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ひとつの「終止符」 ▷ 屋根裏

この街が、好きだった。

 

 

今月頭、姉からの緊急要請があって父を予約外で病院に連れて行くことになった。
あの猛暑、熱中症でアスファルトに倒れた父は背中に大火傷を負い皮膚移植することになった。あれから2年経った今、皮膚はきちんと定着して感染症の気配もなく、数ヶ月置きに一度の通院のみで穏やかな日々を過ごしていた。
皮膚移植したのは背中の右半分と二の腕も少し。その腕から結構出血している、とのこと。
火傷とは別で、右腕に恐らく脂肪腫があってそれの定期検査・通院もしているのだけど、姉が言うにはその脂肪がかなりの大きさになっていて、重みで皮膚が裂けたのではないかと。
それって結構やばくない?え、皮膚裂けてんの?救急車案件じゃない?と話したんだけど、大きめの絆創膏でなんとかなっているけど止血にはならず膿んでもいるということ、そこがちょうど火傷跡なので、腫瘍なら整形だけど取り敢えず火傷の形成で診てもらい、必要なら前者も受診しようという話になった。

依然自分の車は故障中なので、姉の自宅に集合して仕事前の姉に病院まで送ってもらった。父の半袖シャツの患部は浸出液で濡れていて、とうとう腫瘍を取るときが来たのか、と家族で構えていた。
予約外で、人気の高い教授が診る曜日だからかなり待つよと言われて、一人で留守番させられない下のチビには絵本と塗り絵、しっかり鉛筆削りまで持たせてくれていたけど、受付してものの15分で呼ばれた。

実際診てもらったら、血は止まってたし腫瘍の重さで皮膚が裂けたわけではなさそうで、褥瘡みたいになっていると。でも本人が引っ掻いたりぶつけた覚えがない以上、原因不明なのが気になるね、と先生は仰った。
ここで僕はまさか、と思い父に疑問を投げかける。

「毎日保湿してる?」
「してないよ?」

してねえのかよ。
前回の受診(数ヶ月前)の際に、火傷した皮膚は汗をかけなくなるからより乾燥しやすくなっていて、保湿しないと怪我もしやすいから、処方箋はもう出さないけど市販の保湿クリームで毎日保湿してね、と言われていて、本人にはもちろん、その辺管理してくれている姉にも共有したのだけれど、まさかのまさかだった。原因これやんけ。

先生は快く処置してくださり、あと1、2回で卒業出来るからね、とまた来月に予約を入れてくれたけど、正直残念だった。いよいよさよなら出来ると、少しばかり期待したのにな。

腫瘍は確かに大きくなっている気もするけれど、脂肪腫は形が変わるし、下がって来ているだけなのかもしれなくて、素人目では判断できなかった。
その決断も迫られているわけだが、多分父はまた、取りたいとか取りたくないさえも先生の意思に委ねようとして、結局取らない方を選ぶんだろうな、それを横で聞かされて、促さなければならないのかと思うと、嫌気がさす。

 

 

帰りは病院からタクシーに乗った。
えらく若い女性ドライバーで、父がかつて勤めていた会社でもあり話に花が咲いた。
父はいわゆる、味方にしておけば心強いけど一歩扱い方を間違えるととんでもなく面倒くさいクレーマー気質のそれなんだけれど、その父の話を上手く受け応えしているベテラン感が見た目の印象に反してどうしても気になったので、失礼ながらと年齢を訊いたら自分より年上で驚かされた。実際より十歳若く見える。

処方箋を受け取るために実家近くの薬局に行くつもりで、本来ならタクシーのまま寄ってもらえばいいのだけれど、眠たげなチビを早く帰してあげたい気持ちと、これ以上父と一緒にいたくない気持ちがあってマンションで降ろしてもらい、晴れた秋空の下をのんびりと歩いて向かった。

