なぜ外国のビジネス書には、分厚い良書が、多いのだろう?小手先の日本のビジネス書に思うこと
私は、ビジネス書をよく読むのだが、圧倒的に海外の作品が好きである。
日本のビジネス書は、当たり障りがないか、読者を煽りすぎている文章が多い。
なにより、「時間を長く使う」とか、「出来るビジネスパーソンになるには」などの、「小手先のテクニック」や「卑近なこと」しか載っていない。
余談だが、それを読んでも、何故か私の「1日は48時間」は、ならなかった。
とにかく読みやすい言葉で、同じことばかり繰り返す。そして、とても薄くて「1時間で読めました♪」など、という読者も多い。
翻って、海外のビジネス書は、「教養」を与えてくれる。ただ、とんでもなく分厚い。3cmの本が、上下巻になっているのだ。
そして、「昔の中東やヨーロッパの歴史」などをしばしば語るのだが、自分がそれらの知識がないことに、気付かされる。
日本のビジネス書では、「ああ、なるほどね。それで、リモートワークが、はかどるのね」と思うくらいだが、海外の本の学びは、とてつもない。
「パソコンのアーム」を買って、リモートワークが少しばかり快適になるより、世界の情勢を知って、「外国の人と、会話をする」ほうが魅力的に思う。
海外の本には、「収益を出す経営」などに関する本だけでなく、「我々人類が直面していること」を意識した視座の高さがあるからだ。
海外のビジネス本にも、日本の姿が書かれている。例えばアメリカの本では、「真珠湾」のことが書かれていることが多いのだが…そうした文章から、客観的に「日本」を見ることができる。
もちろん、それが完全に正しいかはわからないけれど、日本のネットやマスコミよりかは、「フラット」に書かれていることが多い。
1行1行タメになることが多いので、「速読」なんてのは、使えそうもないし、長すぎて、挫折しそうにもなる。
日本のビジネス書を読む時、私は作者には失礼だが、何となく飛ばし読みをするし、想像通りの展開の文章が並んでいて、私は横になりながらでも読める。読みやすいので、「離脱するのでは?」という、ためらいもなく買うことも出来る。
それは、日本のビジネス書の魅力だが、その反面私は、「一体、日本人はいつからこんなに、馬鹿になっちまったんだろう」と、感じることもある。
メルカリなどをしていると、「全てがスムーズ」だし、頭なんてほとんど使わない。漫画は、わかりやすいし、ドラマも、説明のナレーションがあるような、丁寧な作りの作品が多い。
ということで、本も、飲み下しやすい内容となっている、のだろうか?
それだけではなく、日本のビジネス書には全員とは思わないが、どこか「この作品を書いて、印税を儲けるぞ!」という、気持ちが伝わってくるものも多い。
とある日本の、ビジネス書の多作家の作品を、読んだ。昔は、とても読者思いだったのに、最近の作品を読んだら、文章を埋めるためか、同じことを繰り返しているだけだった。それが、私はショックだった。
もう少し「日本のビジネス書」も、頑張れるのではないか?、という気持ちを、私は捨ててはいない。
海外のビジネス書は、うっとおしいほどのパッションや「書かなくては、伝えなくては」という、使命感を作品に感じる。だからか、私はなんとなく姿勢を、正して読んでいる。
そして、気がついた。本当に大切な知識は、「わかりやすく」などない、ということに。
昨今の世界情勢を見ても、「そのニュースだけを見た」人には、わからない作りだ。
とてもわかりにくい世の中だ。それでも、それを知ることを諦めてはならない。
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