はじめまして。
”フーテンのkidai”、 こと 古原貴大 (こはら たかひろ) と申します。
例にならい、この初回記事をもってプロフィールコメントよりいくらか濃い目の、自己紹介とさせていただきます。特殊な経歴、長めの文、興味と時間のある方はどうぞご覧ください。
経歴
’74年の寅年。大阪府豊中市に生まれる。
’93年 18歳〜 美大受験失敗から始まる人生の旅。
単身バイクで北海道へ渡る。美術や工芸方面の興味が強く、アイヌ民族の親方のもと土産屋の売り子をしながら木彫師の見習い生活を送る。閑散期である冬の午前中は毎日スキー三昧、午後からはストーブに当たりコツコツと木を彫ること2年。
大自然に囲まれて外界とは違った時間の流れを過ごせる環境の心地良さ。離れがたく感じながらも、好奇心と挑戦心に溢れていた若かりし自分。
’95年 20歳〜
北海道の一番大きな街、札幌へと生活の拠点を移し、かねてより興味を持つ事のひとつ、飲食業の道へ。調理師免許を取得し、多様な飲食店に身を置き、自己実現への可能性を探る年月。
2002年 28歳、
札幌も景気があまり良いとは言えなくなっていた頃、北海道で最後に在籍した会社の上司が札幌を離れ中国で飲食事業を営む計画を持ち出したのが海外(中国)に出るきっかけとなる。あまり多くを知らないなりに周囲は及び腰な共産国である中国。先輩方や同僚を差し置いて、面白そうだと挙手した者が一人。バイタリティそれで乗り切れる気がした。まだ若かりし自分。
2003年 29歳、中国大連。日本独資の飲食サービス会社の立ち上げとレストランのオープンに参加。
2004年 30歳〜
支店を預かる事になり上海へ。
言葉、習慣、仕事の仕方、怒涛の驚きと衝撃に遭遇する毎日。指導する側の立場で訪れた地で、すっかり逆に教わることの連続。何もできないまま現地の人間に支えられ、ただ前進する仕事にジレンマ。
会社の管理者として最低保持しなければならないレシピその他の機密があっても、常時仕事プライベートに関係なくあらゆる言動、一字一句、一挙一動が監視され弄られているような環境下にある矛盾と混乱。
渡中前に、パソコンメールや電話など通信関連の内容の傍受検閲がある事は聞いていたし、政治方面への言論注意なども。だが、実際は国防安全管理とも飲食業という生業のノウハウ搾取とも関係のないレベルまで、個人情報の集積と晒しの繰り返しが日常。理解不能、精神疲労の蓄積と崩壊。2年で退社。
その後苦しみは続くも、人の縁から上海に新たな飲食店での職を得る。
中国上海人と日本中京人オーナーによる店で、前職の流れもあり、ずいぶん守られ気遣いをいただいた仕事であったが、根本的に繰り返される事象は同じ。日本人、民主国家から出てきた者には受け入れ難い不条理、理不尽。頑張っている中国人スタッフを横目に、再び機能不全な自分、2年で退社。
もともと自信を持って、喜びを持ってやってきた飲食業の道、帰国し日本で再就職するも、情報の囲い込み、今度は日本で日本人によって、日本語をもって中国で受けた不条理と同じような嫌がらせを受けることにショックを受ける。それは異国、条件の違う環境でも受け入れ難かった不可解と集団ストーキングを日本で味わう衝撃。不安定な精神に追い討ちをかけ、この世界に行き場を、そして生き場を失ったような体験。八方塞がりの中、あろうことか逆発想で中国の問題の渦に立ち戻り、2度の無念を晴らすべきだという考えに至る。
日本でいつか自分の店を持つのだと目標はあったが、まさかの中国で自分の名義での会社設立と小さな居酒屋の出店という快挙?暴挙?に出る。小さくても外国人名義の個人営業は認められないので、微小外資企業を設立してしまう。
中国で参加した会社組織における仕事の違和感、他オーナーの経営下での仕事の違和感。 自身の事業では何が起きるのかはわからないが、意地。
続くならば、最期は遺灰を揚子江にでも撒いてもらうか、上海蟹の餌にでなってしまえという覚悟。
2011年〜 37歳
中国江蘇省常州市に、常州貴大風天餐飲有限公司(外資有限会社)を設立。
