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お前は本当にやれんのか?


先日、デフフットサルブラジルW杯アジア予選のメンバーが正式に発表され、無事に選出された。
率直な今の自分の気持ちを書いてみた。

本来なら、大会が終わった後に書くべきなのかもしれないが、そもそもこういう競技もあるんだ、こういう選手もいるんだというのを知ってもらわなければ意味が薄くなる。

というわけで、公開することにした。

また、そんな大きなことを言って、うまく行かなかったらどうするんだよ?
そんな言葉は受け付けない。

拙い文章ですが、自分の思っていることをつらつらと書いたので、お時間のある時に読んでもらえたら幸いです。


4年前の2019年11月

デフフットサルスイスW杯グループリーグ第3戦
相手は強豪国のロシア。

前半に先制され、後半に追いつき同点。
そんな中、残り55秒で勝ち越され負けた試合。
あの光景は一生忘れない。
自分はあの時からまだ時が進んでいない。

勝てば自力でグループリーグ突破。
引き分けだと他国の結果次第。
負ければグループリーグ敗退。

同時刻キックオフで何がなんでも勝たなければいけなかった試合。

同点に追いつき、他国の試合経過からすれば、引き分けでも突破できた状況。

そんな中で、残り55秒で失点。
突破できそうな雰囲気があった中で失点。
そして反撃も虚しく、そのまま1-2で試合終了。

前日のポーランド戦もブザービートで敗北。
残り0秒で失点して4-5で負けた。

何があったのか、現実を受け止められなかった。
こんなにも無情で、あっけなく終わってしまうのかと感じた。
悔し涙すらも出なかった。
それぐらいあっけなかった。

少し経って、俺はなんてことをしてしまったんだろうという罪悪感に駆られた。


あれだけ人のことを巻き込んでおいて、あれだけ支援してもらっておいて、あれだけ世界一になると言っておいて、

結果は決勝トーナメントに進むどころか、グループリーグ敗退。

どれだけホラを吹いたんだろうって、あまりの自分の不甲斐なさと周りの方への申し訳なさに、自分に苛立ちが止まらなかった。

多くの方を巻き込んでお金をいただいたプレッシャーに負けて、自分の力を出せず、監督にボロクソに言われて泣いていたこともあった。
ファーストセットからセカンドセットになったし、大会ではゴールという形でほとんど結果を出せなかった。
本番に弱い理由は、単純に自分に自信を持てるほど練習してなかったからだと思った。

クソだせえ。
心の底から自分を軽蔑した。

本当にその競技に全てを賭けていたのか。
本当に自分のベストを尽くせていたのか。
本当に自分は支援を受けるほどの価値を見出せていたのか。
本当に自分はチームに貢献出来ていたのか。

自分はまだまだ覚悟が足りなかった。

喘息がひどくなっても、高い吸入薬すら買うのを躊躇ったこともある。
病院の先生と看護師さんがとても応援してくれて、理解してくれて、金銭面などで配慮してくれたり、応援Tシャツを買ってくれたり…。

クラウドファンディングで行き詰まった時、大阪まで行って、経営者が集まるセミナーで3分間だけ話す時間をもらって、募金を募ったり…。

いろんなところで迷惑をかけて、いろんな方にお世話になった。

このまま終わっていいのか?
このままで応援してくれた人に顔を向けられるのか?

支援してくださった方々

いや、向けられるわけがない。4年後まで続けなきゃいけない。何かを犠牲にしてでも、覚悟を持って走り続けなきゃいけない。本気でもう一度世界の頂点を獲りに行かなきゃいけない。

そう思った。

あんだけ支援してもらっておいて、なにのんびり生活してんだ。

そう思った。

だから、それまでしていた就活を全て辞め、通っていた選考も全て辞退して、帰国してすぐにメルカリの担当者に連絡して、卒業後もサポートしてもらえないかと直談判した。

この悔しさを忘れないうちに。次の大会までの4年間という時間を無駄にせず、少しでも世界一が近づくように。
一般企業に就職するという道を捨てて、卒業後もフットサルに全集中できるように退路をたった。

