ターゲット層を決めることに感じる違和感
距離感って難しい。
コロナ前の話になる。
良く行くカフェでは店員さんが仲良く、いつもありがとうございます、と常連さんと話している。
私はほぼ毎日のようにカフェに行っていたけれど、そんな感じにはならない。毎回、新規客の一人だ。
馴れ馴れしいのも苦手なので、そんな風にして欲しいわけではない。
顔を知られていても何だか落ち着かないのだが、
こんなに顔を出すのに全く知られていないとしたら、
それはそれで悲しい。
話しかけやすい、かけにくいもあるのかもしれない
街中に立つ怪しげな勧誘?の人に、家族はよく話しかけられている。
私は一回もない。
選挙のビラは公平に配って欲しい
選挙の時の候補者のビラも配らない。
周りにいる他の人には配っていても、私は何故か手を引っ込められる。
別にビラはいらないけど、人を選んで配るのは損している。
夜の仕事のティッシュを貰わないのとは違って、
なんだか一国民として見られていないのか?
とまで思ってしまう。
私は年齢的に選挙に行かないと思われているのだろうか?
人を見て、対応を臨機応変に変えます、主婦の方やお子様など、と言ってバイトに受かった人がいた。
人を見て判断するのもどうなのかと最近思う。
勝手に子供だから、女性だからこれはいらないだろうという忖度が、誰かを傷つけることもある。
その人の外見が子供、大人、男性、女性であっても、
心までそうだとは限らないのに。
地味な話だが、服や雑貨を買いに行くと、何故ピンクや赤を最初に見せられるんだろうなんて思ったこともあった。
最近はテレビ界の、f1層とか20代女性向けの商品、などの年齢やジェンダーといったカテゴリーで売ることも違和感がある。
その中には色んな価値観があるのに、年齢で区切ることに意味があるのだろうか?
ネットフリックスなどの動画も、年齢に関係なく、人気な作品は幅広い世代に見られている。
テレビは広告費の関係上、若い世代に見られるコンテンツ作りが必要になったようだ。
でも、あえて若い世代向けと決めるだけではなくて、誰だって楽しめるようなものもある。
ふと思ったが、例えば恋愛シミュレーション番組で、
様々な世代の方や色んな国の人なら、どう考えるのか、
という番組が見てみたいなぁと思った。
みんなが思っている、の「みんな」って?
例えば不倫した芸能人がマスコミなどで叩かれることがあるけれど、不倫は個人の自由という国もある。
「不倫は駄目」などの考えが、全体にあるというような報道のされ方だけど、
その世代、その人が育った環境、またその人の元々の性格によって、どう思うかも大きく違うだろう。
ネットで批判されています、●●が今話題です、なども、あたかもみんなが、そう思っているみたいに書かれていることが多くて、それは違うのではないかと思う。
色んな人の意見を見てみたい。でも、それを公開しているところがない。ネットの意見もそこにわざわざ載っているものは偏っているし、マスコミも、そんな時がある。
ネットを使えない人の意見は、そもそもそこには反映されていない。
みんなが様々な意見を言えるのが民主主義だと思うけど、なかなか面と向かって、誰かに話す機会はない。
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