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体育祭で1500m走の選手にさせられた思い出

 どうもみなさん、おはこんばんちわ。ふちりんです。秋になりましたね。暑がりで汗っかきの僕にとっては、まだ夏みたいなものですけれど。秋になり涼しくなってくると、汗を滝のように流している人間は奇異の目で見られるのでつらいです。夏のほうがまだましです。汗だくになっていてもあまり変ではないから。なんなら僕は真冬でも、頭頂部から汗が流れますからね。とても生きづらい体質です。もしこんなに汗っかきじゃあなかったら、色んなことに対してもっと積極的になれるのになあと思います。

 まあこれから書く記事に汗のことは関係なくて、秋と言えば体育祭の季節ですね。僕が中学生一年生のころの話だけれど、体育祭の日が迫ってくると、どの競技に誰が立候補するか、または誰を推薦するかを決める会がクラスで開かれました。誰もが「1500m走の選手にだけはなりたくない」と思っていたようで、1500m走には一人も立候補しません。もちろん僕も嫌でした。もともと長距離走が苦手で遅かったし、1500m走はいちばん長い距離の種目だったからです。誰か他の人が立候補するか、推薦されるのを黙して待っていたところ、クラスメイトたちが口々に「ちゅーじがいいんじゃないの?」と言いはじめました。

 「ちゅーじ」というのは、中学一年生のときの僕のあだ名です。顔が宇宙人に似ているという理由で「ちゅーじ」になりました。いま考えると、あだ名からしていじめだなと思います。そして誰かがついに「田中くんがいいと思います」と正式に発言しました。なぜ僕がいいのか、その理由は明らかにされませんでしたが、その理由は容易に分かりました。自分が1500mを走りたくないからです。誰か他の人間にその役目を押し付けたいからです。そして他のクラスメイトたちの誰もが同じように思っていたので、みんながその意見に賛成しました。多数決により、僕は強制的に1500m走の選手にさせられました。「これが民主主義なのか。なんて恐ろしいんだ、民主主義というものは」と思いました。僕以外の人間はみんな、安堵の表情を浮かべていました。僕だけが絶望の表情を浮かべていただろうと思います。

 「体育祭が開催されるのは数週間後だから、今さら練習しても結果は変わらないだろう」と思ったし、足の遅い僕が無理やり1500mの選手にさせられたことに全く納得がいってなかったので、1500m走に向けた練習は一切しませんでした。僕は剣道部に入っていたから、学校の周りを走ることは何回かあったけれど。

 そしていよいよ体育祭の日がやってきました。僕はしぶしぶ学校に行って、しぶしぶ1500m走のスタートラインに立ちました。当たり前のことだけど、他のクラスの選手はみんな長距離走が得意な人たちでした。苦手な人間は僕だけです。「何でうちのクラスはこういう当たり前のことが出来ないんだ? 糞やろうどもめ」とあらためて思いました。スタートを告げる銃声が鳴り響きました。僕は走りはじめます。せめて自分がみじめにならないように頑張ろう。最下位になるのは目に見えているけど、あまりにもダントツで最下位になるのだけは避けよう。そう考えながら死ぬ思いで走りました。人生であんなに走ることを頑張ったことは後にも先にもありません。心臓も肺も張り裂けそうになりつつ、僕は最後尾を走りつづけます。ビリから2番目の選手の背中を見つめながら、彼に必死について行きます。

 とうとう最後の一周になりました。僕はゴール前の直線で、ラストスパートをかけました。前の選手を抜けるかもしれない、そう思ったのです。クラスメイトの糞やろうたちのためではなく、純粋に自分のために懸命に両足を動かしました。しかし相手の方も抜かれまいとスパートをかけ、あと少しのところで僕は最下位になりました。

 最下位にはなったものの、ダントツの最下位ではありませんでした。僕は自分の奮闘ぶりに満足していました。誇らしさすら感じていました。クラスのみんなは、きっと僕の健闘を褒め称えてくれるだろうと思いました。僕はよろよろとした足取りでクラスメイトたちのところに戻ります。すると、将棋部の永持くんが笑みを浮かべて近づいてきました。そして僕にこう言いました。「ちゅーじ! お前なんで最下位なんだよ! 足おせーんだよ!」と。

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