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4月 冬のこと

フリーペーパー4月号は、俳優の烏森まどさん、石川瑠華さんをお迎えして”今年の冬のこと”を振り返りました。

4月。寒さが徐々に和らいで、春。暖かな陽の光を感じながら、みんなの心が穏やかであることを願いたくなります。冬のあいだにあった全ての出来事が暖かな光に溶け出して、混ざり合って、みんなの心が平等に柔らかく穏やかになればいいなあ、と。無理でもそう思い続けたい。みなさんはどんな冬を過ごしましたか?冬のどんな記憶も一緒に持って生きていけたらいいな。私たちの記憶が読んでくれたあなたと共に生きてくれたらいいな。と思っています。


※少しセンシティブな内容が含まれているので、心が元気なときに読むことをお勧めします🫂

- - 今年の冬のこと -

ザキ

私は冬に何をしていたのだろう。今年の冬のこと、というテーマを思いながらPCの前で長い時間を過ごしたけど、一向に書くべきことが思いつかない。ただ、今年の冬は30歳になって、自分が幼少期に小屋で寝ていたことを知った。

アル中で暴れ狂っていた父の暴力の餌食になっていないことが自分が父に愛されていたと信じられる数少ない証拠のひとつだったのに、家にすら入れてもらえず、田舎の極寒の冬をボロボロの小屋で過ごしていたらしいことを知り深く絶望した。そして、なんとなく蓋をしていた、やんわりとした暴力を受けた記憶が姿を現した。暴力を振るわれていないこと以外でどうやって愛されていたことを確認すればいいのだろう。それがどれだけ間違えた尺度だとしても、どうしてもそう思ってしまう。だから今年の冬は、自分の過去に最悪な形で出会い直して、泣いたりただぼんやりとしてほとんどの時間を過ごしていた。

どれだけ泣き疲れても夜になると目が冴えて、仕方がないので徘徊するように夜の商店街を歩いた。真冬の深夜の商店街は静かで、ピンと張った冷たい空気が透明という言葉を思い出させる。このまま歩き続ければ自分も透明になってそっと消えることが出来るだろうか。そんな自分の考えを否定するように、歩くほどに熱を帯びる自分の身体が、自分はここに居ると主張している。

歩くことにも考えることにも疲れ果てて、道の隅に座り込んでポケットに入っている詩集を取り出す。じっと目を凝らしていると徐々に浮かび上がってくる他者の言葉を追いかける。束の間の自分の悲しみからの離脱。それもあっさり終わって、ため息をつきながら本を閉じ、街灯の下にいく。本からはみ出た栞代わりのネガを光にかざすと、幼い自分がニコニコと笑っている。世界でいちばん幸せそうなこの子は、父の暴力の隙間で笑っているのだと思うとあまりにも不憫ではないか。それでも、カメラマンだった父の残した写真から感じる愛情は本当で、自分が受けた暴力と切り分けて考えることができなくて苦しい。

いつも、今でも母が言い続けてくれる、お父さんはあなたのことだけは大切にしていた。という言葉。じゃあなんで押し入れに何時間も閉じ込めたの?私の目の前で人をゴミみたいに殴り、蹴飛ばしていたの?大人になって、病気と人格を切り離す必要があると知った。分かっている。でも、いざ自分事となるとそれが出来ない。愛されていたことを信じるのは難しい。愛されていたかもしれないと信じた次の瞬間には、恐ろしい父の姿が現れる。

信じられなくなるたびに、部屋の隅に重ねられた写真を見つめる。何百枚もの私の写真が、父の愛をしつこく教えてくれる。家族だから全てを許す必要もないし、自分の持つ怒りや悲しみを蔑ろにする気もない。それでも、生きている間に、病気に侵されていなかったときの父の愛情を信じれる日が来ればいいな、と思う。

父に触れるようにそっと写真を撫でるとひんやりと冷たくて、私の身体はやっぱりあたたかくて、冬という季節が、私が生きていることをしつこく教えていた。生きていることを強く意識した冬だった。

石川瑠華

ある昼下がり、ふとカレーが食べたいなと思いb.e.parkというカレー屋さんに行き、数日たった今、私はそのお店に置いているフリーペーパーに載せることになる文章を書いている。

