『遅いインターネット』

 自分の物語と他の事象との往復運動を試みるために批評をする。現代では気軽に発信できるため、「読む」より「書く」の方が手軽にできてしまう。書く、はもう現代人には逃れられない行為だが、読む、ことでインターネット社会での世界との関わりをもっと「遅く」することができる。遅くするというのは深い考察や検証に手間暇をかけるという意味だ。いまの「速すぎる」発信では熟考が足りていない状態だ。

 私は今後評論や古典を多く読み、読書とアウトプットの道を邁進していきたいと改めて思った。熟慮の末の発信には大きな価値があると思う。「ではない」と他者が作った既存の価値を否定ばかりしていないで、自分で問題を新たに設定し、「である」と言おう。新たな考え、価値を自ら作ろう。

 宇野常寛氏は今後も注目の評論家。彼にはその独自の身体を使って走り続けてもらおう。我々はひとまず彼に並走してもいいし、己の道を行ってもいいだろう。本書を読み始めたとき、これは一緒に走ってくれる本だと書いた。読了した今、補助輪を外されて初めて自走しているかのような清々しい気持ちになった。いや、この例えは適切でないかもしれない。なぜならこの補助輪は、これからも自走する我々の中に内蔵され続けるからだ。

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