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年齢問わず、そろそろどんな人とも、友達になれる世の中がいい

年齢括りはもう、いい。


ニュースやバラエティ番組でも未だに「●●さん」と書かれている横に、37歳などの年齢が書かれている。誕生日とかの話ではないのだから、年齢は全く必要ない。

いつまで世代で括るのか

ミレニアル世代だとか、z世代だとか、
昭和、平成、令和世代だとか

やたらと、世代が存在している。年齢の括りと、似ている。令和になる前は昭和vs平成という番組があった。番組の構造とはいえ、vsというのが、そもそも友達になる感じにはならない。


z世代には●●が流行っているというけど、それに興味もない人もいるのだから、括ることはその世代にとっても、ありがたいこととは言えない


もちろん、生まれた時代や環境は、多少は人に影響を及ぼすだろう。だから、大まかな傾向はあるかもしれない。世代と言われてしまうと、距離感が凄い。そろそろ集団じゃなくて、個人一人一人を見てほしい。

令和の時代はもっと個人にスポットライトがあたるのだと思っていた。まだ、集団は力を持つのか。

友達と年齢

友達には年齢は関係ない。
しかし、2.3歳差ならいざ知らず、10歳差くらいでも、友達付き合いをしている人は稀だ。男性ならまだいるのかもしれないけれど、女性になるとあまり見かけることがない。

テレビでも、10歳差だと、上の人が「おじさん」とか「おばさん」的なポジョンをしている。
これは別に下の人が望んでいるわけではないけど、その場の空気もある。

親子みたいだ、なんて言われている人もいたけど、10歳差はさすがに親子には見えなかった。

たしかに、大学でも3.4年になると、1年生におばさん扱いをされる。十代にとっての2.3歳の差は、大きいのはわかる。しかし、昔よりも、「おばさん」「おじさん」扱いをされる年齢が早くなっている。

100年、120年生きる世の中で、20そこらで、おじさんやおばさん生活を送るというのは、明らかにバランスが悪い。



そういえば、外国人の友達の誕生日の時に「何歳になったの?」と軽く聞いたら、みんなに変な反応をされた。「年齢は関係あるの」と。普段は年齢を聞かなくても、誕生日くらいは聞くものだと思っていた。確かに、そもそも年齢を聞く必要もない。

「おばさん」という日本語も知られていた。年齢を気にする文化だと、いうことも。女性に冷たい国なんだろ?とかも、言われたことがある。

本当に、変なことばかり、知られている。


その反面、恋人同士なら、主に男性が年上で10歳差だとしても、そうなんだね、くらいの感覚だ。

圧倒的に、世の中には同い年の人が少ないから、大抵は年上か年下だ。少子化もあるので、年上が多い。日本人の平均年齢は48歳くらいだ。
48歳以下でも、おじさんや、おばさんと呼ばれている。というか、それより上の世代にも、そもそも、そう呼ぶ必要があるのか。ほかに言葉がないから、難しいけど。他の言葉が有ればいい。

例えば、女性と呼ばれる時、肉体的な女性なのか、精神的にも女性の思考を持っている人も含まれているのか…
女性、男性、というのもあまり親切ではない言葉だ。


歳が近くないと仲良くなれないということは、自分を追い詰めることのように思える。

同い年だからと言って、気が合うわけじゃない

そういえば、昔働いていた場所で、同い年の子が入ってきた時に、先輩の社員が、
「あら、年齢が同じだし、仲良くなれそうじゃない」なんて言ってきた。
年齢は同じでも、そもそもの性格が合わないから、ほとんど会話をすることもなく、彼女は辞めてしまった。

同い年だと分かった途端に、「わー、珍しい!嬉しいなぁ!」なんて、気さくに話してきた人がいたけど、歳が同じだから、何だというのだろう。私は少し、白けていた。

やっぱり、年齢で括るのは変だ。もっと色んな人と仲良くなりたいのに、話してみたいのに、その入口にすら立てていない。

友達への価値観や多様性

友達になる範囲が狭い人が多いなぁ、と感じている。趣味が同じ人、価値観が合う人。ラインなんかの頻度が合う人。ちょっとでも合わないと、親しくはなれない。その範囲は年齢差も含まれている。
本当にある日突然、連絡が来なくなることが多い。

私も、範囲が広い訳ではないけれど。
外国人とやり取りしていた時に、考えや趣味が合わないし、もう連絡しなくてもいいかな、と、勝手にこちらから連絡を控えていたことがある。

そりゃあ、日本人と合うような考え方の人は稀で、日本には独特の考えや、文化、世界観が多い。例えば、空気を読む、という空気文化。説明がしづらい。

それはわかっているのだが、そうは思っても、噛み合わないこともある。

例えば信仰や、食べるもの、ジェンダー感や、政治的な考え方、日本人に対してどう思っているのか…世界を見渡せば、違う人の方が圧倒的に多い。

自分と合わない考えをどこまで認めて、友人になれるのか。考えが違う人が、いるのはいい。けれど、友人となると、話が少し変わってくる。差別的な人とは友達になるべきなのだろうか?

私にはまだ、こういう人は絶対に嫌だ、という基準が確立されていない。
こんな人がいい、よりもこんな人だけはムリ、の方が、友達になれる範囲が、広い。

例えば恋人なら、殴ってくる人は嫌だ。別に当たり前のことだと思う。まぁ、友達でも、嫌だけど。みなさんはどうなのだろうか、気になる。


相手が、この趣味を好きじゃないから、というくらいの理由で友達になっていない人は、こういう違いを前にするとどうなってしまうのだろう。

ある日、とある外国人の方に連絡を返さなかった。しかし、向こうから何回も連絡があって、びっくりした。しかも一人の出来事ではない。

日本人とやり取りをしている時には、一回返信しなければ、向こうから催促されることもなく、関係性は断ち切れる。

ストーカーみたいに思われるのが怖いのだろう。たしかにそれは会話の全体に漂っていて、当たり障りのない会話しかしない。

私だけなのかもしれないけど、真面目な話をすれば、短文で、そうなんだ、とか、へぇ真面目だね、なんて茶化されたりもする。

難しい話は好かれない。結局、美味しかったものとか、楽しかった旅行とか。誰にでもわかるような、柔らかいお粥を食べるみたいな、噛みごたえのない会話が繰り広げられる。

だから、外国人が、いざ向こうも話す気でやってくると、こんなに長い文章が返ってくるのか、と驚いた。

もしかしたら、年齢もそうだけど、そんな小さなことを考えているだけで、私たちはあんまり会話していない。
喋っていたとしても、喋りたいことだけしか話さない。

会話のハウツー本は、正しいのか

会話のハウツー本は、よく売れる。私も読んだことがある。書いてあることは、どれも似ている。

でも、本によく書いてある、会話の「さしすせそ」とか、相手を褒めてください、とかそういうことは、そんなに大事じゃない。

相手の話をひたすら傾聴しろ、というのもあった。でも、人にただ話を聞いて欲しいんじゃなくて、相手がどう思っているかも、知りたい。私はインタビューされたいわけじゃない。

話しかけるスキルも必要だ。しかし、問題は話しかけた、後なのだ。

話す気力があるか、とか、相手の話をちゃんと聞けるかとか、全否定しないか、とか、そういうことなんじゃないか、と思う。


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