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過干渉と親切の違いについて見えない人に聞いてみた件

昨日、友達と話をしていた時、友達が「やらなきゃいけないことがあるけど、しんどくてできないんだよねぇ」って言ったから、私は、「そんな時は、体に聞けばいいんだよ!!」と、ごく自然な話の流れとして、話始めたのだけど、途中からどうにも『これ、過干渉だったなぁ』って思いがぬぐえなくて、楽しく話をしている心の中では、

あー、やっちゃったなぁ( ;∀;)

って、そこそこ凹んでたww

私の中では、過干渉も課題なんだけど、友達は、私の出過ぎた提案にも真摯に向き合ってくれていたし、興味を示してくれていた。いつもお世話になっているさやかさんも、過干渉なんだけど・・・。と言いつつ私の持病についての情報を教えてくれた。
私にとっては、過干渉から始まった、友達との長い長い井戸端会議は、とても楽しかったし、さやかさんからの情報もありがたいと感じた。

ならば、過干渉って何?過干渉と親切の違いって???

って事で、見えない人に聞いてみた。今回は、概ねガブリエルが教えてくれたっぽい。

動物園しか知らない動物に、いきなり“大自然の良さ”を教えるために、ジャングルへ逃がしても生きていけないだろう?
その場合、動物には迷惑でしかないし、逃がした人の自己満足でしかない。

ビーガンの人が、小学校前で屠殺(とさつ)の写真を子どもたちに見えるように、大きく引き伸ばしたものを何枚も掲げていたけど、あれこそ過干渉だよね。

んー。“過干渉”がどういったものなのか、なんとなくわかるんだけど、過干渉と親切の違いが、いまいち分からないだよね。

例えば、自分の経験したことを、その感動を伝えたくて友達に話をした時、それについて興味を示してくれたなら、それは親切。
何かを提示して、それについて更に深堀したい人に情報を提供することが親切。でも、興味がないのに、いつまでもその情報を与え続けるのは、過干渉になるよね。
だから、提示の仕方が重要になってくるんだ。トピックスだけ見せて、その後、その中身を読むかどうかは相手次第。

(ここで、ネットニュースなどのトピックス欄が浮かびました)

いや、それ会話の中だと難しくない??(笑)

例えば、夏休み、家族でどこかに出かけたい人がいる。そんな会話をしていた時、自分が行ってきたところで良かったと感じた話をすればいいんだよ。さらりとね。
「私、○○行ってきたけど良かったよ~」
って。で、相手が、それについて詳しく聞きたかったら、その時にその場所について伝えるんだ。
みんなは、相手に(良かれと思って)多くの情報を与えすぎるんだよ。だから、相手がそれに乗ってこなかったときに、怒りの感情が湧いてしまうんだろ?
“私がこんなに情報提供したのに(# ゚Д゚)”
って。そんなの、ナンセンスすぎるだろwww

高次元に進むと、そこら辺(親切か過干渉か)の感覚って体感としてわかっちゃうんだよね。だから、(違いの)説明も少し難しい。
君たちだって、呼吸の仕方を説明してって言われても難しいだろ?それと一緒さ。

やっぱり、過干渉は良くないことなの?

過干渉が良くないというか、それによって、相手の成長を止めてしまったり、勝手に多く干渉しておきながら、相手が「教えた(提供した)」通りにならなかった(やらなかった)時、
『せっかく教えてあげたのに』
って怒りの感情に囚われてしまう事が良くないんだよね。

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