マイクロ企業と言われるもので、経営、やってる事は限りなく個人店。
常州新北区にて居酒屋風天を開業。登記で株主、取締役としてのポジションにあるが、毎日の営業は従業員を従えながらも自らカウンターに立ち包丁を握るオーナーシェフのスタンス。
開店当初、日系企業の駐在員や、出張者の応援を受け、賑やかなスタート。彼らの現地従業員を連れての交流の場としても人気を博す事に成功。順調に成績を伸ばす。
2014年−15年あたりが営業ピークで、次第に外国企業の新規進出も減っていき、すでにある企業も現地スタッフへ仕事が引き継がれ日本人駐在員、出張者が減少する。店の営業は逆に中国人客が増えることとなり安定。その後、市場としては、中国人による日本食店の出店が続き淘汰から飽和へ向かっていくが、多店舗展開よりも落ち着いた品良いスタイルへのシフトを目指していたので心配はしていなかった。
同じ国、前歴と変わらず不条理、理不尽は続くのだが酒を浴びるように飲んでは紛らわす日々。年2回は大型連休を作り、一つは日本へ帰省、一つは中国国内の旅行に出るなど、自由度を確保した生活が送れたことは救いであったか。
2020年〜 46歳
コロナウィルス問題の発生、少数化していた従業員も春節(旧正月)で外地に帰省しており、高速道路の封鎖なども起こる。未知なる問題を前に従業員にはそのまま戻らぬよう通知。以後、自分一人でカウンター8席のみの営業を行う。仕入れ、仕込み、調理、予約対応、皿洗いに清掃、会計事務や役所まわり他、雑務一切。日本で商売していたなら普通にワンオペで有り得る仕事。苦労と取るより、逆に基本に帰るようで楽しく感じたりもする。
幸い、コロナ禍において感染者は少なめな常州市、たまに近所のマンション区域閉鎖、市場の閉鎖、などが発生したがその都度要求される対策を講じていれば飲食店は営業が可能であった。
日本人料理人の一人仕事、居酒屋ではあるが仕入と内容を向上させ単価を倍以上に引き上げることで、事業存続と生活を可能にできた。日本でも遠くから訪れて商売をしている中国人の中華屋であったり、インド人によるカレー屋であったり、人知れぬ苦労の中ネイティブな味を提供してくれる人たちがいる、自分も中国でそうなれると信じて現場に立つ道を貫いた。
技術者として多くの弟子を指導すること、或いは事業主として多くの雇用を創りより大きな事にチャレンジしていくことが重要視される土地において。
実際、コロナ禍で外食に出かける事を多少は控える風潮にある中、私がワンオペを開始してからはひっきりなしに予約の電話が鳴り始める。コロナ前に従業員を従えていても閑散とする日が出始めていたのに、よほど外国人の奮闘劇が好きなのだろうか。なんだかんだ言うても、本当に困難な時こそ良い仕事をしようとする者を応援し救おうとする温かい国なんだと思えたのは一時。
ワンオペで人数を回す営業ができることを証明してしまうと、あからさまに客足は減り、空き時間たっぷりの来客、しかも今度はゆったりと食事し2組入れば1日の売り上げを作ってしまえるような高級消費客へと変化。料理の提供速度を加減し
ながら、目の前で食事のペースを見て一皿一皿を作る。電話での予約を制限し、これをスタンダードにし得るかと思いきや、予約制限に拒否反応、裏をかかれて少ない人数で受け入れる予約の客が、一杯の茶漬け、茶漬け、茶漬け、一杯のラーメン、ラーメン、ラーメンだけと言う嫌がらせ。仕組まれている。。。
策があるなら、それに対策はある。一杯5000円の超高級茶漬けを作るか、超高級ラーメンを作るか?1回はそのスペシャルなメニューに対価を払ってくれる可能性を持つ国、しかし一度披露すれば出来の良いものでも直ぐに終了の予測は立つ。あらゆる成功パターンは、直ぐに他に伝達、模倣と淘汰、他のパターンを作らせるためにその成功は無効化される。
無形化した営業パターン、ビジネス崩壊。
自分の店であっても、どこからか盗撮され仕事を操られる、営業成績すらコントロールされている。かつては言語の曖昧なニュアンスや、従業員など周囲のわけわからん発言に振り回され惑わされてきたが、一人仕事の時間が思考を明晰にする。