薬局は実家の前の坂道を登り切ったところにある。
どうしても家の前を通過しなければならなくて、でも祖父母には見付かりたくなくて、不安に早る心臓は勾配のせいにして、足早に通り過ぎつつ、生まれたわけではない、でも育ったこの街でのあれこれを、ぼんやり思い返していた。

僕が育った小学校は、元々介護施設になる予定で建てられたもので、それは盟約通り僕らが卒業した後、学校としては近隣の小学校と合併して、建物自体は介護施設になっている。
すぐ近くのハゲ山と呼ばれていた、道路に面した斜面一体は僕らの遊び場だった。目の前の酒屋さんに不要な段ボールをもらって滑り降りたり、冒険系のごっこ遊びは毎日やって、春になれば桜の木に登って。
当時taspoがなかったので、父母に頼まれて酒屋さんに設置されているタバコ自販機でお使いをする夜更けの外出に心躍らせたり、夏はアイスを買って、または駄菓子を買ってみんなで食べて、冬の夜空は星が綺麗で。

姉と同級生の親御さんが経営されていたその酒屋さんは、跡形もなく姿を消していた。

跡形もなく。
そう、建物ごと、なくなっていたんだ。

 

 

noteで見掛けてフォローしている、ホロスコープで才能や資質を鑑定してくださる方がいる。実は以前からめちゃくちゃ気になっていて、その方が書く文章も好きなんだけど、鑑定してもらうためにはいくつか必要なデータがある。
その中の「生まれた場所」は、つまり生まれた病院が解ればそれでOKらしいのだけど、残念ながらは僕の場合は、僕が生まれて退院してすぐ引っ越したのが「実家」なので、育った街ではあるけど厳密には生まれた街ではないらしい。
僕が生まれる前住んでいた地名を父の口から聞いたことがあるけれど、聞き馴染みのない名前だったし、実家近辺でないことだけは解っている。父とは出来るだけ接点を減らしたいし会話するための気力さえも惜しいので、訊きたくはない。

先日仕事で、僕の補佐についてくれたヤギさんという先輩が、ホロスコープについて少し話してくれた。なんでその話になったのかは覚えてないけど、こちらから聞いたわけではないことは覚えているから、尚更今の自分にとって必要なことなのかもしれない。言葉にしたり表に出さなくても、気になることや、必要なものが向こうから寄って来てくれることって、あると思う。
ヤギさんがホロスコープや占いなどに興味を持つ理由として「ひとつの指針になるからね」と添えていたのが印象的だった。
僕もいつかの記事に書いたように、自分が何者なのか向き合うこと、掘り下げることは、今後の自分自身の方位磁針の精度を上げること、と考えるからだ。

 

仕事の帰り道、ヤギさんに「(なんの星座か)当てていい?」と言われ快諾して、多少絞り込むために早生まれではないことだけ伝えた。
これで12星座中3つは潰れたことになるけれど、仕事で関わっているとはいえそれだけで的中したり寄せて来れるとは思っていないし、もっと掘り下げて訊かれるのかなと構えていたら、ヤギさんは少し考えてから「蟹座?」と聞いて来た。
残念ながら外れではあるけど、水属性を言い当てられただけでドキリとした。

「めっちゃ惜しいっす!」
「あ~獅子座だったか~」
「あっすみませんそっちの意味じゃなくて笑」

 

育った街を歩きながら、欠片も知らぬ生まれた街を想う。

姉なら覚えているだろうか。
今度訊いてみよう。

 

 

実家の近くを通る度に、さよなら、と思う。
今生の別れだと思う。感じる。し、そうであれと願う自分もいる。また明日も来月も立ち寄る予定があるので、家族と繋がっている限り切っても切れない街であることは解り切っているけれど、告げるのだとしたらどうしてもこれなんだ。
僕はこの街で、痛みを背負い過ぎた。

自然豊かで、マンションの麓に畑が広がり、団地の管理棟でカードゲームをして、ローラーブレードで駆け抜けたこの街が好きだ。好き、だった。

 

 

さよなら、僕が育った街。

 

 

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