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人生の折り返し地点で思うこと。

こんにちは。今日もトロントは快晴でした。

私は、コロナ禍になってから元旦那とよくビデオチャットしてます。離婚しても友達のような感じで。

そして、ふとまだ自分の持家がないのが残念だ。と言ったら彼の実家(持家)がある、トロントからもっと北に行った場所で「老後(笑)一緒に暮らす?」と言われた。

その時、とっさに出た言葉が、

私は自分の人生を諦めたくないし、それはもう選択の余地がない、諦めの選択になる。諦めという名の選択はいらない。

だった。冷静に考えてみて一度離婚した相手と、持家がないから、たまたま彼の親が持っている家に(しかも、別に住みたい場所じゃない)、彼のものになったら、老後一緒に住むというのは、

そこからどうしても幸せ、というシナリオが思い浮かばない。

それこそ、最悪な結末は簡単に思い浮かぶけど・・・。

彼とは今でもいい友達。でも離婚するからにはそれなりの理由があった。後悔がないと言えばそれも嘘になる。あの時、こうしていなかったら、思おうと思えばいくらでも出てくる。

でも、結局うまくいかなかった。それが全ての答え。そして私は一人になって試行錯誤しながら、それでもまだ明るい未来に向かっていろんな道を探って歩いているし、自信も微力ながら持ち始めた。

投資をしているのも試行錯誤のひとつ。

それがいきなり、苦渋の決断をして離婚したのに、持家が欲しいという理由だけで元鞘になるなんて、過去の自分にも失礼だし、それに甘んじる事は所詮、彼も幸せになんてなれない。お互い不幸になってしまう。

終わったものは終わったんだ。

多分、彼はこの私の気持ちを聞いて心を痛めたと思う。彼はとても不器用で良かれと思って提案した事を、否定されるとその理由は早々に、殻にすぐ閉じこもって口も聞かなくなってしまう。(それも、私とは根本的に合わないのだ。)

結婚して、子供も家も欲しかった。でも彼とでは、その未来がなかった。実にシンプル。痛手はいまだに大きいけど。

多分、持家は叶えられなかった彼との未来の中でも、頑張れば独身でも叶えられるもの。だから、執着しているのかもしれない。

または、自分が叶えられなかった夢を、周りがどんどん叶えていくのが、すごく羨ましいだけなのかもしれない。

どんな理由にせよ、私の残りの人生、後悔の選択で終わらせたくない。

そして、これから来るであろう明るい未来のために、自分に真っ正直に、後悔なく、時に不器用に最後の日まで生きていきぬきたい。




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