Fリーグでやるという目標はこの時から考えていて、下手な自分は就職しながらプレーしていては到底追いつけないと思ったから。利用できるものは全部利用してやろうと思った。

そして、欲というものを自制した。
趣味というものをなくして、
何か服を買ったり、
新しい車を買ったり、
美味しいものを食べたり、
旅行に行ったり、
そういうことは本当に必要最低限のみ。
少なくとも4年後に結果を出すまでは、欲を出してはいけないと思った。

住む場所も、人間関係も、プライベートも、全てをフットサルに、デフフットサルの環境が良くなることを第一優先に。

デフフットサルが応援してもらう価値って一体なんだろう。
デフフットサルが価値を表すために何をしたらいいんだろう。

そう思って、片道1時間半かけて日本障がい者サッカー連盟でインターンもやった。
ピッチ内外関わらず、それを第一優先に考え、行動していった。

日本障がい者サッカー連盟でインターン

練習以外の時間も、どうやったらアスリートとしての価値を高めていけるのか、ずっと考えていた。
色々なイベントに出たし、色々な人と話したし、色々な人にこういう競技があるということを、自分のビジョンを伝え続けた。

スポーツビジネスのイベントの公募に応募して登壇
障がい者サッカー指導者講習会で登壇

熱を持って動き続ける。
それをやり続けたからこそ、今がある。

4年前に代表でクラウドファンディングをやった時。
企業相手に営業をして、大学3年生で1:6の商談を乗り切って、50万円の法人支援をいただけた。
もちろん、代表選手で均等に配分されるわけだから、僕に入ってくる分はほんのひと握り。

それでも、それで代表の環境が良くなるなら、代表の価値が上がるなら、みんなの負担が軽減されるなら。と動いた。
環境が良くならないことを嘆くより、自分が環境を変えていくことに注力した。自分が動いて、初めて相手に要求できると思ったから。

自分にできることはなんでもやった。
できない理由を探すんじゃなくて、やる理由を、やる方法を探した。
どんなにめんどくさくても、時間を使っても、動き続けた。
お金もめちゃくちゃかかった。

この競技をやってなかったら、どれぐらい遊べたんだろう。
たまにふと思う。

みんな、大体こう言う。
『野寺はすごいな。野寺だからできるんだよ。俺とは違う。』

本当にそうだろうか?
自分だって、昔嫌がらせを受けたり、揶揄われた経験はたくさんある。
だから、人前で話すのなんて大の苦手だった。
授業の発表を人前でするだけで、大量の汗が出てくるぐらいの極度のあがり症だった。

でも、それは過去の話。過去は過去。
今を行動するのに、目の前のことや未来を変えていくのに、過去に囚われては一生変わらない。
今変わらなければ、自分やデフの環境は一生変わらない。

だから、苦手でもトラウマがあってもやった。
自分が望む未来を得るためには、時には苦手なことや嫌いなことをやる必要もある。それから逃げては、望む未来なんか一生得られない。

時間がないから、仕事があるから、動きが遅くても仕方ない。
自分は苦手だから、他人任せにする。
誰かが環境を変えてくれるのを待つ。
日本代表という場で、その言い訳が通用していいわけがない。

もっと覚悟を決めろ。
自分が変えてやるぐらいの勢いを持って

とりあえず、やれ。
そう思う。


でも、デフフットサルの環境は4年前に比べて間違いなく悪化した。
自分がどれだけ考えて動いても、関われる人はほんのひと握り。
選手でやれることの限界を感じて腹が立った。
身動きが取れなくて、ぶつけどころの無いモヤモヤだけが残った。

デフの子に希望を与えたいという選手がいるが、将来大きくなって代表を目指すとなったときに、今のような選手の負担が大きい環境で感じることは嬉しさより絶望でしかないだろう。

現に自分が代表に入った時、そうだったから。

それを自覚して、未来の子のために環境を変えていくということに全力で取り組むべきだと思うし、自分はそれを軸に置いてアンテナを張って行動している。

TwitterできたDM。嬉しかった。

そして大学卒業後、
世界一から逆算した時に
出来るだけ強くて、出来るだけ練習できる環境に身を置こうと思った。

いくつものF下部や関東リーグのチームのセレクションを受けたけど、落ち続けた。どれぐらい落ちたかわからない。
中には耳が聞こえなくてサインプレーが難しいからという理由を言ってきたところもあった。
めちゃくちゃ悔しかった。

