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『魔術はささやく』は行き過ぎた法治主義への警鐘である


あらすじとネタバレ

主人公は日下守という少年。
彼の父親と母親はすでに死んでいる。母親は病死、父親は公務員だったがその税金を横領したまま失踪する。その後、日下守は浅野家に引き取られる。義母と義父、義姉との四人家族だ。

家族という病

タクシー運転を職業とする義父は女子大生を轢き殺した事故で警察に逮捕され、物語では殆ど登場しない。また、主人公は実父が失踪し実母と暮らす中、横領犯の子供として虐められる。学校生活の逃避先として彼の心の拠り所となったのが、「おじいちゃん」である。しかし、「おじいちゃん」は血縁的なつながりを持たない近所の気のいい鍵屋のおじいちゃん。
このように、家族という存在について、血縁というあり方を否定しているのがこの作品の特徴だ。作中では遺伝に対する主人公の拒絶反応の描写が繰り返される。一度だけ実父と思われる人物を発見するが、彼が実父ではないことも明かされる。これらのことから日下守は、血縁的しがらみが無い、個の存在としてが浮かび上がる。
家族、特に父の不在の文学である。斎藤美奈子氏・成田龍一氏は80年代の『キッチン』『ベッドタイムアイズ』『コインロッカー・ベイビーズ』を挙げて、父・家族の不在をそこに認めて「孤児の文学」とした。よって、当作品も80年代文学史上の「孤児の文学」として位置づけることができる。

法治国家と家族観

次に社会情勢との関連をかんがえてみよう。
作品終盤で、日下守は逮捕されずに父を殺した犯人・吉武浩一を確実に殺害する手段として「魔術」を、原沢から与えられる(原沢はこの「魔術」ですでに三人の殺害に成功している)。
吉武を殺すか非常に葛藤するが、日下守は彼の自首を促すという選択をする。これは、日下守が社会の規範・法の支配の中で生きていくこと、社会への帰属を選んだことを意味する。宮部みゆきはこの作品について、「世相の暗い部分みたいなものがその東京の闇みたいなそういうイメージ」と述べる。その「暗さ」「闇」とは、法で裁けない事がある恐怖、立証できなければ闇に葬られる犯罪があることへの恐怖ではないか。この恐怖は逆説的に、法律に頼らなければ殺人さえも裁けないこと、法に頼らざるを得ないない都市住民の弱さを逆照射する。
1980年代の文学が「孤児の文学」「家族の不在」として世相を映す鏡だったように、1980年代は個の時代だった。ムラの掟や相互扶助、血縁による仲間意識は1980年代に崩壊した。産業構造の変化、大都市への一極集中によって若い世代は社会に「個」として放り出されてしまった。全共闘の歴史的敗北により、同年代との連帯という幻想も壊された。もはや、血縁や地縁によって自らを守ることはできなくなった。そのような社会で頼ることができるのは法律しかなかったといえるだろう。

日下守は、親の敵である吉武を完全犯罪で殺す手段を手に入れたのに関わらず、結局はその手段を放棄した。それは、法律に裁けない完全犯罪に自ら手を染めてしまえば、唯一自分を守ってくれる法律さえも放棄してしまうことと同じなのである。ゆえに彼は、犯人に自首を促すことにとどめた。あくまで、法律の範囲内で正義を執行するということだ。
古橋信孝氏は70年代に盛り上がり早くも70年代後半で衰微した全共闘時代を終えた80年代を、深く考えることを嫌がる時代とした。70年代に安保闘争や全共闘などの闘争が終わり、深く考えたくない人々の時代になった。それらの人々は血縁・地縁のしがらみから抜けて東京にあつまる。考えることを嫌悪し、頼りもなくなった当時の若者の盲目的に法に頼らざるを得ない社会情勢がここにはある。

この作品が持つ妙なリアリティ——それは自分の知らないところで犯罪が密に行われているかもしれないという恐怖である。東京ならそんな完全犯罪が自分のあずかり知らないところで起きていてもおかしくないかもしれない……。それを宮部みゆきは「世相の暗い部分、東京の闇」という表現で描いたのではないだろうか。社会学的にいえば、ゲマインシャフトからゲゼルシャフト社会への以降である。血縁・地縁から、契約的・大都市的社会への移行は、多くの犯罪をもたらした。都市型社会の到来によって血縁・地縁から押し出された人々は、都市で犯罪を犯しやすい。それがゲゼルシャフト的な社会である。移民問題や都市での犯罪率を考えればわかりやすいだろう。宮部みゆきはそれを「東京の闇」と感じとったのかもしれない。

それは犯罪を裁いてくれる絶対的正義と執行者の不在を意味する。人々はもはや法にしか頼れないのである。藁にもすがるならぬ、法にもすがらなくては、悪を裁けない。そのような社会への不信感が本書の背後にある。

「バレなきゃ犯罪じゃない」というおふざけにも似たジョークがネットで散見されますが、それは法律に依存した社会では必ずしも悪が裁かれないという問題も包括しています。このジョークの構造はまさに『魔術はささやく』における完全犯罪との向き合い方の構造と同じです。
宮部みゆきはそのジョークへの警鐘として『魔術はささやく』を執筆したのでしょう(←ジョークです)。

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