全事象において、メリットとデメリットの両面があるという話。
全ての物事に対して必ずメリットとデメリットの両面が存在する。
これは、本気サークルでお世話になっている竹本くんが最近教えてくれたことだ。
これを自分に当てはめてみようと思う。
自分は、左耳に中等度、右耳に重度の難聴がある。左耳は補聴器をすれば日常会話程度は問題ないが、右耳は補聴器をしても全く聞こえない。このことから右耳は補聴器そのものをつけていない。
僕は小学校から普通学校に通ってきた。この比較的聞こえてしまう程度の障害と言うのは良くも悪くもあるのではないだろうか。
例えば、聴覚障害があるとどうしてもできないことが出てくる。電話対応はできるだけしたくないし、文字起こしや議事録作成も苦手だ。
聴力が軽い自分でも、聞くという作業にほぼ全神経を注力させている僕にとって、聞くことと聞く以外の作業を両立することは困難なのである。
例えば、大学の授業で教授がひたすら話して大事だと思ったことをメモしていく形式があると思うが、聞くだけで精一杯か、ノートに書けたとしても、書いているときの先生の話はすっぽりと抜けてしまっている。
意外と理解されていない部分だと思う。
僕にとって出来ることと出来ないことを整理することは間違いなく重要で、良く言えば「諦める力」を必然的に必要とされる環境になっていると思う。
今の日本社会はまだまだ平均的に良くなることを求められていて、そういう意味で障害のない人は出来ることと出来ないことの整理をしやすい環境であるとは言えないのかもしれない。
逆に、そういう環境に必然的に置かれながらも比較的障害が軽い自分は時にある意味お得なのかもしれない。
でも、僕は耳から入ってくる音以外に、相手の口の動きなどを見て総合的に相手の言っていることを判断する。このご時世でマスクを着けるが、全神経を音に集中させなければ、ほぼ何を言ってるかわからないなんて、この世の何人が知っているのだろう?
右耳は聞こえてないから、右方向から何かを言われても全く気付かないなんて、僕の周りの何人が知っているだろう?
男性よりも女性の声の方がよっぽど聞き取りにくいのが一般的なんて、この世の何人が知っているだろう?
結局、補聴器だって基本的に音をただ増幅させる装置でしかない。僕は、口などの動きから音を言語として認識できなければ、ただの雑音が耳に入ってくるに過ぎない。居酒屋などの周りの音は俺にとっては増幅したノイズであり、そのノイズの中で会話しているイメージだなんて、僕の周りの何人が知っているのだろう?
僕がお笑い番組を全く見ないのは、興味がないのではなくテレビ越しでは口の動きが読めず、何を言ってるかわからないから。字幕を付けたら、先の内容がわかってしまって面白く無くなってしまうから。YouTuberの動画を見ないのは、気軽に見るはずのYouTubeが聞くことに集中して疲れてしまうから。ということは僕の周りの何人が知っているのだろう?
周囲の環境がガヤガヤしていたり、複数人で話しているような環境であれば、全ての音が補聴器によって増幅されて入ってくるのであんまり何を言ってるかわかっていない。居酒屋などガヤガヤした場所での飲み会や大人数のワークショップでは半分ぐらいは何を言っているか理解できていないし、聞くのに集中してしまって話すのにまで気が回らないというのが本音である。
だから、僕は大人数の飲み会はよっぽどじゃないと行かないし、少人数で行く時も出来れば落ち着いて話せる静かな場所を指定するようにしている。
「自分の都合で聞こえ方を演じ分けている。聞こえないフリをしている。」なんて言われることもある。これも障害の程度が軽いが故に言われることだ。そんな演じ分けやフリをするくらいなら、全部聞こえて受け答える方がよっぽど楽だと思うのだが。
そして、隠そうと思えば隠せるのも大きな特徴かもしれない。
でも、この事実は長く付き合っている人じゃないと理解している人は少ないように思う。日常会話があんまり問題ないからこそ、ほとんど問題ないように思われているということもしばしばある。つまり、これは障害が軽いが故のデメリットであるとも言えるのではないか。
正直に言って、これを付き合いの浅い人にズバッと言う勇気はまだない。これから大切にしたいとか興味が湧いている人に限ってもそれを言える勇気が出ない。どうしても言うことを憚られている自分がいるというのが正直な気持ちだ。結局のところ、色々と偉そうなことを発信しているが、まだ僕は根本的な部分で障害は障害であり、障害に対してネガティブなイメージを持っているのかもしれない。
ここは僕が、今後絶対に直さなきゃいけない部分ではあると感じている。
自分自身、障害が軽い方がマシなのかもしれないと思うが(実際にそうなのかもしれないが)、障害の程度が軽いが故の悩みというのも絶対に存在することは確かだ。
ということは、自分がその立場にいないから気付かないだけであって、物事の全ての立場や物事において、メリットとデメリットの両面は必ず実在するのかもしれない。
そして、ポジティブに物事を考えるためには、デメリットに目を向けるのではなく、メリットに目を向けることが大事な要素である。
どんなにデメリットがあったとしても、デメリットに目を向けていては、一向に前への一歩を踏み出せないのだから。
僕はデメリットではなく、メリットに目を向ける自分でありたいと強く思う。
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