それでも藁に縋る想いで受け続けて受かったのが『FC NAKAI』
フットサルのことをだけを考え、1日のほとんどの時間をトレーニングに費やした1年間だった。

FC NAKAI

試合に出ることはほとんどなかったし、
YouTubeで全く知らないアンチに叩かれるし、
悔しいことはめちゃくちゃあったけど、
それでも、毎日フットサルにたくさんの時間を費やしていたことは間違いなく断言できる。
多分かなり成長したと思う。

4年前の大会の映像を見返すと、今の自分でも見ていられないぐらい酷い。聴覚障害のある人からしたら才能があるとか思われるかもしれないけど、今もたいして上手くないけど、昔は今よりも相当下手だったことは声を大にして言いたい。
だって前は関東2部のチームで試合メンバーにすら入ってなかったんだから。 

そうしてこうして、
FC NAKAIが解散して次のステップに行く時、Fの舞台でなんとしてもやりたいと思った。
世界一を獲るためには、そこで闘える選手になることが1番の近道であり、必要不可欠だと感じた。

いくつかのチームのセレクションを受けて合格したのが「ヴォスクオーレ仙台」

ヴォスクオーレ仙台

東北地方なんて初めてだったけど、
知り合いなんて全くいなかったけど、
行くことに迷いはなかった。

そして、Fリーグ初挑戦の年。
メンバー外のことも多かったし、メンバーに入ってもセーフティリードになってからちょこっと出る程度。
自分の描いていた理想ではなかったし、もちろん納得出来るものでもなかった。

NHKに取材してもらったり、たくさん声をかけてもらったり、とても注目してもらっていることは感じる。

NHKにて特集

それでも正直な気持ちを言うと、
『試合に出てる選手じゃなくて、ベンチ外の選手が取材してもらっているってどんな状況なんだろう。』と思った。
実力が無くて試合に出れていない現状と取り上げられ方の乖離に、ずっと葛藤も感じている。

誤解のないように言っておくが、取材してもらったNHKさんにはとても感謝している。

聴覚障害のカテゴリーで言えば、『日本代表』
障害のないカテゴリーだと、『ちょっと試合に出れるぐらい』

それぞれの場での差に葛藤をめちゃくちゃ感じるし、なんなら何回も辞めたいと思った。デフの日本代表に選ばれるようになってから、その葛藤が大きくなりすぎて、サッカーやフットサルを楽しむという感覚が減っていった。

多分上のカテゴリーを目指さなければ、耳のことで悩むことも減るんだろう。レベルが上がれば上がるほど耳が悪いことのハンディキャップはきっとでかい。でも、逃げちゃダメなんだよね。現実を受け止めて、どうやっていくかを考え続けなきゃいけない。

その葛藤は障害のないカテゴリーでバリバリ活躍できるようにならないと消えないだろうし、純粋にフットサルを楽しむという感覚は取り戻せないんじゃないかと感じる。
それでも、そこでへこたれる事なく、自分を信じて、やり続けるしかない。

ありのままの自分を伝えることで伝えられることもあるし、そもそも伝えていかなければ、広がっていくチャンスすら無くなる。
だからこそ、葛藤を感じながらも発信している。

そして、障害がある子にとっては『手の届かない存在』じゃなくて、『手の届く存在でいたい』と思う。
過程を発信していくことで、『あの人は自分とは違うから』という言葉で片付けられないように。『自分も小さい時はみんなと一緒だった』と伝えられるように。
そういうロールモデルになりたい。

デフの子たちにフットサル教室

自分にどれくらいの価値があるのか?

