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18歳、一人旅をする

18歳、1人で旅をした。反対する親をどうにか説得して、1年前の夏の日、京都という地へ向かった。朝、重たいスーツケースを抱え家を出た。気が狂いそうなほど蝉が鳴いていた。近所のバス停に着いた瞬間、なんだか凄く自由を感じた。走ったらすぐ家がある距離なのに、翌日にはまたここに帰ってくるというのに、私はその瞬間、世界で1番自由になれた気がした。多分その自由は、「今まで出られなかった狭い世界」から抜け出せた、そういう類の自由だったのだろう。

新幹線で食べる駅弁は、家で食べるご飯の数倍美味しく感じた。3時間分の好きな曲をいっぱいに詰め込んだプレイリストを、繰り返し聴きながら練り歩いた。産寧坂を歩いていると、気づけば修学旅行生に包囲されていた。修学旅行生と1列に並んで歩くのは少し気まずかった。まかれた男女2人と、同じ班であろう数人の子達が道路越しに大きな声でやり取りしている情景はあまりにも眩しかった。5年前は改修工事で入れなかった清水の舞台は、思っていたより狭かった。それでも景色は本当に良くて、実際に足を運ばないと分からないことばかりだなと思った。産寧坂にある店の店員さんと時々話した。有名な縁切り神社に行った。ここへ来た1番の目的だった。お願いをした。ふたつ。近くの抹茶ドリンクの店で、「どこから来はったんですか?」と、店員さんに聞かれた。「東京の方から」と答えた。その瞬間、“本当に来たんだ”という実感が湧いた。本当に、やっと湧いた。知り合いもいない、知らない土地に、ひとりで来た。今、私はこの土地で正真正銘のひとりぼっちなんだ。そう思ったら、物凄くワクワクした。フラフラと八坂神社まで歩いて、外国人観光客の写真を撮ってあげたり、お参りしたりして、“観光”をした。

お腹が空いたので、夕飯を食べに向かった。前からSNSで狙っていたお店。開店前から並ぶ作戦は大成功で、女性1人しか並んでいなかった。でも、あまりにも人の気配がしない店が不安になってチラチラと店の方を見ていると、前の女性と目が合った。「え、これからお店開きますよね、さすがに売り切れとか無いですよね」と、気づいたら口に出していた。「え、怖いですよね、さすがにね、、ここまで来たからには、、」と、返してくれた。結局その後お店は開いた。カウンター席に2人、並んで通された。そこからは、どこから来たのか、何人で来たのか、どうして京都に来たのか、他にも色々話しながら一緒にご飯を食べた。女性は名古屋から1人で来たと言う。社会人になって、休みの日はもうずっと家にひきこもっていたけれど、たまには出掛けるかと思い立ち日帰りで来た、と。私も自分の話をしたし、女性の学生時代の話も聞いて、社会人になってからの話も聞いた。知らない人と、知らない土地で、味を知らないものを、「美味しい、ここに来て正解だ」と言い合いながら食べるのは、18年生きてきて初めてのことだった。帰り際、「これ、私が働いている喫茶店なんです。もし東京に来たらぜひ寄ってください。」と言って、バイト先を教えた。連絡先は交換しなかった。多分同じことを考えていると思ったから、交換せずに別れた。その足で、誰もいない産寧坂を散策してからホテルに戻った。

翌日は、朝から雨だった。お洒落な朝ごはんを食べ、ホテルをあとにした。歩いていると、奇跡的に雨が止んだ。京都駅からバスへ乗って、堀川三条まで行った。今となっては元恋人だけど、当時気になっていた人に教えてもらった食器のお店に行った。店番をしているのは女性1人だった。店の扉を開いてすぐ、目の前に飾られている青い皿に惹かれた。本当に綺麗な青で、思わず手に取ってしまった。店内をぐるぐる歩き回ったけれど、結局その青い皿が頭から離れず、その皿の前にまた戻って来た。「そのお皿気に入りました?その方の作品は全部丈夫で、食洗機もいけるんですよ」と、話しかけられた。食洗機も?助かる。すぐさま「これ買います。」と言うと、笑っていた。お腹が空いたので、友達に教えてもらったパン屋さんでランチを食べた。店内で1人の客は私だけだったけど、美味しくてそんなこと全く気にならなかった。その後は美術展に行った。京都文化博物館でやっている、“少女たち”という展示だった。気に入った2つの絵のポストカードを買った。建築物の設計図の展示も同時にやっていたので、それも見に行った。バスに乗って、鴨川の方まで行った。コンビニでラムネを買って、鴨川の河川敷に腰を下ろした。周りは等間隔に恋人たちが座っていた。そこはただ只管に自由な場所だった。隣の人は寝そべって空を見上げていた。ここは自由なんだと、言われている気がした。全てがここで始まっていく気がした。ただなんとなく、私はここから始まるんだと、そういう気がした。“1人でいること”が寂しいよりも心地良いに変わりゆくこと。これを“成長した”と言うのか、それとも、“孤独を受け入れた”と言うのか。もうどっちでもいい。私は今、すこぶる気分が良い。これが答えなんだ。誰かが隣に居ないと寂しいなんてこと、なかった。全てを知っていないと迷って何処へも行けないなんてこと、なかった。知らない街でも、私はやっていける。私はようやくこの広い世界の片鱗を見ることができた。あの日京都に行くことを思いつかなかったら、親を説得してまでここに来なかったら、知りえなかったものがたくさんある。出会うはずのなかった人に、絵に、食べ物に、景色。カメラと本と少しのお金があれば、何処へでも行けるのだと、ようやく確かめることができた。重たい2台のフィルムで撮った写真は、私が目撃した全てが写っている。この写真たちを、私はきっと死ぬまで手放さない。手放してはいけないし、増やしていかなければいけないという使命感さえ宿っている。生きている間にこの世の全てを知ることができないなら、なるべく多くのことを知って、死んでいきたい。そう思いながら乗った帰りの新幹線は、旅の終わりを感じなかった。そうして東京へ帰った。行きとは違う、東京へ。

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