会話泥棒
最近人と会話する上ですごく意識していることがありまして、今日はそれを書いてみたいと思います。
心理カウンセラーのフミでございます。
どうもです。
意識していること。それは『聴くこと』です。
聞くのではなくて聴く、です。厳密には事実ではなく感情や気持ちを聴くということです。
いきなりですが例え話を。まずはこちらをご覧ください。
<シチュエーション その①>
前々から気になっていたカフェに行ってみたあなた。そこで飲んだアイスカフェラテが衝撃的に美味しくて感動し、その時の感動を友達のAさんに伝えようとした時。
<シチュエーション その②>
お酒はずっとビール派だったのに数週間前からノンアルコールビールを飲み始めて、気づけばハマってしまっているあなた。ノンアルを飲み続けていたら知らないうちに体調やメンタルが安定してきた上に、最近は家族との関係性も良くなってきた、ということを友達のBさんに伝えようとした時。
架空の話ですが、こういう会話って結構身の回りでよく起きてません?という話です。
会話を始める前、あなたは
・アイスカフェラテを飲んだ時の衝撃的な美味しさ、感動を共有したい
・ノンアルに変えたら体調もメンタルも、家族との関係性まで良くなってきた驚きや嬉しさを知ってもらいたい
という感情や気持ちを聴いて欲しかっただけ。
でも話を始めてみると、インスタでバズっているコーヒーフロートの話だったり、フォロワーが爆増した話になったり、最後にはイケメン店員の話にすり替わっていたり。
ノンアルコールビールを飲んでも結局は普通のビールに戻ってしまった自分の体験を、勝手に投影して押し付けられたり。共感してもらえたのは「わかったよ。わかった」という箇所だけで、それよりも気になっているクラフトビール屋さんへあなたを誘うという始末。
これ、どちらのケースも相手があなたの話に被せてきてますよね?
あなたが話を聴いてあげている状況ですよね?
AさんもBさんも聞いているけど聴いてない。
気づけば相手(AさんとBさん)が会話を奪っていて、話を聴いてもらっている。会話が終わったとき、受け入れてもらって気持ちよくなっているのはAさんとBさん。あなたではない。
だからあなたの心には聴いてほしかった感情や気持ちが放置されたままで、違和感だけが残りますよね?全然スッキリしない気分になるんじゃないでしょうか。
おまけに聞いてもいないことをベラベラ話され、相手だけが気持ちよく話しているのを見ていると嫌悪感や不公平感、どうしてこの人に話してしまったのかという後悔まで感じていたりするかもしれません。
もちろんこれは時と場合にもよるし、職場での上下関係や、何かを決めたりする重要な場面では感情よりも大切なことはあります。
にしても、です。
このような方は聴いているようで全然聴いていない。相手(の気持ち)を受け入れようとしていないし、意識が自分にばかり向いている気がするんです。他人の気持ちへのリスペクトは皆無で、見方によっては気持ちを否定したように取り扱い、傷つけているとも見れるのかなぁなんて思うんです。
それほど聴くことって、めちゃくちゃ大事なのかなと思うわけなんです。
聴かない人は意外にも多い?
会話泥棒とでもいうのでしょうか。
いつしか話を奪っている人。
私が、俺が、の人。
カウンセラー活動し始めてみて、この聴くという作業をものすごく意識するようになりました。日常生活の中で。これはもう職業病なのかもしれませんね。
そう意識が変わったからか、こういった「聴かない人」をあらゆるところで見かけるようになったんです。
お構いなしに話を被せて内容をジャッジしたり、自分の体験談を投影したり、正誤善悪的な視点からでしか見れなかったり。最後まで聴こうとしない。そんな姿勢が伺えます。
要するに『人の話を聴いてない人って、意外と多いよな』と思うんです。
事実は聞いているんだけど、感情や気持ちの部分が置いてけぼりにされているんです。スルーしているというか、そもそも「そんなとこ聞いてどうすんの?」なんて合理主義的に考える方もいるんだと思います。
でもこれ、言い換えてみると
『みんな自分の話を聴いてほしい』
ともとれませんかね?
それだけ世の中の人って自分のことを話したがっていて、知ってほしくて、わかってほしいんだなぁと。承認してほしい、受け入れてほしい、すっきりしたいんだろうなぁと。
あ、だからカウンセラーっていう職業が成り立つんだよな!とも思いました。
【話す=放す】ですから、話し(放し)たくなるほど人はたくさんの不安や恐れを感じて抱えながら生きている。それらを手放したいわけです。
自分を大切にし、自分のことで精一杯だから人の話を聴く余裕もないのかもしれません。だから話を被せてしまう人の心境もわからなくもないというか、そこにはきっと何らかの理由があるわけで。そうなって”しまっている”のかもなぁと見ることもできます。そんな視点で過ごしてみると、少し柔らかく人を見ることもできそうですよね。
とはいえ、溜め込むことってやっぱり体には毒なので、ちゃんと吐き出すこと、「吐き出したい」と主張していくこと、主張させてもらえる相手を探すってことは命を繋ぐ大切な作業なのかもしれないですよね。
聴いてくれる人を選ぶ、探しにいく
あと、こうも思うんです。
『話を聴いてあげている相手が、必ずしも自分の話を聴いてくれるとは限らない』ということ。
これは僕自身が体験しました。
相手の話を聴いている最中に「あー、今すごいこの人の話を聴いてあげてる。この話題が終わったら、自分のことも話してみよう」と密かに思っていました。
相手が一通り話終わったところで僕が話し始めてみると、まぁその相手が話を被せてくるわ、話題を盗んでいくわ、何も受け取ってくれないわで大変でした。
で、ハッとさせられたんですよね。次は自分が聴いてもらえると勝手に期待していたんです。隠れた依存心が見えた瞬間でした。
だからこの依存心が傷つく前に「自分の話を聴いてくれるのはこの人ではないんだ」と気づき、話をとっとと切り上げてその場を去りました。危なかったです。怒りが込み上げてきそうになって。
その相手に話を聴いてもらうとすればするほど執着してしまい、自分もイライラしてきます。相手をコントロールしようとする前に気づく、一歩引く。そこの見極めが結果的に自分の心を守ることに繋がるのかもしれません。
あなたの気持ちを聴いてくれる人は、目の前で話を聴いてあげている人とは限らないのです。
会話も『与える・受け取る』
要はバランスの問題なんだと思います。
受け入れてあげ、受け入れてもらえる人を探す。この人の話を聴いてあげたいなと思え、自分も聴いてもらいたいなと思える人を。
この”与える・受け取る”ができる人ってやはり信頼されると思うし、周りから頼られたり、サポートしてあげたくなる人だと思うんです。
『人の話を聴く』
単純でシンプルな行動ですが、これがいかに難しくて大事なのかをとても痛感しています。人間関係で信頼を築くためには必要不可欠ですよね。
これからも日々意識して過ごしたいなーなんて思いながら、今日はブログを書いてみました。
こういった気づき、大切にしていきたいです。
心理カウンセラー フミ
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