アート靴下をつくってます①~始まりはまずfuco:laboから
走り出したきっかけ
モチーフを連ねるアートの特性によるものか、以前からよく「〇〇つくって(傘やファブリックなど)」と、親しい方からお声かけいただいていました。
だけど何となく、すぐつくりたいと思えなかったのは、自分たちが何のために、何故プロダクトをつくるのかが見えなかったことが大きかったかもしれません。
ところが、SANC(佐賀県芸術活動支援センター)の企画から生まれた最初のマグカップ以来、kinariiroiroのドリップコーヒーパッケージ、ヘラルボニーのアートドレスと、fuco:のアート作品を使っていただくことが増えてきました。
プロダクトそのものの魅力は勿論素晴らしく、いつか自分たちでも1から直接想いをのせてつくってみたいという気持ちも、少しずつ大きくなっていきました。
それと同時に彼女の将来が思ったものと全く違った、想像を遥かに超える可能性が見えてきました。
その度に「さぁどっちにいきたい?」と、問われはじめているような気もしてきたのです。
4歳で自閉症と診断され、地域の小学校支援学級から支援学校へと進み、障害区分5の重度判定で生活介護事業所へ通所。
これまではどちらかといえば、他者から判定されることで進路は決まりがちでした。
アートを通じて沢山の方々と出会い、イベントに呼んでいただいたり、一緒の時間を過ごしたり、サインをしたり、名刺を交換したり、握手をしたり、撮影していただいたり、数限りない新しい経験をしながら、皆さんが「fuco:さんはどうしたい?ナニが好き?」と聞いてくださいました。
そんな小さな積み重ねの中、私たちはどうしたいのだろう、どうしたら彼女は幸せなんだろうと考えるようになっていきます。
好奇心が強く、エネルギッシュな彼女ですから、どこかで誰かと会う、何か役割を果たすときの嬉しそうなこと!
アートから始まる数々のシーンで、彼女はこの数年本当に生き生きと成長してきました。
22歳の彼女にはこれからも更に、もっともっと「はじめて」を経験して欲しいし、その中で好きなことも見つけて欲しいと思います。
彼女が家族以外に多くの関係を持てる人と繋がり、彼女なりの自立をして欲しいというのは、ありふれた一番の願いです。
それが更に、福祉事業所での「障害がある人」としてだけでなく、障害がない人たちとも自然に混じり合って生きていけたらどんなにいいだろう!
こう思い始めた頃、プロダクト製作は始まっていったのです。
「こうなりたい!」への土台づくり
プロダクトをつくる時はこの人たちというのは前から決めていました。
最初のマグカップをつくった時のデザイナーさんがユニットを組んでいらっしゃり、その活動が益々素敵になっていたから。
一つのプロダクトが点としてではなく、線としてしっかり過去とも未来ともつながる、ストーリーも大事にしたスタイリッシュなデザインをされます。
まずは一緒に彼女との時間を過ごしながら、どんなものをつくるかだけでなく、私たちがどうなりたいかまで聞いてくださりながら、打ち合わせを重ねていき、まず「fuco:labo」がうまれました。
fucoのアートがデザイナーやモノづくりメーカーとコラボすることで、一人の作家の枠を超えて、視点を変えて身近なプロダクトとして形になる、新しい発見をしていく。
fuco:laboは、そんな実験的なプロダクトブランドです。
日常で身につけられるもの、使えるものとして再定義し、アートをより多くの人に届けられたら嬉しいです。
今回のためにつくられたロゴは、彼女の無垢なエネルギーを曖昧な境界線とし、ちょっと尖ったスタイリッシュさ、エキセントリックな感じが意識されています。
マルツナガルでは、彼女自身がアートを通じて世界とつながるというストーリーでしたが、laboでは入り口をあえて彼女ではなくプロダクトへ。
障害とか関係なく、単純に「いいな」と手にとっていただけたプロダクトから入ることで、自閉症の彼女という入り口からよりもっと多様で多くの方と繋がれるのではと思ったのが始まりです。
そして、それは障害がある人というカテゴリーだけでなく、多様な人と人生をつくって欲しいと願っていた家族の願いともマッチしたのです。
こうして単なるプロダクトというだけでなく、彼女の未来にしっかり「こうなりたい!」と書き記しながらモノづくりを始めることになったのです。
土台はしっかりと築かれました!
そしてこれは私たちにとって大きな大きなチャレンジの始まりなのでした!
これからの道のり
勿論laboになってもfuco:自身も可能な限り自分ごととして参加し、彼女に実感を持たせながら活動していきたいという根本は変わりません。
「今日は〇〇さんと会うよ」と予告してミーティングに参加し、つくっている現場にも可能な限り一緒に伺う、置いていただきたいショップがあればそこにも伺う。
そんな風に彼女の人生の登場人物を増やして、沢山の新しい役割を体験してもらいます。
ただ、laboは今までメインだった彼女や家族という感情的視点からになりすぎず、どちらかというとそれらを削ぎ落としながらプロダクトの良さにスマートにフォーカスする、全く別の視点をベースにしています。
この視点を切り替えつつ、ストーリーも大事にして、これまでのマルツナガルファンにも面白がっていただく、そのバランスを絶妙に保って言葉にしていくことはyasuco:的にはかなりかなり悩ましかったです。(まだまだ多分できてないです...)
最初にマグカップをつくって、名刺をつくって、少しずつ外注のプロの方にお仕事をお願いした時にも、「障害がある子供がいて大変」という今までの立場に甘えすぎないで向かい合うことの難しさを思い出しました。
本人だけでなく、家族にも長い期間をかけて「障害者の家族」という定義が染み付いているのです。
改めて「ホントはどうしたい?」「それを可能にするにはどんな手段がある?」「こうなってもいいんじゃない?」ありきたりの回答ではなく、自分たちで一つずつ深く考えていく期間でもありました。
安易でないチャレンジだからこそ、その先にはきっと新しいステージがあると信じて!
靴下づくりは長い時間をかけて、少しずつ考え納得し、また時々迷いながら、曲がりくねりながら進んでいきます。