝鮮拉致被害者の家族も然り。なんだって言う権利はあるし、なんだって言わせてやればいい。
 私たちが言及(もしくは批判)すべきは、それを報ずるマスコミと、それらを自分たちの運動に利用しようとする連中、そしてそれらと向き合う政府の態度なのである。

▼あ、それと、人質問題が一応の解決を見た今、ぼちぼち自衛隊の撤退を議論すべきだろう。
 イラク全土が危険な状況になっているとすれば、イラク特措法の根拠、「自衛隊には安全な場所で戦後の復興支援を」というのが崩れてしまっているわけだから。
 今のサマワには、国会でどんな議論になろうと自衛隊を派遣できなかったろう。てことは、今のサマワがこんなんなっちゃった以上、自衛隊は撤退すべきである。
 私自身は、必ずしもすぐに自衛隊を撤退させよと思っているわけではないのだが(ブッシュの夜郎自大戦争に加担するなとは真剣に思っている)、それが法を守り、国民との約束を守るということでしょう。

▼ついでに。日本が自衛隊を引き上げることになって、英米あたりからがたがた言われても、金だけ出しときゃいい。
 湾岸戦争のときに金しか出さずに(とはいえ90億ドルだぜ)、世界中から笑われたとかいう奴がいるけれど、あれは時の政府が悪い。こう言い返せばよかったのである。
「かつて、エコノミック・アニマルと呼ばれ、最近もフランスの婆あから働きアリと蔑まれてきた日本人が、汗水たらして働いた金である。長引く不況と過酷な労働条件の中、年間どれくらいの人が、身体を壊し、心を病み、自殺していくと思うのか。その人たちが納めてくれた貴重な税金から供出する資金である。日本人は金だけ出して血も汗も流さないとか抜かす奴は前へ出ろ。過労死していった多くのサラリーマンとその遺族の名誉と誇りにかけてぶっ飛ばす」
 小泉もそれぐらい言えばいいのに。

何の変哲もない小説を書いてみた。去年、精神的に一番苦しかったときに、現実逃避がてら往復の通勤電車で書いたものの一部である(そのへんのことは全然反映されてないので、期待しても無駄)。
 長いし(70枚くらい)、笑えるわけでもないし、ひねりもオチもないし、新しい試みがあるわけでもないし。矛盾するようだけど、私のサイトが好きなひとは読んでも仕方ないですよ。


2004年4月21日(水)

▼月曜日、腹痛と悪寒を押して出勤したものの、結局早退するはめになった。帰宅して熱を測ると案の定38度6分。そこから今朝まで36時間ぶっ通しで布団の中でうなってすごした(トイレと食事除く)。おかげで、お腹こそまだややくだり気味ではあるが、見事復活して仕事にも行けた。
 やはり布団の力は偉大である。基礎医学方面の研究者は、もっと布団について研究するべきではないか。

▼同じく月曜日、ともちゃんがラブレターをもらって帰ってきた。
 お相手は、前々からともちゃんを大好きだと公言してはばからない、同じふじぐみさんの女の子である。
 帰宅して見せてもらうと、かわいいびんせんと封筒に、こんなんなった字で「ともちゃんへ いつもあそんでくれてありがとう」とかなんとか、さすがに「大好き」などとは書いてなかったが、幼い想いのあふれるお手紙であった。
 ところが、ともちゃんは、さしてうれしそうでもてれくさそうでもなく、よくわかっていない様子。ひやかしがいのないやつである。
 なんというか近頃の女の子は、けなげというか一途というかおませさんであることだよ。
 お父さんなんてなあ、お父さんなんてなんてなあ、ラブレターなんかなあ、この年までなあ………つД`;)

▼続いて本日、帰宅するとサイが教えてくれた。
「ともちゃんな、今はすずちゃんが好きやねんて」
 ほほお。で、ともちゃんに聞いてみた。
「へえ。ほんでどこが好きなん。かわいいから?」
「ううん、ちがう。手がつるつるやから」
「えー、手ェなんか握ってんのか、おまえー」
「にぎってへん。さわっただけ」
 お、お、お前はどこまで父親をうらやましがらせれば……お父さんなんてなんてなあ、女の子の手なんかなあ、サイと知り合うまでなあ………_| ̄|○

