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魅力や価値を受け取るために、今の僕が行き着いたところ

『自分の魅力や価値を受け取る』

これは師事している根本裕幸カウンセラーが、お弟子講座中に何度も何度も言っている言葉の一つだ。

みなさんは自分の魅力や価値をしっかり受け取れているでしょうか?

どうも、心理カウンセラーのフミです。

最近ようやく、自分の魅力や価値を受け取れるようになってきました。ずっと受け取ることができなかった僕に、最近どんな心の変化があったのか。今日はそのことについて少し書いてみました。


なにも受け取れない自分

心理学講座を一緒に受講している同期たちが、僕の魅力や価値についてたくさんのことを伝えてくれます。みんなにはとても感謝していて、僕を嬉しい気持ちにさせてくれます。

でも実は講座が始まった当初、自分の魅力や価値を全く受け取れない僕がいたんです。

同期:フミくん男子なのにすごい共感力あるよね〜
僕:(かもなー。わからんでもないけど…)

同期:その感受性が豊かなとこ、他の男子にはない良い部分だよ
僕:(うーん、まぁ確かにそうっちゃそうだけど…)

同期:すごい行動力あるし、男らしい所も全然あるよね
僕:(いやいやもっと行動してる超人なんてたくさんいますから…)

同期:ブログ読んで泣きました。表現力豊かで、めっちゃ読みやすかった〜
僕:(え?もうやめてください。それ僕じゃないでしょ?人違いじゃないの?)

※()内は心の声ね

いろんな褒め言葉を素直に受け取れず、躊躇して、拒否する。受け取るなんてとてもできない、恥ずかしい。適当な相槌を打ちながら、心の中では「はいはい」と受け取らずにいました。(※同期のみんな本当にごめんなさい🙏)

良くないですよね。

もちろん表面的には「え〜、ありがとうございます!」とは言っていたものの、そこにはいるのは受け取れない自分。なかなか言ってもらえない自分の魅力を、自分のこととして受け取れない。いや、たまには受け取ろうぜ!となる自分もいたけど、頑固として受け取らない自分がすぐに出てきて、”いつもの作業”みたいな感じで、右から左へ受け流していました。

相手の立場を考えたとき

みんな一体どんな思いで魅力を伝えてきてくれるのか。(こんな失礼なことを書いておいて)今更ながら、相手の立場を考えてみました。少し想像してみたんです。

例えば、僕の文章力を評価してくれた人。

当然、僕の記事を読んでくれての評価だと思っています。きっとその人だって毎日仕事をされていて、仕事以外のプライベートでも忙しい日々を送っているはず。そんな方が時間を割いて僕の記事を読んでくれる。文章を読んで、良かった部分や感じたことを言語化し、それを魅力として伝えてくれる。発見や気づき含めた感想文を、わざわざDMで送ってくれる人もいたりした。たくさんの魅力を、たくさんの人が伝えてくれました。

って考えてみると、これって結構なエネルギーを使う事だと思ったんですよね。それぐらいのエネルギーを使って僕に伝えてくれた。大人になって、こんな機会はなかなかない。こんなに光栄で嬉しいことは、そうあることではない。

それなのに僕は、受け取らなかった。受け取れなかった。

いつも仕事やプライベートでのシーンにおいては、

「いや〜僕、全然文章力ないんで書けないですよ。すいません」とか、
「僕ほど文章力のない人間はいませんから。他の人に頼んでください」

なんて言っていました。

最近、職場でいつものようにこの言葉が出てきた時、チラッと自分に嫌気がさしたんです。どういうことかというと、あれほどいろんな人が褒めてくれたのに、全て何もなかったかのように処理している自分がいる。あれほど嬉しいたくさんの言葉を、他人事かのようにバッサリ切り落としている自分がいる。何一つ受け取れてないじゃないか。そんな自分に気がついたんです。すごく強い自己嫌悪に陥ってしまいました。

「結局俺って、誰も信用してないんじゃね?」

どうしてなんだろう。

魅力を伝えてくれる人があんなに大勢いるのにさ。貴重な時間を割いてでも、伝えてきてくれた人がいるのに、なぜ。どうして一瞬で簡単に切り捨てるの?なかった事にするの?他人事のように扱うの?自分を守るため?

