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誰かを、推している人が、羨ましい

誰かに課金したことがない。例えば、テレビを見ていて、あー、カッコいいなぁ、とか、もし男ならこんな顔に生まれたいなぁ(不思議と逆はない)なんて思う。

だからといって、私は彼には課金しない。ネットを見ていると、みんな誰しも、推しがいるみたいな感じで書かれている。実際、どれくらいの人にいるのか、よくわからないけど、いる人が多そうだ。

アイドルより、そのファンがすごい

たまに見かける、どこかのオンラインサロンに入ってる人。自分の顔写真がアイコンだ。この人はこんなに素晴らしい人なんです!って、その顔が言ってる。

その主催者のホームページ。自信満々そうな人が、いかにも覇王のようなオーラで(女性であっても)写っている。

俺のこの姿を、お前の網膜に焼き尽くせ!自信に満ち溢れていて、いわゆるカリスマという感じ。たまにいるのだ、どこからその自信が出てきたのか、という人。

別に、特定の誰かを言っているわけではない。

だけど、私はその人より、そのファンって、すげぇなって思う。私の発想にはないから。

女性アイドルの名前が覚えられない

現実主義なのだ。最近は、冷静に女性アイドルを見ても、可愛いなぁ、と思えるようになった。昔なら、女らしさというものを、女性アイドルを見た人が、異性に求めるようになるのではないか、ということに対する懸念があった。

でも、今なら、そういう人は、スルーすればいい、とわかった。なぜだか、彼女たちは、みんな同じ顔に見えて、覚えられないのだが、可愛いことはわかる。母に、何回も名前を尋ねてしまうので、本当に申し訳ない。

彼女は、人の顔をすぐに覚えられるみたい。でも、私は、ちょっとでも違うメイクをしてたら、わからなくなる。関係ないが、フワちゃんは、すぐわかるから、ありがたい。

推しがいなくても、推しグラスを作りたい

最近、推しグラスというものを知った。推しの名前を透明なグラス(コップ)に貼るらしい。見た瞬間に、楽しそう!と思ったけど、次には、誰の名前を書くのかわからなくなった。いないので、自分の名前でいくか!?と思った。それは、狂気の沙汰に思えたので、やめた。

彼とか、彼女だけを見てればいいのは、楽しそうだ。嫌なことがあっても、そこに推しがいるのだから。

昔なら恋人の名前を書いていたのが、今は推しに変わっただけなのかもしれない。

お金をたくさん稼いで、推しに使う、と推し活の本を見て、そんな生き方も悪くないな、と思う。潔いから。でも、どうやって推す人を見つけるのだろう。

地下アイドルとの、会話

以前、仕事の関係で、地下アイドルかモデルかなにかの人に会ったことがある。その仕事に興味をもったため、色々な質問を投げた。彼は自分に興味を持ったと思ったらしく、「撮影会、来ますか?」と言う。

どんなものか、インタビューがてら(?)遠目に見物してみようか、と思っていたら、撮影に参加したいと思ったようで、「2時間●●円」です、なんて爽やかそうな営業スマイルで言った。

別にそんなにカッコよくねぇのに、私の方がイケメンだわ、と本音が滑り出てきそうになる。AIの顔診断で、男性版では、山下智久って出てきたからな。女性版は、忘れたけど。とか、どーでもいいことが、脳裏でうごめく。

彼女とか、作れないんすよー」、なんて別に聞いてもいないのに、彼は言っていた。私はそれが、地下アイドルとしての嘘なのか、彼女はいないけどセフレが多いのかただ単に自分しか好きじゃないのか、はたまた欲しいけど、モテないのか、私が彼女になれるとか誤解させたくないから言ったのか、よくわからなかった。 

シャーロックホームズなみに、推理した結果、自分が好き、というのが一番の候補になった。


自分だけ好きな人

アイドルみたいな人の中には、愛されているけど、誰も愛していなそうな表情の人がいる。彼もそんな感じだった。まぁ、主観なので、実際は知らないけど。なんか、冷たい感じ。

そういう人を見ると、私と似てるなぁ、と思うけど、似ているからか、好きにはなれない。自分だけのことを好きな期間を超えて、他者のために何かを与えるという、発想がないように見えるからだ。私は、最近になって、やっとそういう考えの大切さに気づけた。

自分だけが、なんていう利己的な考え。イケメン(美人でもそう)であることの喜びを享受するところから、視点を外に向けることなのかもしれない。稲盛和夫の「生き方」という本にも、感銘を受けた。

愛される人と愛されない人

暇な時、ネットでホストの顔写真を見ていた。まぁ、暇すぎた。見て思ったのは、正直、顔だけで選ぶのは難しそう、ということ。でも、愛されてる子と愛されてない子みたいに、No.1の人は目立つところに写真があって、売れてなさそうな人は、端にあった。

世の中って、不思議だ。お金も、愛も、上の方でしか、回ってないのか、と思うくらいに。だからかもしれないけど、私は与えることもない。

正直こういう人になりたいし、こういう人を、心底好きになってみたい気持ちもある。一生に一度くらいは、推しの誕生日にケーキを買ったり、ペンライトや、うちわを振ってみたい。でも、誰のうちわにするかが、そもそもわからない。あと、推しが結婚したらどんな気持ちなのか、ということも知りたいなぁ、と思ったりする。

沼に、ハマりかけたのに…

あるアーティストのライブに行ったことがある。初めてのライブだった。握手をするイベントだったのだが、目の前で、その人を見て、意外と普通のおじさんだなぁ、と思ってしまったのだ。一番、思っちゃいけない感想だ。

こうして、沼にハマる機会を失った。別に顔でハマったわけではないけど、想像と違ったのだ。当時、曲を聴きすぎて、飽きていたのもある。一旦、曲の芸術性を、自分の養分にしてしまったら、残りは要らなくなったようで、cdは、売ってしまったし、そもそもグッズは買っていなかった。

推す余裕がない現代

私には、理性が強すぎて、お金を使っちゃいけないよ!という言葉がうるさい。あと、恋人のように、何かしらのリターンが、直接欲しいみたいだ。かといって、恋人に課金もしないけど。

そもそも、誰かを推している余裕がない。特に、今は。推し離れっていうのも、見たけど、自分が生きていくのに、精一杯なのだから仕方がない。昔のパトロンは、お金に余裕がある人だった。今は、お金がなくても、できる。

一番ハマったことがあるのは、とあるキャラクター(ゆるキャラ)。一回買いに行くと、一万円くらい使っていた。今は、全く買わないけど、やっぱり可愛いなとは、思う。

まぁ、これも推しなのかもしれない。






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