▼なおちゃんもこの春から4年生である。担任も代わって、今回は初めての男性教師とのこと。いい先生だといいなあと言ってたら、宿題多いけど冗談ばっかり言うて面白いねんと、なおちゃんも喜んでいた。
 ところが。ということで、以下は私の落胆話である。

 まず先週、なおちゃんがちょっと目を離しているすきに、筆箱がなくなったという。なおちゃんが机の周りを探していると、隣席の男の子が先生に訴えてくれた。「せんせー、まつむらが筆箱なくなったってゆうてるー」とか。そこへ、すかざず別の子が廊下で見かけたことを教えてくれたおかげですぐ見つかって、これは一件落着。しかし、先生からはだれに対してもノーコメントだったらしい。
 そして今週。
 なおちゃんは小学生男子のご多分に漏れず、このところドラクエのバトエンに熱中している。筆箱に十本以上詰め込んで、他のクラスにも好きな男子がいるとのことで、休み時間には廊下でバトルに燃えているらしい。
 それがまたもや、机の上においてちょっと目を離している隙に、そのエンピツがなくなったのである。しかも主力と頼んでいるお気に入りのエンピツが2本も。当然なおちゃんは教室中から廊下の隅々まで探し回る。しかし、ない。
 ここでも、探し回るなおちゃんのそばで、親切な友人が先生に訴えてくれたという。
 しかしながら、先生はまたもやノーコメント。そばで見ていたなおちゃんに向かってさえ、まったくのノーコメント。そして今回ばかりは目撃者もなく、結局見つからなかったらしい。
 私が落胆したのはこの先生の振る舞いである。
 だれも犯人探しは求めていない。新学年が始まったばかりのこの時期に、そんなことをすれば先生と子どもたちの間の信頼関係に修復不能なまでの溝が生まれるかもしれない。だからそんなことは望まない。エンピツの一本や二本、また買えばすむ話である。
 しかしなぜ、これくらいのことを言えなかったのか。
 たとえば、筆箱が見当たらなくなったとき。
「だれかしらんけど、人の筆箱持って歩いたらあかんぞー。教えてくれたやつはえらいっ。まつむらも置き忘れたんやったら置いたとこぐらいおぼえとけー」
 そしてバトエンのとき。
「まつむらのエンピツ、バトエンちゅうんか、なくなったらしいから、そうじのときとか見つけたやつは教えたれよー。まちごうて自分の筆箱に入れてしもたやつは、あとで先生のとこへ持ってこい。返しといたるから」
 あるいは、少なくともなおちゃんには、「先生が見つけたら教えたるから」くらいはこそっとでも言うべきであったろう。
 子どもとの信頼関係を大切にするというのはそういうことではないのか。エンピツが見つかるとか見つからないとかはなんの関係もない。
 それを、まったくのノーコメントとは。「見て見ぬふり」からは何も生まれない。それどころか、なおちゃんにしてみれば、「先生は知ってて何もしてくれない」となるし、先生に訴えてくれた子どもにしてみても、「せっかく先生に言うたのに」と、結局子どもたちの信頼感を損なうことにしかなっていない。
 一方、今あげたような発言が先生からなされたなら、訴えた子どもの気持ちも救われるし、なおちゃんを含めた子どもたちの中に、「先生は、困ったことがあればクラスのみんなに協力を仰いでくれる」と感じる気持ちも生まれて、信頼感もいや増すのではないか。
 せっかく今年はいい担任だと思っていたのに、なんかとほほである。事なかれ主義もきわまれりというか、こういうのに限って、子どもがやいやい言ってるのに、「いじめがあるとは認識していませんでした」とか抜かすんだきっと。
 とはいえ、「子どもに向かって先生の悪口は言わない」が不文律の我が家である。
 なおちゃんには、「先生もなんか考えてはるはずやから」と言っておきましたけどね。フォローしにくいっちゅうねん。


2004年4月25日(日)

 ちょ、ちょっと自慢さしてくれ。昨日、とうとうSH900iに機種変更した。これまでというもの、梅田周辺のドコモショップでも、ヨドバシやソフマップでも、ずーーーっと「品切れ。次回入荷未定」と言われつづけてきたのである。それが昨日、近所のショッピングセンターで、もちろんダメモトで「あります?」と聞いてみたところ、「ええ、ブルーだけですが」ときたではないか。そりゃもう即ゲットである。
 うれしくてあれこれいじってみたのだが、やはり液晶のきれいなところ、動作の軽快なところがうれしい。そしてドキュメントビューアが真剣にありがたい。結構参照しがちな仕事がらみの名簿や一覧表を、エクセルのまま放り込んでおけるというのがすばらしい。
 デザインがまったくもってダサダサなのは、それはそれでよしとする。むしろPやNみたいに、FOMAでっせーという大げさな感じがなくて目立たなくてよい。