不便な本屋さんの店主ザキさんと出会い、テーマをぼんやりと決めようということで集まり、軽い気持ちで「”今年の冬のこと”なんてどうですかね~私冬が好きで。」なんて何も考えずに言ったことがきっかけで私は今年の冬のことを書こうとしている。冬の好きなところ、冬の空気が好きだ。寒いということは何だか私にとってシンプルで(夏の暑さは私にとってシンプルではない)、寒いということは私という存在を薄めてくれる気がしている。現実の空気にうまく溶かしてくれているような気がする。あくまで私の体感。それがとても心地いい。
それに冬は、読書するのに一番いいと感じる季節だし、服装も好きだ。

私は普段頭の中がとても暗いので、書くことくらいは軽やかな気持ちで書こうと思っていたのだが正直なことを書こうとする場合、それは不可能なことだとわかった。今年の冬は、寒さが記憶にない。身体も覚えていないみたいだ。記憶はもっと強烈な記憶によって消されてしまうこともあるらしい。母の夫が亡くなった。義父という位置付けの人の死はなんだか悲しみの大きさの想像がつきにくい。と思う。人によって悲しみの大きさも種類も違う。と思う。

義父という言い方も好きではないので父と言う。母の誕生日に父が死に、しばらくこの世界とはかけ離れた深い井戸の中のような確かだけどどこか不確かな悲しみの中にいた。不確かだと思いたかっただけかもしれない。夢をみているんだと思ったが私は起きていた。こんなことフリーペーパーに書くべきではない。重すぎる。でも書いてしまっている。

私の性格。書き物にまで自分というこの厄介な存在の息を吹き込むことになるなんて思わなかった。自分の気持ちをできるだけ正確に掴むこと、作り物でも事実でも真っ直ぐな真実を書くように努めること。だから私はここに書いてしまう。ただ起こったことを。私の大好きな冬のとある日は母の誕生日でその日に父は死んだ。とてもとても優しい人だった。まだ母と行きたい場所、したいことがたくさんある人だった。こんなに優しい人がいなくなっても世の中の動きは一ミリも変わらなかった。私の目にフィルターがかかっただけだった。
今も、正解も誰が悪いのかも母を救う言葉も解らないでいる。父のことを思い出せば思い出すほど、その記憶が生きている時のものだから死んでいることが実感できない。衝突する。

でも、私はそのあと少し経ってから、自分で行動するようになった。それまでの私は無気力で自分から自分のことを思ってこれがやりたいあれがやりたいということに対して、そういう自己愛に対して嫌悪感があった。自己満足や自分が幸せになるようなことは望んでいなかった。でもあれから、私は行動するときに人のことを思う。父のことを思う。

行動しないことは父を忘れてしまうことのように思う。父を感じないことのように思う。

あれから少し経って、私は自主で短編映画を撮り、フリーペーパーを書かせてもらい、いつか、と考えていた古本屋さんを少しずつ始めることができるかもしれない。俳優の方は少し置いておいて。笑 お父さん、あなたを連れて、私は一歩ずつ進んでいますよ。きっと。

烏森まど

1月4日(水)
7時起床、8時出発でヤマドリ狙いの狩猟へ。
まだまだ雪深く、足が吸い込まれるようで1歩1歩が普段の2倍大変な印象。雪と枯木ばかりの山は壮観だった。一人の山は怖いのだろうなぁ。

1月5日(木)
Kくんから告白される。別に自分のことを歳だなあ、とかは思わないけどさすがに考える年齢差。真っ直ぐでやさしく、素晴らしい子。私と出会ったことが何か一ミリでも、彼の人生のプラスになっていればと願うばかり。

1月9日(月)
映画、ケイコ目を澄ませて、を観る。三宅唱監督の映画好きと、学術的変態性をみた。美しいほどきっぱりと映画的だった。ここまで"映画"だと、役者の上手い下手なんて邪魔なだけだなあと。
役者は本当に、居るだけ、でいいんだ。まあそれが難しいんだけど。

1月13日(金)
やっと、星野道夫展に行く!星野さんの純粋な自然への興味とリスペクト、そして想像も出来ないほどの雄大さに触れる日々に、私ももっと世界を見たくなった。自然は、『居てもいいんだ』と思わせてくれる。何も出来なくても、存在には意味があるのかもしれないと思わせてくれる。美しい自然と人間の意義。…意義なんて考えるのは人間だけ?