人権は常に侵されているし、正式な登記と納税をもって行っている商行為、商業の権利も常に侵されている。
どうなるか先の見えないコロナ禍、テナント料丸投げで1年、心身の調整として休業。浴びるほど飲み続けた酒も、1年間完全に断つことに成功。その損失に見合うかどうか、だが確実に必要であった休息。
改めてワンオペの再開。と思いきや2021年夏。突然の通知と共に、店の所在する漢江路と言う商業街一帯を、市政府の支出で20億円くらいかけて大規模な改修工事するという。その要求により、まだ交換から間もない店頭の電動シャッターの取り外し。政府監督下の施工業者による店舗の入り口の工事と鍵交換。商業街は美しく姿を変えたが、3ヶ月の大改修以降、鍵交換からは頻繁に店の食材や酒、調味料などが荒らされることの連続。不法侵入者アリ。
まずは自分の体調や味覚を疑うが、一人仕事、はっきりと自分の整えたものがどのような仕事かは確認できる。
20年関わった中国での日本食を提供する仕事。 物流も発達し、扱われる輸入商材の選択肢も豊富になるばかり。それでも偽商品、異質な商品は一行の無くなりはしない。もはや、本物と全く同じパッケージに異質なものが入っているレベル。運送代、倉庫費用、業者の利益、関税、日本よりはるかに高価になって届くそれらが使えなかった時のダメージ。返品、交換ができるもの、客に出せず自己消費とするもの、廃棄せざるを得ないもの。
仕入れ購入後に開封してチェックして、やっとまともに自分の味を調合できる。仕上がりをチェックして保管するも翌日には、原調味料が偽物と入れ替えられている、調合したものにも塩や、砂糖が添加されている、完全な仕込みができたと思える時ほど翌日には何かが台無しにされている。
ある日の事、カツオを効かせた造り醤油なども常備していたが、醤油差しに用意し毎日冷蔵管理している醤油に異常。予約してすでにカウンターに座っているお客様1組。オーダー頂いて調理開始、刺身を切り始める前にまず醤油を加熱、カツオ節を入れて、金属(ステン)容器に少量分けて冷凍庫にて緊急冷却しながら他の調理にかかる。時間的には5分で追いつく話だが、その都度ソース類を作る?居酒屋とはいえ自分で作る調味料が多い店、かえし、ポン酢、ステーキだれ、ドレッシング、その他 etc…味の熟成やスムーズなオペレーションの為に仕込んであるものが、毎日何を仕組まれるかわからない恐怖。
考えてみて欲しい、その不法侵入者によってもたらされる添加物、材料の入れ替え、加えたものは食品ですか? 偽酒、偽調味料、それらの真贋チェックだけでも戦いやのに、その後又起きる問題。これ口に含んで安全ですか?
例えば、医者だったらどうだろう、契約業者から仕入れた薬、注射、安全が担保されたものを用意している、侵入者にいじられた形跡が見つかれば医療行為はできないでしょう。注射一本一本、毎日毎日、まず開封して自分に刺して異常が出ない事をチェックしてその場で患者に打ちますか?
当然、警察にも通報、かなりの頻度、何回かは疑心暗鬼のために不確かな件も報じたかもしれない、ただ確実に起きる問題をそのままに出来ない。しかし物の破壊、盗難ではなく、入れ替えだったり置き土産に何か添加してって逆にモノ増えてないかという話。
お巡りさん来ても『味のことはわからんし、盗難カメラに侵入者を撮るなどしないと我々は動かん』とおっしゃる。もともと上海のSECOMを5年、その後そこから派生した会社との安全警報契約をして営業してた5年、計10年を経て、
・その間にも小さな問題はあったが証拠を一度も抑えることができなかった事
・店が街で多少は名の通る存在になった事
・私自身が街の治安に対しての信用を持ち始めた事
などを理由に警報契約を解除したのだがこの始末。自前でカメラを設置、スマホで移動中や自宅でもチェックできるようにするが、暫くして問題がある時点の記録を見ようとするとそこからカメラが故障してるとか、電話線が切れてるとか、Wifiが途絶えてるとか。問題対策が新たな問題を招く展開。 毎日新しいカメラを買え?