 そして、FOMAにした最大の理由はやはり、大阪市内とはいえ、地下やビルの上ではまだまだ圏外だらけであるところであるといえよう。
 それはFOMAの欠点ではないかというのは、あまりに浅はかである。それはまさしく、外回り中に電源切ったままさぼっててもバレにくいということではないか。
 と言ってみるテスト。だからテストだってば。


2004年5月16日(日)

 いい年して五月病もないもんだが、どうもこのところ調子がうまくなくて更新もできなかった。
 てな言い訳を用意しながら、連休中のことでもゆっくり書こうと思ってたのだが、ここ読んじゃってそれどころじゃなくなった(※おそらく「電車男」のスレッドかまとめサイト 2023.8.19註)。
 もう抱腹絶倒。マジ腹痛い。で、笑いながら、手に汗握りながら、やっぱり人間っていいなあってちょっと感動したり。
 (ネタ元はBlack Ashさんでした。)


2004年5月24日(月)

▼東京出張 キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!
 先日、上司から突然、「東京行ってくれへんか」と言われた。私は、もちろん二つ返事でOKした。
 どうせ仕事は夕方までである。その仕事も会議といはいえ、半分学会みたいなやつなので、見知らぬオヤジの誘いなんて当然ブッチして、そんなもん「はじめてのオフかい」開催→ サイシの呪縛もなくオールでもオッケー→ 参加者殺到→ 酒池肉林→ 帰りの新幹線では二日酔いでぐったり、という計画が頭を駆け巡ったとしても誰が私を責められよう。
 そこで、仕事の中身などそっちのけで行き先を確認した。夜の会場をどこにするか考えないといけないからである。渋谷とか銀座とか新宿とか六本木とか、関西人にとってハイカラな地名が頭をよぎった。会場はいずれにせよ「魚民」とか「村さ来」とかになるにしても、である。

 えーと、それで、行き先は正確には東京じゃありませんでした。たしかに東京までは新幹線で行くのですが、そこから電車を乗り継いで、最終的な行き先は埼玉県でした。しかも郡部です。池袋から急行で1時間以上かかるそうです。しかも駅からは交通の便がなく、タクシーでしか行けないそうです。山奥のようです。宿舎も4~6人の相部屋とか。林間学校かっちゅうねん。
 なーにが「とうきょういけへんか?」じゃー。お前ら箱根の向こうはぜんぶ東京やと思てんのんちゃうんかー。
 おまけにそんなとこで7時過ぎまでたっぷりミーティングつきだってよ。

 で、結局、いまさら「やっぱりいやです」とも言えず、6月3日4日と「関東地方」へ参ります。
 「まっ昼間っから東京駅で喫茶オフ」ならできるかもしれません。・゚・(ノД`)・゚・。

▼なにがきっかけだったのか、なおちゃんとドラゴンボールの話になった。
 ついでに聞いてみた。
 「ちゃんとかめはめ波の練習してるか?」
 すると、なおちゃんは真顔で答えた。
 「ううん。このごろしてへん」
 がんばれ4年生。


2004年6月1日(火)

▼予想通り、
「飲みにとかいけなくて残念だけど、それじゃあ八重洲口でお茶しましょう!(はあと)」
 みたいなメールは1通もなかった。それどころか、
「おまえなんか東京来んな! 氏ね!」とかもなかった。
 誰にも彼にもあっさりスルー。ふ~んだ。

▼おもしろそうなので、私もやってみた(はてなダイアリー占い)。
 で、それによると、

むしまるさんは 日記 に向いています。

● あなたは、感受性が鋭く、子供のように素直で純真な人です。人を疑うことをしないため、時には騙されて傷つくこともあるのですが、そんな経験があなたをより強く優しい人間にしていきます。また、子供のような心を持っているということは、既成概念にとらわれない、自由で自然体な生きかたができるということでもあります。どんな場所でも素直に周囲の意見を受け入れるので、無理なくその場に溶け込んでいけるでしょう。ただし、自然体という気質が悪い方向に出てしまうと、ワガママで気まぐれだというレッテルを貼られてしまうかも。自分勝手な部分を慎むことが、開運の大きな鍵になりそうです。恋愛面では、あなたの素直さを大事にしてみて。
というわけで「日記」を書くのに向いています。