ビジネス的な価値は、他人から評価されて初めて付くものだと思う。
そこをシビアに考え、プラスになりそうなことは全部試していった。
どんなにめんどくさいことでもやった。
どんなに時間がかかることでもやった。

YouTubeも発信していくことで、自分の価値を高めていくことにもつながると思ったから始めた。

Youtubeチャンネル開設


結果が出なかったら、クビ。

お世話になっているメルカリさん。

競争が少ない障がい者アスリート界でも、自分にこの言葉を言い聞かせた。自分に今自分にできることはなんなのか。
なんでもやってみる。そして続ける。

障がい者アスリートは、Jリーガーとかプロ野球選手に比べたら、露出の数も少ないし、影響力もやっぱり小さい。
そういう現実を受け止めた時、自分が周りに何を与えられるのかという観点からもっと考えるべきだと思う。

僕が以前ツイートした時、『言葉の表現が残念だし、失礼。自分は応援してくれる人を大事にしたい』みたいな的外れなリプが飛んできた。
もちろんそれはそう。応援してくれる方たちの温かさは十分わかってるし、感謝の気持ちを持つのが大切なのは当たり前だ。

そんなのは大前提として、僕はそんなレベルで考えていない。

僕はいち個人として、価値は他人の評価によって決まるものなのだから、もっとシビアに考えるべきだと思っている。

障がい者だから応援枠。
障がい者アスリートだから応援枠。

違うだろ。

俺だってJリーガーやプロ野球選手のように何かを与えていける。
そして、それで価値を生み出していける。
そう信じている。

『行動力がすごい』ってよく言われるけど、行動するのなんて当たり前だと思う。
たいして実力がないんだから、それぐらいはやらなきゃ何もできないままで終わるだけ。

SNSでの発信はただ綺麗な言葉を並べれば価値が出るわけではない。大事なのは日々の積み重ねで、言葉は後から足せば十分だと思う。
だからこそ、僕はリアルで動き、人に会いにいき、自分のことを伝える場をとにかく作るということを大事にしている。

そして、その発信は試合に出てこそ価値が最大化されるものだ。とにかく自分から逃げられない環境を作って、自分をひたすら追い込むだけ追い込もうと思った。

自分は心が弱い。

そう思ったから、環境からやらなきゃいけない状況を作っていった。

SNSで発信してたら、アンチが来たり、叩かれることもある。
一部の表現だけを取り上げて、その背景や想いまでも想像することなく、自分の考えだけで批判してくる奴もいる。

でも、発信しなきゃ始まりすらしない。
だから、お構いなしに発信していった。

2023年4月29日

そしてとうとう待ち侘びていた大会が始まる。
4年間この日のことだけをずっと考えていた。
ふとした瞬間にあの4年前の絶望した光景が蘇ってくる。
ぼーっとしていたらあの光景が頭によぎる。

あの光景は二度と味わいたくない。
優勝トロフィーを自分の手で掲げたい。
お世話になった人に金メダルで報告したい。

そのために多くのことを犠牲にした。
欲も無くした。

心に余裕がなくて、多くの人にキツイことを言ってしまったし、突っ走ってしまうこともあったし、人間関係を疎かにしたこともあったと思う。
本当に申し訳ない。
本当に余裕がなかった。

僕の未熟なところだ。それでも見捨てず応援してくれている人もいる。
ちゃんと恩返しできているだろうか?
最高の結果で最高の恩返しをしたい。

最後に笑えれば、全て良し。
最後に笑えれば、それまでの失敗や苦しかったことは全て、その瞬間のための過程に変わる。

自分に関わってくださった全ての人に感謝を込めて、自分に自信を持って、全力で闘ってきます。

まだ日本男子フットボール界で、
どのカテゴリーでも成し遂げていない、
世界の頂点。

それをデフフットサルで獲る。

それで何が得られるのかはわからない。
それで何かが変わるのかはわからない。
そもそも何も変わらないかもしれない。

でも、多くの人に恩返しする。
そのためだけにやってきた。

『お前は本当にやれるんか?』

そう問われている気がする。

まずはアジア予選を突破する。
そして、外から見ることしかできなかった表彰台のてっぺんに俺らが立つ。

あとはやるだけ。
俺が勝たせる。優勝させる。
さぁ、てっぺん獲ろう。

デフフットサル日本代表
野寺風吹

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