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「承認欲求」がないと、思っていたのに、noteの「いいね」で、私も「俗物」だと気づいた話



気合い入れて書いた作品ほど、いいねされない。


なんとなく、とあるコスメサイトで書いた、スキンケアの口コミが、たくさん「いいね」されていた。私は、スキンケアやコスメなど、ほとんど使わなくなったのだけれど、と首をかしげる。


以前は興味関心があったものの、2020のあのウイルスが発生してから、私は「もうちょっとさすがに気にしても良いのでは?」と、思うくらい、メイクをしないのに。


なぜ、こんなにも興味のないことほど「いいね」されるのだろう。その反面「熱を持って」丁寧に書いたもの程、何らの音沙汰もない。


noteなどで、「いいね」されると、何故か「いいねされました!」という、メールが来る。先日、沢山のいいねを貰って、驚いた。


私は、「誰にも、見られてはいない」と、期待をせずに書いている。


それが、その出来事以来「あれ、ちょっとは、見られている?」と感じるようになった。しかし、それは要らぬ期待をさせるだけだった。その後「いいね」が、されないと、「気合い入れて書いたのになぁ…」と、わびしく思うようになった。


テキトーに書いていることはないけれど、「こんな感じで、えいやっ」と、投稿したものが「いいね」されるのだ。

いわゆるそれは、私にとって「面白みもない」し、「読者に媚びているなぁ」という作品だ。


今まで私は、インスタなどに見られる「承認欲求」は持っていない、と思っていた。

「そんなことで、幸せの尺度は決められないよ」


と感じていた。実際、仕事として使っているインスタでの私は、「いつも、楽しそう」である。もちろん、そんなことはなく、気分が良くない時も、「ハッピー感を、醸し出している」


私はいわゆる、「インスタグラマー」ではない。でも、自分を明るく見せているのだ。そう考えると「インスタグラマー」に、同情を隠せない。

その綺麗な撮影のために、一体どれほどの「嫌なこと」が、あったのだろう、と。


外国人と話している時に、「SNSで、友人がみんな、結婚していて幸せそうで、子供もいるからイラつく」という、内容のメッセージを受け取った。その時、「いや、彼女たちも大変だよ」と、なぜか「リア充」を弁護してしまった。

私は、そういう「リア充」ではないのにも、関わらず。


そして、このSNSに嫉妬するのは、「日本人特有」ではない、と知ったのだが。


外国の人でも、「昔から、いじめられていたし、学校は嫌だった」と、言ってくる人は、意外に多い。その文面からは、なんとなく「私だけが、辛い」という旨を感じた。

私もどちらかといえば、その外国人のようにいじめられる側の、学生生活だった。けれど、今になって思うのは、「学生の頃に、輝いて見えたり、優等生である人、友達が多い人」も、「苦しかった」のではないか?と、いうことだ。


そう考えると、私は、過去の「悲惨」な体験に対しても、「あれは、誰も悪くないよ」と、思うことができるのではないか、と思うようになった。

もちろん、私は完全に「過去の嫌な思い出」を消化しきれては、いないのだけれど。



私は以前は、「インスタグラマー」に興味がなかったし、「いいね」を沢山されることや、「承認欲求」に対しての関心がない、と思っていた。


けれど、今までよりも、多い「いいね」がされれば、途端に「いいねなどを気にする、俗物」になるということが判明したのだ。

けれど、「人から好かれる」ために書いた文は、魅力的ではない。だから、私はどうにかして「文章に対して、尖って」いたい。


例え、この文章が読まれなかったとしても。

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