● むしまるさんの心のふるさとは、インドの山奥です。

 とのこと。おれはレインボーマンか。<またレンジの狭い突っ込みを。

▼つまるところ、やはり私は教育パパなのであろうかと思う。
 「ONE PIECE」や「NARUTO」は、テレビでアニメも放映されているので当然としても、青少年の基本的な知識や教養は身につけるべきであろうと、「DRAGON BALL」の単行本も買い与えて、とくに上の子には繰り返し読むよう命じている。
 とはいえ、一気に読ませるわけにもいかないので、単行本も徐々に買い揃えるようにしている。現在のところ第40巻まで購入し、なおちゃんに至っては、各巻の内容や主要なネームもほぼ暗記しているような状況である。
 ともちゃんも、この父に厳しくしつけられている兄の姿を見ているせいか、最近はパラパラと巻を開くようになった。
 おかげでこのごろは二人そろって、風呂上りには素っ裸のまま、「フュージョン」の練習に夢中である。

 教育パパとして、我が家の教育方針に自信を深める一瞬である。善哉善哉。

▼それはともかく、次はなにがいいのだろう。ジョジョか、男塾か、筋肉マンか、ケンシロウか。うーん、なんか乱暴なのばっかりだな。デビルマンや魔太郎もいいけど、トラウマになりそうだしな。キャプテンやドカベンやあだち充は野球を知らないと。桜木花道はよそで全部読んだらしいが。アストロ球団もないだろう。車田正美は私が嫌いだ。
 なんかいいのないですかね。「21世紀初頭の男子小学生必読マンガ」ってことで。
(無論「ドラえもん」は除外。あれは確定しています。)


2004年6月9日(水)

▼今日の帰り、とうとう我慢できずにCD(JINDOU「WILD CHALLENGER」)買っちゃった。TVアニメのほうはどうでもよくなってきたんだけれど、この主題歌ばっかはもうノリよすぎ。
 速攻でMP3にして今もPCで再生しっぱなしです。

▼いや、まあ、それで、横にあった「ケロッ!とマーチ」および「アフロ軍曹」のCDも真剣にほしかったのだが、それについては財布と相談して泣く泣く断念した。ていうか、四十にもなって、子どもに土産とかじゃなくて、そんなものをほしがる自分に愕然としてしまいました。よく高齢者の痴呆が進むと「子ども返り」するとかいいますが、この場合は「オタク返り」とでもいうのでしょうか。私の中で何かのタガがはずれかかっているのかもしれません。
 きっと六十過ぎにはコミケで同人誌売ってたりするような気がします。「赤影×甲賀幻妖斎」本とか。<ヤヲはやめろ。

▼Winny開発者の逮捕。著作権法の改正案が原案通り可決。少年事件のたびにネットとゲームを悪者にしようとする(国民に迎合する)マスコミ。そして「コンテンツ健全化法案」、「共謀罪」の成立。

 ちょっと待てよ。怖すぎるよこんなの。
 もちろん戦前じゃあるまいし、そこそこ常識的な運用がなされるのだろうが、もし「政府が牙をむくと」とか、「国民こぞって一方を向き始めると」とか想像すると背筋が凍る。
 「国益国益」(あいまいさじゃ“国体”といい勝負)で憲法を踏みにじる連中や、つい「反日的分子」(ほんとは“分子”なんて左翼用語じゃなく“非国民”と言いたかったんだろう)と口走ってしまうような輩が、ますますのさばっているのを目にすると。
 もちろん私たちも一方では同罪ではある。(店舗内じゃなく)街角の防犯カメラを歓迎し、かつての盗聴法にも危機感を持たず、イラク戦争を是として小泉を支持し続け、ネットのそこここではサヨク叩きに外国人排斥。

 カエルのゆで方の話を思い出す。大丈夫か、みんな。


2004年6月16日(水)