毎日設定し直し?そんなん無理やん。
幾度も通報してると、狼少年化してるようにも思える。お巡りさん来るの遅くなるし。本来最寄りの派出所に電話が早いのだが、なかなか来ないからわざと管轄範囲が広くなる110を掛け直してせっつかせる。
『一つ、二つカメラをつけるから壊される、十数個設置すれば壊す姿を他のカメラが捉えると思うでー』警官の言葉。
ーーーWifi 信号切られたら100個のカメラもまとめて死ぬやんーーー心の声
『個人でお手上げやから何度も通報しとんねん、プロやったら頭使って下さいよ』
通報時点で、すでにその日の営業を放棄し、キレていた私の失礼な一言。
『日本の警察やったらどないする?俺らがあかんのやったら日本から警察連れてこいや!』相手もキレて大概の言葉を返してくる。
人通り多い夜の商業街、店先で何をやっているのか。 もちろん中国語の戦い。
警官の立ち合いで商業街の管理室で街頭カメラ記録を数日分見せてもらったり、毎日閉店から店に泊まり込み、明け方太陽が昇り、清掃人や通勤人が歩き始めてから帰宅することを1ヶ月続けたりもした。スマホや電子機器、外国人なんてGPSで何処いても把握されてるはずだが、その生業や財産は守られないらしい。
私の所在を把握できる者が白昼に堂々と侵入することもあるようだ。情報を持つ側の者、管理してるフリする者達の犯行。仕込んだところをタイムリーにピンポイントで邪魔するあたりは、飲食業に精通する者、日本食も理解ある者達の犯行と思われる。
行政? 暗黒料理会? 近所の同業者や個人の悪戯レベルではない。警察も情報あるはずだが。。。
ある日の朝、事情聴取のために訪れた派出所で、他の警官達が私が寸前まで店で一人仕込みをしていた魚の話題をしながら通り過ぎる、誰も目を合わさない。しかし、話している内容は誰も知らないはずの私の店の冷蔵庫の中の魚の話!空耳?いや、こういう国というのが正解か。
そしてまたとある日のお客様。その時の1組目、まだ何の料理も提供していないのに、”甘いの塩っぱいの”、その日に起こり得る、仕組まれている問題を既に知っているかのような会話を交わし始めている。それ以後、すべての客を共犯者として見てしまい、自分自身、もてなす者の面持ちを整えることができない。
毎日が何から何まで仕組まれた出来レースの様子、インチキの見本市を繰り返す様子。多少の困難に遭っても、何かしらの貢献、伝えることがあるはず、何処かに意味があるはずだと勝手に頑張ってきたが。。。 これまでか。
アパート近くの通りにはでっかい横断幕。
” 国家の秘密を守るは、私たち人民の義務である!”。分かってはいたけど、そんなん外国人に見えるとこにわざわざ張るかね。20年の中、初めてみるスローガン。文字でみる衝撃。
友人、仲間になろうとも、惚れて恋仲になろうとも、結ばれ家族になろうとも、決して外国人には語られぬ壁がある、日本人が知るべき中国。個人の感情ではなく、一度上から令が下ればそのように。
2023年1月 49歳 居酒屋 風天 営業終了
正月、数々のネガティブの蓄積。そして一部の登記ライセンス期限到達を以て継続を断念することを決意。
流石にライセンス更新の為に、再び投資、店舗のリニューアル、従業員の雇い直しなどは考えられず、直ちに廃業準備にかかる。ローカルの会計コンサルを使うとスムーズだというので資料を揃え申請に。 12年に及ぶ企業税、私の個人所得税と社会保険、年金の完納を終え、納税証明を以て廃業を申請。
ライセンスのキャンセル認可を待つ間、自動車を譲渡する段取りをつけてから、ビザの延長タイミングを縫うようなドライブ旅に出る。勿論、店舗の譲渡も。
最後の最後も一人仕事。
2023年5月 常州貴大風天餐飲有限公司 廃業完了
納税完了の書類が揃い申請を出したのは3月、申請は約2ヶ月半で通過、無事に通知書を受け取る。 アパートをひき払い、 同25日 日本に帰国。
経歴 以上
noteを始めるきっかけ
中国に仕事で関わり始めたのは2003年、その後2010年に常州に行きつき自分の事業に挑戦。そのスタートあたりから記録を作り、異国からブログを発信しようとFC2に書き始めたところ、中国のネット規制が厳しくなり中国から海外(日本を含む)のネットへ接続できなくなる。 VPNを使えば海外の検索やメールも使えるのだが、日本に母体を持たない事業、メール使用も少なくそのままに。
LINEも既に使っていたが、その切断からストップ。日本で皆が使い始める頃には、アカウントも消えたまま。
PC使用で起こるトラブルも多く、しばらく開かないファイルから保存資料や個人的な写真、小創作品が消え失せたり、パスワード異常が繰り返される事にウンザリし、広告やメニュー制作、簡単な売上の処理、給与計算以外はPCにほとんど触らない日々。幸い東南アジアあたりを介した衛星信号で日本のテレビ、地上波全てを見ることができるサービスが有り(有料)、店舗、自宅で毎日リアルタイム(秒差)で見ていたし、検索は自己研鑽のために中国サイトを中文で使用していた。
今回、本人の意図しない帰国に至るが、いざ日本に帰ってきて私の珍しい経歴はさしおいても、海外転出になっていた戸籍記録、日本での長期納税記録無し、坊主頭に髭っ面。 あかん。何もあらへん!