理由はなんとなくわかっていました。

僕の中にある得体の知れない、自分の魅力や価値を受け取ってはダメだ!というフィルターのせいで、受け取ることをブロックしていたことを。受け取ってしまうとで他人から攻撃されたり、自分が自分でなくなってしまい、心のバランスが崩壊してしまう。受け取ってしまうことで、いろんな不安や恐れが湧いてくる。そんなシステムが、僕の心にずっと設定されてあったから。

一方で、この受け取らないようにしてきた心の壁のおかげで、僕はこれまでの人生を生き抜いてこれたのも事実。今になってそれを簡単にぶち壊して、すんなりと魅力や価値を「さぁ、受け取りましょう」なんてすることは、容易なことじゃなかった。それはわかっていました。だから僕の魅力や価値を伝えてくれた人には一言「ごめんね」、と毎回心の中で謝っていたのです。

原因は結局のところ自分

とは言え、です。

とは言え、魅力を受け取らないことは、伝えてくれた人に対してとても失礼じゃないのか。もっと言うと、受け取らないことでその人たちを傷つけ、否定する事にも繋がるんじゃないか。裏切り行為をしているのではないか。そんな風に思えてきたんです。それに、もし逆に自分がそうされたらって考えた時、「それはねぇよな」と思ったんです。

もっと相手を信じて魅力をしっかり受け取ろう、素直に、丁寧に受け取ろう。そういう意識を持ち始めたとき、一つの疑問が浮かび上がってきました。

「相手を信じてないから受け取れないのだろうか?」

じゃあその人が信用ある人であれば、有名な人であれば、ちゃんと自分も納得した上で魅力を受け取れるのか。そんな人って一体誰なんだ?誰に言われたら、僕は信じることができるのか。

相手がどんな人であれ「これがあなたの魅力だよ」って言われたところで、もし自分が否定したら、結果はまた一緒になるんじゃないか。結局自分が受け取るかどうかなんてのは、相手は関係ないんじゃないか。相手じゃなくて、これは自分自身の問題なのか。

自分なんだ。

気づいたんです。誰であろうと魅力を伝えてくれる”相手”は関係ないんです。その”相手(が言ったこと)を信じている自分”をどれだけ信じられるかどうか。全てはここにかかってくるのかなと思ったんです。

信じないといけないのは相手なんだと、そこばっかりを思っていたけど、本当はそうじゃなんだなと。最後は自分。自分を信じているかということ。これができるかどうかで、自分の魅力や価値を受け取る・受け取らないが決まってくる。

僕はここに辿り着いたのです。

受け取れるようになってきた今

「よし!もう完全に受け取れる」とまではいかないけど、受け取れることができるようになってきた今の自分。

そんな僕が、以前よりも少しづつ変化してきた部分がありました。それは、自信がついてきたこと。それも無条件の自信、というのかな。無理しない自然な自分を、まるッとそのまま信じられること。「背伸びした、肩書きや条件の付いた自分への自信ではない」というところが最も言いたいところ。

そして、魅力や価値を受け取るにつれて、いろんなことへチャレンジしたい気持ちとか、何か一歩を踏み出せる勇気みたいなものも感じ始めていて、人生を前向きに捉えられるようになってきたんですよね。

あと、”可能性”とか”希望”という言葉を、これまでよりも身近に感じられるようになった気もするんです。魅力とか価値を受け取れてなかった頃の僕は、これらの言葉に妙な胡散臭さを感じていました。だって自分には一切の魅力なんてないんだから、そりゃ可能性とか、自分はこうなりたいんだ!なんていう希望とかが全然イメージできなかったんです。そもそもの話で、魅力なんて何一つない自分で生きていくことが前提になっていたからです。

だから今こうやって少しづつ受け取れるようになってきた自分が、改めて人生を振り返ってみると、すごく納得できる部分がありました。


自分の魅力や価値を受け取る。

人によっては生涯ずっと受け取れない人だっているかもしれない。けど魅力や価値を受け取って、それを活かした人生にした方が絶対に楽しいし、豊かになるに決まっている。

僕の魅力が発揮されることを、どこかで誰かが待っている。
僕の価値を感じてくれる誰かが、この世界には絶対にいる。

自分を信じられなくなった時。それは自分だけでなく、人の魅力や価値も見れなくなっている時なのかもしれません。

心理カウンセラー フミ

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