▼仕事から帰ると、ともちゃんが寄ってきて教えてくれた。
「きょうな、2かいから、ちゅうがっこうに、おばけだよーってゆうてん」
 家の前を通る通学中の女子中学生に、2階の窓から声をかけたらしい。それも「おばけだよー」って、おまえ。
 なおちゃんによると、女子中学生たちは、上から降ってきた声とは気づかず、「だれいまの?」、「おばけーって言うてたで」などと言い交わしていたようで、結構受けたらしい。
 ついで、
「ほんでな、じてんしゃのおっちゃんにな、たばこをすっちゃあいけませーん、てゆうてん」
「びっくりしとったやろ。せやけどおまえ、そのへんの人にそんなん言うたらおこられんで。家に入ってきたらどうする」
 と注意すると。
「2階やからだいじょうぶやもん」
 あのなー。

▼  ケロロ見て 素で笑いをり 四十の梅雨    虫丸

  ていうか、またまためっちゃ字余りのうえに、またまた内容的にちょっと鬱であります。

▼なおちゃんがサイに尋ねた。
「なあ、赤ちゃん産むのって痛いの?」
 突然なにをい言い出すのやら。それでもサイは眉ひとつ動かさずに答えた。
「めっちゃ痛いよ」
「男でよかった」
 なおちゃんの顔に安堵がよぎる。そこへサイは聞いた。
「女のほうがよかった?」
 なおちゃんは少し考えて、うなずいた。
「と、思たことはある」
「どんなとき?」
「金魚すくいでな、同じぐらいの年の子がおって、すくったんもいっしょぐらいやったのに、女の子やからていうて、ようけもらいやってん。そのときは女の子のほうがよかったな、と思た」
 ほほえましいぞ4年生。


2004年6月21日(月)

 大型の台風が来るというので、朝から大阪は強風波浪警報が出た。
 おかげで保育園も小学校も休みである。だからといって、私もサイも急に休めるわけではない。
 仕方がないのでサイは子どもたちに弁当を作り、私は仲良くするよう言いつけて、二人で留守番させることにした。
 それでもやはり心配なので、私はなんとか仕事をやりくりして、午後から帰らせてもらった。
 ちょうど昼ごろが台風のピークであった。横殴りの雨と強風の中、急いで帰宅した。
 ところが、子どもたちの姿がない。
 玄関に鍵こそかかっていたものの、家の中まで台風一過状態の荒れようである(おもちゃ関係のみ)。
 扇風機まで回っている状態のままなのに、子どもたちの姿がない。
 私は子どもたちの名前を呼びながら、家の中を探し回った。
 こうなると最悪の想像までしてしまう。押入れを開けるときには、死体が転がってきたらどうしようとか、沈んでたらどうしようと風呂のふたを開けるときにはどきどきした。
 でもいない。
 サイの職場に電話をしたが、サイも知らないという。
 ふと思って、3軒ほど隣の家に電話をした。なおちゃんやともちゃんと同い年の姉弟がいる家庭である。
 やはりいた。二人で留守番をしていることを知っていた奥さんが、心配して遊びにおいで、ということになったらしい。
 どっと力が抜けた。というわけで缶ビールを開けてがぶ飲みしてやった。のやろー。


2004年6月27日(日)

 夕食はできあいの餃子にチャーハンということで、私が腕を振るうことになった。
 それはともかく、食卓の準備やあれこれを、いつものように子どもたちに命じたのだが、これがどんくさい。
 小袋に入った餃子のたれを小皿に移せといえば、破り損ねてそこいらにぼたぼたこぼすし、はしを取りに来いお茶をコップに注いで並べろといっても、もたもたするわこぼしかけるわで大騒ぎである。
 私も、味噌汁を作りながら餃子の焼き加減を見ながらフライパンでチャーハンをひっくり返しているという状況で、つい指示を出す言葉もとげとげしくなる。
 サイもそっとフォローしながら子どもたちにいろいろ任せていたのだが、ほとんど切れそうになって、とうとう「もうええわ!」と怒る羽目になった。
 思えば私たちにも反省すべき点は多かったのだが。
 そんなこんなで食卓の準備も整ったころ、銘々の皿にチャーハンをよそう私のところへ、ともちゃんがうなだれてとぼとぼとやってきた。
「ごめんなさい。ともちゃんバカやから」
 すっごいへこんでいる。
「ん? なにがバカ?」
 私は、さっき厳しくあたったこともすっかり忘れて、素で聞き返した。
「んー、わからんけど。ごめんなさい」
 とりあえず笑い飛ばした。
「はっはっは、ぜんぜんかめへんて。ごめんなさいもなにもおまえ」
 というわけで、ともちゃんも愁眉を開き、食事の時間は和やかに、みんな楽しくしゃべりながら腹いっぱい食べたのであった。

