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本音

ずっと眠っていたいな、と思う。意識があると、悲しいとか苦しいとか寂しいとか、そういう抱えていて辛い感情を抱くことがある。それはいつも突然で、嵐のように私の心をかき乱していく。文章を書くことは時々、リストカットよりも自傷行為になりうる。1年半経っても大学生になりきれないのは、高校生のうちに強く憧れた大学生とかけ離れた生活を、“自分のせい”で進む羽目になっていることから目を逸らした結果。「死ぬほど好きだったの」と、今にも消え入りそうな声で呟く友人の背中を撫でてやることができなかった。正直な話、誰にも打ち明けたことのない話、そういうものは誰もが秘めている、と信じている。私にもあるから。私は、人を愛したことが、無い。本当の意味で人を愛したことなんて一度も無い。今まで好意を寄せた人に対して、無償の愛など抱かなかった。私が与えた分の優しさを返してくれないのなら用は無いし、私のことを分かったつもりになって言いくるめてくるようなら、簡単に嫌いになれた。ただ、嫌いになっても、執着はしていた。だからもう、あれが恋だったのかさえ怪しい。「この人なら私を匿ってくれるかもしれない」という身勝手な期待を恋と錯覚して、意図的に恋をして、近づく。まるで人喰い鮫だ。実のところそれは、別れた恋人に対しても同じだった。「私はこの人が好きなんだ」と、私自身に言い聞かせて何度も何度も頬に触れた。頬に触れても、寝顔を見ても、口いっぱいに白米を頬張る姿を見ても、優しく笑う顔を見ても、一度も、一度も愛おしいと思ったことは無かった。だから執着した。もう少しのめり込めば愛おしいと思える気がして、私が大事にしてきたものたちを惜しみなく捧げた。それなのに想定外の早さで私の元を離れようとするので、泣いた。「全部無駄だった、返して欲しい」と、思いながら泣いた。そんな歪んだ執着心しか知らないので、どこかのSNSで見た“この人となら不幸になってもいいと思って結婚した”みたいな言葉を見て首を傾げた。人が恋をしている様は時に哀れで、美しいと思う。美しいなんて言葉をそれに当てはめるのは浅はかで恥ずかしいけれど、それ以外に思い浮かばない。少し言葉を変えるなら、そうだな、眩しい。眩しいと思う。愛はもっと眩しい。もはや見えない。遠い存在だ。何かが変わるかもしれないと思って入れたマッチングアプリは、1ヶ月で辞めた。心底向いていないと思った。「年下じゃだめですか」と、18歳の男の子に言われても何一つ刺さらなかったし、有り得ないくらい冷めた。何人か同い年の人とも会話したけれど、ずっと苦痛だった。音楽の話や映画の話、本の話をした。私はただ、吉本ばななの『キッチン』をひたすらマッチングアプリ内の男性たちに布教して、突如姿を消した女になった。わざわざ買いに行ってくれた人もいて、世の中捨てたもんじゃないと思ったのと同時に、ここは私が身を置くべき場所ではないと分かった。私は人前で泣かない。友人の前でなら尚更泣かない。1つ前のnoteに綴った友人とは縁が切れた。お金は返してもらったけれど、色々あって、あれから1ヶ月以上経った日に事が落ち着いた。大学の食堂で共通の友人に、「ずっと友達でいたかったな」と、こぼした。本人には言えないからとそこでこぼした私に、友人が言った。

「もしかして今、泣いてる?」

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