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ロシア人と話していて、感じた違和感〜戦争について

ずいぶん久々の投稿になる。さっそくだが、本題に移ろう。どうしても、頭がもやもやしてきて、致し方ないので、書く場所もわからないから、noteに書くことにした。

私には、唯一友達がいる。ネットで会話しただけで、会ったことはないけれど。ロシア人の友達で、なんでも本音で話し合えるなぁと思っていた。

しかし最近これは難しいぞ、と感じている。戦争に対する考え方が、あまりにも違うのだ。

テレビやネットでは、ウクライナの人たちのことを中心に報道されている印象で、ロシア人がどんな気持ちで過ごしているのかが伝わってこない。

ロシア人の近況


友人が、ロシア人ということもあるし、聞いてみることにした。他に話していたことがあったけれど、こんなご時世を前にして、以前話していたことは、大層くだらないことに見えたし、浮世離れして映った。本当に能天気極まりない。それは仕方のないことだけれど。

だがここ数日、ロシア人と戦争のことを話していても、何も得るものがない。いや、情報は手に入っている。問題なのは、正直言って会話にならないのだ。一つ質問を返すだけで、西側諸国が悪いとか、アメリカが悪いとか、ロシアは孤立しているんだ!などとすごい熱量の文章が返ってくる。その文章に圧倒されるし、翻訳も努力を要する。

真実とは

愛国心が強くて、少々羨ましくもある。ただ、何故そこまで、一つの見方に固執できるのか、という疑問が残る。ロシア語のニュースまで送ってきて、これは世界で流れていない真実だ!と言う。この情報化社会では、情報が多すぎて、真実が何かなんてわからなくなる。でも、真実は人の数だけあるというし、真実を知りたいわけではないような気もしてくる。無駄に頭を使いたくないような気もしたり、ほかに知るべきことややるべきことがある気がするのだ。

この間まで、数年間楽しく話していた、あの陽気なあなたはどこに行ってしまったんでしょうか?と思って、なんだか寂しいという言葉では言い表せない感情になる。

わかりあえない人たち


そして思うのだ。やっと友達ができたと思ったけれど、今後もこういうことは起こり得る。つまり、友人になれても、LGBTや、政治観、戦争観、宗教観の違いでどうしても分かり合えないことがくると。アニメの解釈が違うとか、推しの解釈が違うなんていう、小さなレベルの視点が、くだらなく見えるほどに。

もう、人と人はわかりあえないのでは…そういう感情が湧き起こってくるので、私は悲しいのだ。ただ、ロシアの友人を失ったことが悲しいのではない。

私はこだわりが強いから、もう少し辛抱強く、多少話が噛み合わなくても友達でいた方が良い…今まではそう思っていたけれど、一体どれくらいの考えの違いを許容したら良いのだろう。流石に、もう難しいな、と感じてしまった。

また、私の人間関係は一からやり直しだ。いや、そんな一人の人間のどうこうなんて、もはやどうだっていい。今は、たくさんの人が幸せに暮らせる未来をただ望むだけである。

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