 でも、あとで思い返すとショックがじわじわとこみあげてきた。
 ともちゃんはきっと、私たちがとげとげしくなっているのを、自分が悪いからだと思ったのであろう。で、「おとうさんとおかあさんおこってるし、とりあえずあやまっとこう」と、はっきりそう考えたのかどうかはともかく、そう感じたのであろう。
 なんと健気な。あるいはなんと痛々しい。
 親から熱湯を浴びせかけられても、煙草の火を押し付けられても、「ごめんなさい」と叫んでしまい、自分が悪いと思い込んでしまう被虐待児の心をかいま見た気がした。

 ともちゃんごめんね。これから気をつけるからね。


2004年6月29日(火)

▼今月は久しぶりの鬱で更新する気も何もあんた。
 とりあえず、付けてたメモを手がかりに、家族ネタを3日分ほど足したりして。

▼私の場合は、「こりゃ近いうちに医者行って薬かなんかもらわないと、ほんとどうにかなっちゃいそうだ」というような状況でも、にこにこできるし、もともと少ない口数が微妙に減るくらい(それと電話の受け答えが一段と無愛想になる)なので、あんまり他人には気づいてもらえないのがちょっと残念。ていうか気づかれない方がいいのか。心配とかされても挨拶に困るし。

▼掲示板で勧められて、重松清『疾走』(角川書店)を読んだ。
 えーと、重松清は、ずっと『ナイフ』とか少年の心に寄り添うような小説を書いていて、朝日新聞では以前に中高生対象のブックガイドなんかもやっていて、それで数年前には、天道荒太の『永遠の仔』や『家族狩り』が世間に衝撃を与えたりもしていて、その後では、新堂冬樹の『無間地獄』も凄かったりして、「ノワール」というジャンルが一世を風靡したような状況もあって、西原理恵子の『ぼくんち』なんかも忘れるわけにはいかなくて、本人も直木三十六名義で官能小説を発表したりしていて(重松清名義で本になった)、そしてそして、ひところ話題になったとある少年の「どうして人を殺してはいけないんですか」という質問にこの小説で対峙しようとしたのは間違いない。というようなことを整理して書けば一編の批評にもなるんだろうけれどそれは疲れそうだ。
 個人的には二人称を主語に据えて書き進められる小説というのはどうも苦手なのだけれど、結末で初めて現れる「わたし」の重みを考えると必然の選択だったのかなと思う。
 とにかく物語があまりに「ノワール」寄りで、主人公たちのあまりに極端な「疾走」のあり方といい、抽象的なまでに「やくざ」と「暴力」と「セックス」に寄りかかったプロットといい、普通の読者として読まざるを得ず、これから少年期を迎える子を持つ親として特別どうこうという読み方のしようはなかった。(小学生時代の徹夫のシーンだけはちょっとこたえた。「いじめる/いじめられる」両方の経験者として。)
 ただ、「『浜』と『沖』の関係が『善良な人々』に落とす影」、「頻繁に引かれる聖書の言葉の重さと深さ」、「主人公が走るシーンにのみ現れる癒し」の3つは、とても印象に残っているし、今もふと思い出す。
 あと、拙作「故郷の島、そして真夏の吹雪」の一節とほとんど同じシーンが出てきてそれはそれで驚いたり。

▼ついで遅ればせながら。浦沢直樹『20世紀少年 1~16巻』(小学館)読了。といってもまだまだ続くんだろうけど。
 すごいなあ。本当にすごいよなあ、このストーリーテリングの才能。
 いまどきのアニメ絵じゃなくても、女の子がとびきり可愛いとか、カット割りの技術が卓抜だとか、ディテールに神様が宿っちゃってるとか、そんなのはもうなんちゅうかすでに枝葉。
 後代の「少年マンガ史」では、「手塚治虫が現代マンガを創造した。大友克洋が画による表現の幅を大きく広げた。そして、浦沢直樹が語りの技術革新をもたらした」と語られるようになるかもしれない。

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