1月14日(土)
粛々と生きて、たまに『この日のために生きていたのかもしれない』という瞬間に出会えたら、もうそれはいい人生だといえると思う。毎日が輝いていなくてもいい、毎日を楽しい!と思えなくてもいい。粛々と日々を全うし、そのときを待つ!
先輩と喋っているときに思ったこと。記録。

1月20日(金)
世田谷美術館でやっている藤原新也展に行く。
今まで知らなかったことが悔やまれる。ガンジス川のほとりの灯火たちの写真がよかった。人間はただの肉、タンパク質。生きるのも死ぬのももっと自由で自然でいいはずなんだ。
病院で死ぬのではなく、自然の中で、自然に還るかたちで死ねたらどんなにいいだろうと思った。

1月22日(日)
『僕はどうやら生きていることの方が好き』
先輩が言ったこの言葉が気に入り思わず書き留めている。
死にたいと思う気持ちも否定せず、でもじんわり寄り添ってくれるこの先輩のお陰でわたしは今のわたしになれたと思う。

2月1日(水)
先述した先輩のお誕生日。この人のことなら大概のことは知っているような気もするし、なにひとつ知らない気もしている。それでいいと思っている。気持ちのいい日々にずっと包まれるよう、祈っております。

2月7日(火)
Cさんご出演の舞台、『わが町』を観劇。
生きていくためには、人生を愛さなければならない。人生を愛するためには、生きていかなければならない。もっと自然を抱きしめて生きていきたいと思った。
朝リビングに入る光、ゆれる白いカーテン(リネンのやつ)、山で出会う朝たち、薪割りのときに見える山の稜線、焚火の匂い、初夏の昼下がり、夏のお風呂上がり、ひぐらしの声、金木犀の香りがする秋の朝、鼻をつーんと抜ける冬の夕暮れ。
抱きしめて生きてゆき、私にとってその手段のひとつが俳句であるかもしれない。
久しぶりのCさん、やっぱり素敵だった!

2月11日(土)
Kちゃんと秋田県のなまはげ祭へ!
火と伝統行事はやはりへその奥から揺さぶられるような感動がある。いろいろな土地のお祭りへ行きたくなった!でも、伝統が続くことには閉鎖的であることが必要なのだとも思った。ひらかれた伝統は続くのだろうか。かたちを保てるのだろうか。

2月26日(日)
バイト後、表参道でやっていた石川直樹さんの写真展へ行く。とても美しく、畏怖の念を抱く山々の写真ばかり。久しぶりの表参道を懐かしい気持ちで歩きながら、ライスバーガー専門店を見つけて遅めのランチ(早めのディナー?)
そのあと、Bunkamuraル・シネマでパク・チャヌクの別れる決心を観る。観ている間は正直、長いなァと思っていたけど、今になってジワジワきている。パク・チャヌクすげえ。

2月28日(火)
やっとバビロン観た!!最高!号泣!最後主人公がこれまでの歴史に笑ってくれたことが救いだったし、こうやって変わってきたんだなと思った。
同じ映画というものを仕事に出来ていることに胸が震える。

3月8日(水)
16時に○○へ到着。到着してすぐお風呂へ。日も長くなり、露天がすっかり気持ちの良い季節になった。去年の今日、○○の撮影クランクインだったなぁ。世界は変わる。人生は選べる。
夜はアナグマの角煮と塩コショウ焼を頂く。タープで寝ていたら斜面だったこととアナグマの脂とで気持ち悪くなっちゃって大変な夜だった!笑

3月15日(火)
親友の誕生日を祝うことが出来た。イノシシの角煮やチーズなどで乾杯!手作りアルバムと革のブックカバーをプレゼント。泣いて喜んでくれてすごく嬉しかった。もらい泣き。お恥ずかしい。
『山笑ふ香りごと持ち帰る一瞬』という句をおくる。

3月?日
『水が水とうたいはじめる春になる』荻原井泉水
素敵な句にであう。気がついたらすっかり春。
わたしの冬は、こんな感じでした。

 

✶寄稿者⼀覧✶

烏森まど @puppymado9
石川瑠華 @___rukaishikawa
ザキ @fuben_na_honya @tomokomoko_

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