条件的には、出所したての、反社◯の人に見えるやん。というわけで人生の記録の緊急公開が必要になったわけで。。。
アーカイブを発信するための媒体選びに迷い、noteを発見。
noteで見たのは、クリエィティブな人達による爽やかで心地よい文面の数々。
他人を弄ったり、煽るような発信に溢れる昨今、自分の大切にしているものに集中して発表している柔らかな記事が多いことに感心。
noteでしたいこと
中国常州で開業の頃、手にあったのは確か i-phone3。時代的には3Gから4Gへの過渡期でしょうか、写真を多く撮り始め、足りない中国語能力を補うように画像を示しての交渉ごとに頻繁に活用していきました。
私は、中国のSNS, We Chat / 微信(ウェイシン)で” kidai 001 ”というアカウントを2012年から使っています。毎日のように撮り続けた写真と投稿の記録が有ります。それ以前のデジカメ写真、携帯の写真はPCから奪われたままなのですが、2010年からの写真は、完全では無いまでも、このSNSのアーカイブから抽出し直す形でほぼ取り戻せたように思います。
それらの投稿を自分で、日本の人の目に届くようこのnoteにセルフカバー的な記事で上げていこうという次第。
なぜ、初回の自己紹介にこんな超長文のネガティブばかりの経歴を書いたのか
今後、私がここに投稿していく、多くの中国に関する記事はかなりポジティブなものばかりになるかも知れません。
絶えず自分を鼓舞し作り続けた、仕事としての料理、趣味としての料理、生活のアーカイブ、かつては日本がリスペクトして学んだ漢字の国の素晴らしい文化の一端、豊かな中華食文化の一端、旅の景色。。。
ただ、料理して、酒飲んで、旅をする。そんなことの繰り返しが人の目には羨ましく見えるかも知れません。良い面ばかりが連なって、間違った中国プロパガンダとならないように敢えて、リアルなネガティブも先に伝えようと思いました。
日本に帰国して、ますます増えている外国人を見かけます。彼らを扱う言語、国籍、血統などで括ってどうこうと言うべきではないと思います。国際化は当然進むべき道、ですが日本人の知らないルールを持ち込んで平気で人の権利を奪う行為が横行しています。日本がゆるゆる無防備に国際化を進める中、日本人が日本で情報差別を受け、学業、就業などの場面でインチキやチートに囲まれている様子。日本人同士もおかしなことが増えていますが。。。
その人、個人の善悪とは関係ない、国からの縛り、責務を持ってる人達を多く招いてしまっている事実を皆が知るべきです。対応できるルールを作り、相手が己を知るように己も相手を知っている、その対等な条件下で交流ができる国にすべきです。
教育ではなく洗脳、管理ではなく支配、そう感じる社会があります。
クリエイティブな発想を奪うハッキングや付き纏いもあります。何かアクションを起こそうにも、とっかかりから人に覗かれ干渉を受ける環境では常にネタバレする感覚がモチベーションと創造発想を壊します。 良いモノ、便利なモノがより早く共有され拡散される時代ですが、公開するモノとしないモノの分別は必要。どんなことも情報となる時代、守られるべきプライベート領域は変わらないはず。
そういったことに、実名をもって警鐘を鳴らしながら、後半の人生がささやかなクリエーティブさを取り戻すように記事を起こそうと思います。
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